5 「あんたいつアメリカ行くの」 急に出てきた「アメリカ」の一言に動きが止まった。 何つった今。なんだこいつ。 「……?」 「ちょっと、行くよ、メリケンボーイ」 「……(メリケン……)なんでお前が知ってる」 面倒そうに手招きしながらつまらなそうに軽口を叩くこの女はたまに当たり前の顔で人の頭を読み当てる。 人の雑誌を横から立ち読むように簡単に。 アメリカのことなんてこいつの前で一言も口にした覚えはねえ。 「あれ、前からずっと言ってなかったっけ?」 「言ってねぇ」 「あーそーだっけ?」 まーどっちでもいーけどさ、と適当に頭をかいている。 (どっちでもよくねー) 変わらねぇ。 背が伸びよーが乳が育とーが髪を伸ばそーが何人男にふられよーが、こいつは少しもどこも変わらねー。 昔のまま。 (あほは何年経ってもあほ) 嵐の朝にはあの日のことをたまに思い出す。 こいつがどーいうつもりで勝手に怪我したのかは知らねぇ。たまたまだろーが偶然だろーが知らねー。 結果だけで十分だ。 今満足に動く手足があるのは運だけがよかったわけじゃねぇ。 横に並んで人を風よけ代わりにつかいやがるこの女には銭湯代よりよっぽどでかい借りがある。 「何針縫った」 「え、なんだって?」 またとぼけてやがんのかと思ったら強風に流されて聞こえなかったらしい。 「何針縫った」 「胸?」 「それ以外に何がある」 「いや別に」 あ。 「他にもあんのか」 「なにが」 「怪我した跡」 「ないない。なんもない」 早口になった。嘘だ。すぐばれる。あほだから。 「どこだ」 「ないっつーの」 「見せろ」 「ここで!?」 「やっぱあんじゃねーか」 「あ!いや、なんつーか」 「場所は」 「え、これ誘導尋問じゃない?」 「場所はどこだ」 「…………しつけーな」 「どこだ」 「……腰? わき腹」 「見せろ」 「はー!?」 「早く」 「ほんとにここで!?」 眉をつり上げて、「あんた馬鹿じゃないの」とが見上げてくる。あほに言われるほどじゃねー。 同じこと言うのが面倒で黙ってを見ていた。 つり上がった眉がしだいに元に戻って、じょじょに下がっていく。 「……よけーなとこばっか気がつくあんたはもー……」 「左?」 「……右」 あたりをうかがってからは上着を腰上までめくった。 右わき腹にほぼ真横に走る傷跡がのぞく。 肌の色の中にすっと一色濃い細い線が色エンピツで描いたように浮かんでいる。 「てか、暗いし見えんの?」 「何針縫った」 「えー……覚えてない」 「(人間が雑)」 傷の跡に手を伸ばした。 「ぎゃっ」 「(……5、6…7)」 「おいあんたなにふつーに触ってんの……痴漢?」 「(8…10……………15)」 親指と中指で傷の長さを測る。 「ヒャヒャヒャ、くすぐったいっての!なに、なんなの!」 「15センチ」 「は?」 「ほぼ15センチ」 広げた親指と中指の傷跡分の空間をの顔の前に持っていく。 「あ……あーそー。けっこう長いね。じゃなくて。あんた今のマジに痴漢行為だからね。幼馴染っつったってそのへんわきまえなさいよ。人から見たら一応あんたとわたしも男と女ってことになるんだから」 傷を隠して、腰のあたりの汚れを落とすように軽くはたいてが歩き出した。 15センチ。 「胸の傷は」 「は?」 「長さ」 「あんた……そっちも測りたいなんて言ったら通報するわよ」 「言うかどあほう」 「えー……あー……こんくらい?」 が親指と人差し指を広げた。 「10センチ……」 「くらいかなぁ」 首をかしげている。自分の体の傷のことだろーが。やはり雑。人間が。 10センチと15センチ。 「25センチ」 「ん? なんで足した?」 「25センチ」 「うん」 「直径」 「うん?」 バスケットボールの直径はほぼ25センチ。 だからどうした。 どうもしねー。 何もねー。 「なんの直径だって?」 「嫌なこと聞いた」 「は?」 「なんでもねー」 そーか。 手の平におさまる、あの皮のボールの長さの分と同じだけこいつには借りがある。 わかった。 「あのさー」 「?」 「さっきも言ったけど、かばって怪我とか、借りがあるとかそういうこと勝手に考えんのやめてよね」 「…………」 「そんなん本当にたまたまなんだからさ。覚えてないけど。さっきは流れで感謝しろとか言ったけど、そもそもメリーポピンズやろっつった言い出しっぺわたしだったし。逆に、あんたがバスケやるようになってからは後遺症になるような怪我させなくて本当によかったって思ってる」 「……余計なことを」 「まーなんつーの。母心ていうか」 「誰が母だ」 「姉心というか」 「お前の弟なんて死んでもごめんだ」 「……(てめぇ)……昔からの友人として」 「おー」 「あ、なに、友人だとは思ってくれてるわけ」 「とっとと喋れ」 「だから、わたしはバスケ詳しくないけどさ。あんたのプレイがすごいことはわかるよ」 「そんなに見てねーだろ」 「そりゃ全部見てるわけじゃないけど、少しでも見たらわかるよ。コートでの楓は、なんていうの……」 は顔に吹きつける強風をにらみつけるように目をすがめている。 なんだってんだ。 「スターとったマリオ状態っつーか……」 「…………」 「なんか無敵っぽいというか、無駄に強いっていうか、目立つっていうか」 「無駄じゃねー」 「とにかくすごいよ。目が離せない」 自分で言ってうなずいて、ぱっとこっちを見上げる。急に見んな。 「ああいう風に動く体を損なわなくて本当によかった」 「…………」 「だから友人として、あんたが無傷だったことはわたしにとってもすごい運がよかったって思ってるから」 「……だから?」 「だから責任とって嫁にもらってやろーなんて思わなくていいよ」 は。 「思ってねー」 「あれ、いまそんなこと考えてなかった?」 「みじんも」 「あっそ。まーいーや。もしも万が一嫁のもらい手がなかったらそん時は楓んとこいくから面倒見てよ」 「………」 「……冗談よ。笑えよ」 白けた目で蹴りを入れてくるこの女はたまに当たり前の顔で人の頭を読み当てる。 けど外れることのほーがよっぽど多い。 週刊誌の下世話なゴシップ記事みてーなもんだ。 大概眉唾。 その中にたまに、ごく稀に正解が紛れ込む。簡単に大正解を引き当てる。 そして当たりにも外れもに頓着せずに「まーいーや」といっしょくたに放り投げる。 人間が雑だから。 「どあほう」 「は?」 昔のまま。 「何年経ってもあほはあほ」 変わらねー。 |