トイレの電球がきれた。買い置きがなかったので家族総当りジャンケンで最下位になったわたしが買いに行くことになった。
午後10時すぎに女子中学生を買い出しに使うか普通…!くそ!



 

ニコニコ向日電気店へようこそ!

 




近所のコンビニは夜になると上下スウェットの男女がたまりはじめるので怖いので避けて、チャリで国道沿いに15分ほど走って一番近い電気店に向かう。


9月になっても昼間は残暑でヒーヒー言うくらい暑いけど、夕方になるとだいぶ涼しくなった。
フラフラさんぽするにはちょうどいい気候ではあるけれど、今のわたしはそんなのんきなことは言っていられない。

トイレの電球が切れたのはわたしが入った直後で、真っ暗な中で用を足すには心もとなく、つまりそのまま買い出しに出たのだけれど、30分くらいなら我慢できそう☆なんて甘い見積もりは実際ゲロでも吐きそうに甘々で、要するに今わたしは尿意の臨界点を迎えている。

端的に言う。漏れそうだ。

もし中3で野外で漏らしたなんてことになったら都市伝説になってしまう。
返事のないただの屍のようになってしまう。
きっとオムツをして夜な夜な「ねぇわたし漏らしてない?」と刃物片手に人々に問いかけ歩いてしまう。その人がなんて答えても漏らすまで水分を飲ませるのよそしてきっと「吸水ポリマー!」て3回言うとうずくまってしまうんだ。あああ呪 わ れ た 女 わたし…………!

 

思考も膀胱も限界を超えたところでやっとこ電気屋さんについた。



ニコニコ向日電気店


と少し古くなった看板が光っている。
なんでニコニコ……と通るたびにいつも思うが店主のおっちゃんはたしかにいつもニコニコしているので入りやすい。
とりあえずトイレをかりよう!

「いらっしゃいませー」
「こんばんは!すいませんトイレかしてください!」
「トイレェ?」
「トイレ!すんません漏れそうで!」
「…お前、?」
「は?」


振り向くとクラスメイトの向日岳人(よく跳ぶ)がいた。


「は……?なんで向日?なに?」
「なんでって、ここ俺ンちだもん。お前こそなに漏れそうって」
「モ、漏れそうなもんは漏れそうなんだよ!何でもいいからトイレかしてトイレトイレトイレどこ!」
「あ、あぁ、そこの、奥」
「おかりしやス!!!」

 

閉じたドアの向こうで向日で「ごゆっくり」と呆然と呟いたような。

 


「フー………………☆」




無事事なきを得トイレから出るとモップの柄に顎を乗せた呆れ顔の向日と目が合った。



「お前さぁ……」
「……いや、ちょっとせっぱつまってて……ありがと向日☆」
「(☆とか…今更…)漏れそうって……も少し言葉使い気ぃつけろよ……女子だろ?この年で俺を女に失望させないでくれ」
「あと少しトイレに入るのが遅れてたらもっと君を失望させる展開になっていたよ……いやでもほんとありがとう!助かりました」
「どーいたしまして」
「でも向日が向日電気の息子さんだったなんて知らなかったよ。何回かここ来たことあるけどいつもおじさんだし」
「あー。俺はいっつも部活だからな。親父がいない時だけたまに店番するくらい」
「へー。氷帝テニス部って超金持ちしかいないと勝手に思ってた……あ、ごめん別に貧乏て意味じゃなくて」
「いいって。つかテニス部ったって跡部と長太郎んちが桁外れで金持ちなだけであとは宍戸んちは学校の先生だし、ジローんちはクリーニング屋だし、別に普通だぜ」
「えっそうなんだ。やっぱ部長のイメージかなぁ……」
「で、うちもうそろそろ閉めっけど、用は便所だけ?」
「あ、電球買いに来たんだ本当は。トイレの電球がきれちゃってさー」
「そんで走って買いにきたってか。間に合ってよかったな」
「疲れた顔しないでよ向日ー!お互いにとって幸福な出会いだったよネ!」
「…おお(………)電球、何ワット?」
「あーえーと、40……50?60……あーちょっと待って、」


ケイタイで母親に確認しようとごそごそバックを漁る。
と、

「トイレなら大体40だろ。違ってたら明日学校で渡してくれりゃいーから」


向日が電球をレジ袋に一つ入れてくれた。

「ん」
「あ、ありがと。いくら?」
「『おめでとう』って言ってみそ」
「は?『おめでとう』?」
「もっと心こめて」
「(えー?)…おめでとう」


わけがわからないながらもとりあえずそう言うと、向日はちょっと口をへの字に曲げてうなずいて、何かを不承不承納得するように鼻をすんと鳴らした。(猫みたいだ)


「うん。サンキュ。これ、やる。今の礼」
「は?で、電球?え、なんで?礼ってなに」
「やるって!」
「えー、な、なんで!(不審)」
「やるっつってんのに……お前人間不信?」
「いやふつー遠慮するし!つか向日、今日なんか変じゃない?」


レジ袋をこっちに差し出したままの向日の肘がピクっと動いた。


「……変て?」
「え、あーなんか疲れてる?とか?元気ない?」


クラスではいつも不必要なくらい跳んだり跳ねたりガハハッと笑ってるのに、今の向日はなんか萎れてるというか、湿っているというか。瞬発力に欠けている。単に部活で疲れただけかもしれないけど。


「俺元気ない?」
「うん……なんとなく。なんか、あった?」


向日はピカピカに磨きあげられたフロアに目を落としている。多分向日が自分できれいにした床なんだろうな。えらいな。


、テニスわかる?」
「え。あんましわかんない」
「じゃ無理だ」
「え!ちょっとはわかる」
「同じだろ」
「テニスのことで落ち込んでるってこと?」
「別に、落ち込んでねぇよ!」
「(落ち込んでんじゃん…!)」
「あ……、わり。お前に当たってもしょーがねーよな」
「まーね……いやでも、まあ……よくわかんないけど……テニスに関係ない奴だから気楽に話せるとかあったら聞くけど?トイレのお礼に」
「しょんべんの礼かよ」
「しょんべんて言うな!」
「お前も言ってんだろ!」
「あーもー!はっきりしないなー!なに、どしたの?テニスで何かあったの?もしかしてこないだ全国で負けたこととか?」


向日の目がびくりと揺れた(ように見えた)。



「(え……ビンゴ……!?)あ、ごめん!」
「…………………何が」
「や、図星だったみたいでごめん」


へらっと笑うとにらまれた。ひぃ…!(座敷ワラシ!)


「別に……俺はやることやったし。そんで負けたし。だから悔いはねぇけど」
「うん」
「けど、同じ学校の奴ら相手に連続でなんだ。今度は侑士はちゃんと勝ったのに、俺はまた負けたし、しかも跡部も負けたし……跡部が負けるのってすげぇなんか……わかんねぇかもだけど、すげぇ……うそだろ!みたいな……しかも坊主とかってありえねーだろ。あいつが。マジ、くそ、なんか思い出すとまだ悔しーんだよ」



「跡部」はわかる。あのすごい部長だ。廊下歩いてると人が割れる。モーゼの十戒みたいな。
しかし侑士ってのは誰だ。ちょいちょい話が見えないが、とにかく向日は悔しがっていることはわかった。
でもわたしぶっちゃけ向日とはただのクラスメイトだ。友達だけどとくに親しくしてるわけじゃないし、こういうときなんて言ってやったらいいかわからない。
運動部でもないから負けた悔しさもいまいちわからない。ましてやうまいこと言えるほど人生経験あるわけじゃない。


「うーん……………………でも向日……生きてるし……大丈夫だよ」
「……は!?」
「や、うん。生きてればまたチャンスはあるって」
「…………はぁ……(こいつアホなんだな)」


あ、こいつアホだって目でこっち見てる。
だってよくわかんないよスポーツ選手の悔しさなんて!


「生きてればまた勝つチャンスとかはいっぱいあるって!向日はまだまだ若いし、あの部長さんの髪だってすぐ伸びるし、ていうかまだ中学生なんだからさー高校行ったら実力なんてどんどん変わるって。向日だって背とか伸びるし(多分)、そしたら女の子にもモテモテだって!ワオ!アカルイ・ミライ・イパーイ!」
「…………(なんでラップ……)おお………」
「ね。だから元気だしなよ。ニコニコ向日電気の名が泣いてるよ。ほら笑って向日!ニコっと!ニコっと!」
「……お前、いい奴だな(少し頭悪いけど)」
「今少し頭悪いって思った?」
「エスパー!?」
「くそ……まあいいけど……トイレに免じて許すよ向日。で、電球いくら?」
「おう。しょんべんに免じて許してくれてありがとよ。電球はいいからやるって。マジ」
「……マジで?」
「マジマジ。実は俺今日誕生日なんだ。だからプレゼントお裾分け」
「え、今日誕生日なんだ!おめでとう向日。って、さっきなんか言ったような……でもお裾分けって……いいのかなー」
「いいから取っとけって。大したもんじゃねーし。俺お前のこと好きだし。今日はサンキュ。なんかよくわかんねぇけど元気でた気するぜ」
「えーありがとー。じゃもらっとくね」



ちょっと待て。



「……今なんか言った向日?」
「は?何て」
「サンキュの前になんか…いややっぱなんでもな」
「俺お前のこと好きだし」
「そんな馬鹿な!」
「何が」
「好きって何。何か急展開でついていけない」
「別に。好きだから好きだって言っただけ。別に大したことじゃねーよ」
「向日ほんと今日おかしいよ…!?(なにこの思春期)」
「しょんべんに免じて許してくれよ」
「えー!」
「で、もう店閉めっけど。いいか?」
「えー!ふ、不条理!」


向日は両手をだらりと腰に当てて、何がだよ、と言った。

わたしはあんまり彼が堂々としているので、あれ、何が何がだよなんだっけ、と思わず自分の疑問を見失った。

えーと、と言葉をさがしていると、向日はやがて呆れて笑って、


「また明日、学校でな!」


気まぐれで懐こい猫が去り際尻尾でするようにようにわたしの肩にぽんと触れた。

 



…とりあえず、



「また明日……」

 

家に帰って、トイレの電球を替えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな不条理いいわけない。