冬の海風ってもんはどうしてこんなに冷たいんだろう ! 「さっささささささ寒ひ………!」 「サムが泣くほど寒い」 「ほんっと寒い!二重に!ダビデ、火!はやく!」 うぃ、とか言いながらダビデはわたしが吸ってもいないタバコにライターで火をつける仕草をした。 「舎弟か!いいからそういう小ネタは…お願い早く火を!火をつけて!」 「オーライボス。射程距離充分」 チッと摩擦で小さな火花が散ってライターの火がついた。 焚き付けにした新聞紙に移ると火は不思議な生き物の尻尾のように伸び縮みしながら、枯葉の山に広がっていく。 海風に乗って潮の匂いと葉っぱが燃える土の匂いが立ち上る。 「ああ……ちょっとあったかい……でも風つよ…!き、消えないかな」 ダビデはふむ、とうなずいて風が吹きつけてくる海際に背を向けてしゃがみこんだ。 「おお…ダビデ頭いい!」 「たまには頭いい………プッ」 「たまにはって自分で言っちゃうのか……」 しゃがんだままわたしもダビデの隣に並ぶ。海際の背中はめっぽう冷えるけど、今はこの火を守ることに集中しなければ。 この火が消えたら死ぬ。というくらい寒い。冬の海ったら容赦ない。 真昼、快晴。二月の浜辺にはひとっこ一人見当たらない。 しゃがみこんだ前には枯葉の山と火。そして煙。見えないけどその下に焼きイモ。 校内で火は禁止なので、学校の目と鼻の先のこの浜でイモを焼こう!というのはいつもやってることなのだけど、今日はちょっと風が強すぎる。 海に白波たってる。飛んでるカモメ羽ちょっと斜めになってる。わたし歯の根がカタカタ鳴ってる。 「みんないないからさらに寒いね……人っていっぱいいるとあったかいんだね」 「心が?」 「や、今は体感温度的に」 「たしかに」 たしかに、なんて言いながらダビデはちっとも寒そうに見えない。 コートも着てないしマフラーもないのに震えもせずに平気でいる。頑丈な生き物だ。 「火、火、はやく大きくなーれ…!」 「おお、さん魔女のよう。マジよのう」 「寒い……バネ、はやく帰ってきてダビデに蹴りを入れてやって……寒死にする…!」 「サム、詩にする」 「……サムってだれ……詩人?」 「サムさんは寒さに強い良い新人」 「(「サムさ」んは「サムさ」につ「よい」、「よい」、「し(ん)じん」…か…?)…そいつぁ期待の新人だ……」 なんてだらだら話してる内に二人で守った甲斐あって火は無事大きくなった。 ぬくまって口もほぐれる。 「まーとにかく、みんな受験もおわって一安心だねー!高校も結局みんないっしょだしさ。よかったよ。一時はバネだけ別っこかと思ったけど、無事合格したし!補欠だけど!」 「ここまでくるとどれだけみんな地元っ子好きなのよ、とも思うけど、まー、仲良きことは美しきかな、ということで、うん、ほほえましいよね」 「わたしもね、小学校、中学校ときて高校でも代わり映えしないメンバーと四六時中いると、なんかずっと年取ってないような、何にも変わってないような気がして時々あれ…って思うけどやっぱり楽しいからね、みんなといるの。ヘヘヘ」 「三月頭から一ヶ月、久々に長い春休み!なにして遊ぼーか!ディズニーランドも行きたいねー近いっつっても中々行かないもんだし、卒業遠足てことでパーっと!もちろん剣太郎たちもいっしょにね」 「……バネたち遅いねぇ。学ランのお下がりもらえたかなー。人数分集まるといいんだけど。高校も学ランだから買うのもったいないよねー男子は。て言っても中学のじゃやっぱだめだし。あんたたちまだ背も伸びるだろーしね!あ、そいえばダビデは制服どーした?バネたちと先輩んち回り行かなくてよかったの?誰かもらう人いる?」 トングでゴロゴロ火の中のイモをいじりながら、思いつくまま口を動かしていた。 ダビデからは返事がこない。 あれ、そういえばさっきからしゃべってないな。 駄洒落を言うのを除けばダビデは元々口数の多いほうじゃないけど。 「ダビデ?どした?」 うつむき加減の顔をのぞきこむと、すっと端正な顔がこっちを向いた。 表情一つ変えずに真顔で、でもなにか言いたいことをじっと訴える動物みたいな目をしてる。 黙っていればもてるだろうに、と思う典型だな、ダビデは。 駄洒落を言わないダビデなんて想像できないけど。 「……ほんとにどしたの?」 「……さん、俺、二年」 「うん? 知ってるよ」 「……春から三年」 「うん…」 「今、二年」 「うん」 また動物の目。 犬ならアイリッシュセターだな。毛、赤いし。ぴったり。じゃなくて…… 「………っあ、そうか、あんた二年だもんね!卒業しないよ、ね!あー、いつもいっしょにいるからさ、あー、そうだそうだ、一個下なんだよね!忘れてた!」 「…………」 「…なに、さびしい顔して」 「さびしい」 「…………そーだよねぇ。いつもつるんでるみんなほとんど出てっちゃうんだよね……。残るほうはさびしいよね。ゴメンゴメン、配慮にかける発言でした。許してダビデ」 両手を合わせて目をつぶる。 ダビデは「うん」も「ううん」もなく同じ姿勢で同じ顔で黙ったままでしゃがんでいる。 お…落ち込んでる。わかりやすく落ち込んでる。 ガタイだけは大人並みだけど、顔なんてかわいくないくらい無表情だけど、こんな風にしてると不思議と年齢以上に幼く見えるなぁ。 ふと、実際小学生だったころのダビデが今の姿にだぶって浮かんできた。 そのころからもう大きかったからランドセルが似合わなくってねえ。 図書室の小さなイスに半分以上はみだして、長い足をゴロリと床に放っていたのを移動教室の時に何度か見たっけ。 あれからまだそんなに年数が経ったわけじゃないのに、目の前のダビデはずっと大人びた。 ひょろひょろ細かった体にはしなやかな筋肉がついて、肩幅も背中も広くなった。 声だって、珍しくダジャレを言わないな〜と思った一週間の内に声変わりしてぐっと低くなった。 ちなみに最初の一言は「声変わりして、わりぃ」だった。もちろん二秒後にバネに蹴られていた。 今、なんだか拗ねて沈んで幼く見えても、やっぱり実際幼かったころとは違うんだ。 「…何だ、こーゆー時こそダジャレはどーしたダビデ!めそめそしない!男の子!」 「…………ダジャレがさびつくほどさびしい」 「…いやまぁ、ダジャレがさびついてんのは元からだけど……」 これは昔から何一つ変わらない。多分ずっと変わらないままだろう。 「…………傷口に塩をぬられたと気づく、チッ」 「………………うん、悪かったって……無理しないで……?」 「ミル貝がやさしい目で見る」 「わたしミル貝!?」 「…渡してみるかい?」 相変わらず表情の浮いてこない顔でごそごそと制服の後ろポケツトから何やら取り出した。 「ん」 ダビデが目の前に差し出してきたのは手帳サイズの黒いノートだった。 「くれるの?」 こくりとうなずくので、ノートを受け取ってめくった。 一ページ目、大きく『あ』と書かれた平仮名の下にずらりと「愛嬌のある生き様」「葵、青い、おい…!」「悪の団体を倒したんだい」「明け方にケガをする」「あっさりした朝ごはんのあさり汁を食い漁る」…………… 「……これ…………ネタ帳…!?だ、大事なものじゃない!(ダビデにとっては)」 「それつかって高校でたくさん友達つくって。さん」 「え……もらえないよ、だってこれはダビデの血と汗と涙のけっしょ」 言葉途中で目の前にぬっとダビデの手の平が広がった。 視界全部が肌色の、ダビデの手相でうまる。大きな手だなぁ。 あ、生命線うっすら二本あるこの子。運強そう。 「しがない俺にできるのはそれくらいしかないから、しかたない」 えーと、しがない、俺にできるのはそれくらい、しかない、から、しか(た)ない、かな。 頭の奥で癖でダジャレの内訳を数えながら、いやいやそんな場合じゃない、と打ち消した。 「そんな、その気持ちだけで充分…」 鼻をすすりあげる音がした。まさか。かざされた手の平をかいくぐると、ダビデの両目の縁がほんのわずか赤くなっていた。 「な、泣いてる!」 と言ってしまったのは、今日二度目の配慮の足りない発言だった。けどびっくりしたんだもん。 十年前、ほんとに小さかったころから、ダビデは滅多なことじゃ泣かない子だったのに。 「泣いてない」 声だけはしゃんとしてる。けど、 「うそ、泣いてる!」 「泣いてない」 「泣きそうになってる!」 「…………………なってる」 「……なるなよ…」 「なるよ」 「…………なるか…」 「なる」 ダビデは大きく息を吸って、吐き出さずに胸に留めた。 息一つでこぼれるくらいの涙なら出してしまえばいいものを。 でも今泣かれたらわたしも泣くかもしれない。さびしいのってうつるんだ。 というか、元々わたしだってさびしいよ!今気づいたよ春からダビデと別っこになるって! けど、サエもバネもいないこの状況で一度グスッとやってしまえば収まりのつかない泣き合戦に発展しそうでそれは嫌だ。いろんなものがこぼれてしまう。 普段あるかどうかもわからなかったものが、さも当たり前の顔をして十年前からそこにいたように図々しく「感情です」「言葉です」「心です」と感傷に胸を張りそうでこわい。 そんなものをこの子には見せられない。 ダビデにはもうちょっとがんばってもらおう。わたしもがんばるから。 「がんばれダビデ」 つぶやくと、ダビデはそのままもう一度息を吸い込んだ。パンクしないでねダビデ。 ああ、だけどそうか、思えばダビデにはこの別れは二度目になるんだ。 三年前、わたしたちが小学校を卒業するときもダビデはおいてかれていたんだ。 残されるのは剣太郎もいっしょだけど、二つ下の剣太郎と一個下のダビデではやっぱり違う。 ダビデを同級生と間違うことはあっても(今回みたいに…)、剣太郎を間違えることはない。 学校に慣れたニ、三年はいっしょに行動できても、新一年生と三年が常に行動することは無理だったし、まぁ、性格の違いもあるだろうけど。 誰とでも三十秒で打ち解ける剣太郎は部内にもクラスにも友達が多い。 ダビデにも同い年の仲のいい友達はそりゃあいるけど、学年が違うなんてこと忘れるくらい本当にわたしたちはどこに行くにも帰るにもいっしょだったんだ。 中学を卒業しても何だかんだ、わたしたちは週に何度も遊ぶんだろう。 テニスしたり、誰かんちでビデオ見たり、海行ったり花火したり、今みたいに焼きイモしたり。 けど、同じ空間で同じ時間を過ごして、同じ行動パターンで動くことは少なくともあと一年はないわけだ。 ダビデが同じ高校に入れなければ(もしくは入らなければ)、ひょっとしたら、もうそんな時間はこないかもしれない。 …それに、もし同じ高校でまたいっしょにいられてもダビデにはもう一度同じ別れがやってくるんだ。 それは生まれた学年が違うんだから当たり前のことで、当たり前の別れなんだけど。 わたしたちは、彼をおいていく。この春も、もしかしたらこの先何度目かの春にも。何度でも。 いくほうといかれるほうは決して逆にはならない。ウノでも大貧民でもないからリバースも革命もない。 公平の不平等。絶対ルールだ。時間だけは。 ダビデはこっちが思ってたよりずっとさびしいってことを知ってる子だったんだ。 そういうこと、わたしたちはもっと知ってなきゃいけなかったな。 「ダビデ、やっぱがんばんないで」 「ん」 「もういいよ、がんばるのやめよう。がんばると疲れるから、がんばってもさびしいのは変わらないから、よそう。さびしいままでいよう、もう」 「………さびしいままなのは、よくないんじゃないか」 「いいんだよ、どうがんばってもさびしいんだから。さびしくならなくはならないよ」 「……さびしくならなくはならない………つまり?」 「さびしいってこと」 「……さんも?」 「うん」 枯葉を燃やして煙を上げる火の、まるで踊り狂う誰かの影のような動きを見ているとチカチカと目がくらんだ。 ダビデが隣で大きく息を吸って、吐いた。長く吐いた。 寒さで白く色のついた息は煙に紛れず細く立ち上った。 それが空気に溶けて見えなくなるのを最後まで眺めて「本当だ」と低くつぶやいた。 湿った声を追いかけて、鼻をすする音がした。 「……いまグスって言った?」 「……言った」 「泣いた?」 「…………」 砂浜にダビデが文字を書く。指長いな。あ、また深爪してる。昔から変わらないなぁ。 「こっち」 砂には「鳴いた」とあった。 「なにそれ」 「マングースがグスと鳴く」 「…………寒」 「そっちこそ、グスグス言ってる」 「……グスグスと鳴くマングース」 「寒」 「ダビデに言われたくない……」 目の下が赤いわりに無表情のダビデが焼きイモを一つ枯葉の山から取り出した。 うん、いいころだ。 これ以上焼いたら焦げてしまう。火を落とさなくてはいけない。 バネたちはどこまで行ってるんだろう。中々帰ってこない。 「……そういえば、ダビデ今日普通に午後授業あったんじゃないの」 合格発表のおわった三年は午前中にロングホームルームがあるだけだから、バネたちは制服探しに旅立ったのだ。 一、二年はいつも通り授業があるはず。 「あった」 ダビデがこくりとうなずいた。 「さぼったの?」 「さぼった」 もう一つうなずいた。 「さぼったのか……」 ずっと、ダビデといっしょにいるのは当たり前だと思ってた。 だけどダビデは色んなことを少しずつ犠牲にして、色んなことを少しずつ努力してわたしたちとずっといっしょにいたんだ。 こんなにいっしょにいたのに、気づいてあげられなかったことがたくさんある。 春がくれば、ここにおいていってしまうのに。知らないこともそのままにして、わたしたちは行ってしまうのに。 「………泣いてる」 ダビデの声がした。恐る恐るぎょっとしている。顔が見れればきっと目は丸いだろうな。 「……いや、泣いてない」 「いや、泣いてる」 「…………泣いてる」 「…なんで」 のぞきこんでくるダビデから顔をそむけて大きく息を吸う。止まれ涙。 ごめんね、も、ありがとうも言えないでいるわたしの頭に大きな手の平が乗った。 生命線が二本ある運の強そうな手相の手の平。いつも深爪してる長い指。大きな手がぴくりもしないで乗せたままの位置でじっとしている。 「さんが泣くとは、持ったなしで困った」 「…………サムが泣くほど寒い」 「……泣きながらつっこまなくても」 がくりとダビデが肩を落とした。 それもそうだなと思ったのでコートの袖できりなく転げる涙をふいた。 がくりしたままのダビデの手がわたしの頭を二度小さく叩いて、離れた。 |