「ちーす」

部室のドアノブががちゃりと音をたてた瞬間ふくらんだ希望が、その声を聞いてぺしゃんとしぼんだ。 短い希望の生涯だった。

 



Timemachine




「なんだブン太か……どうせなら真田か柳か柳生がよかった」
「おいおい、ずいぶんだな。俺じゃ文句あんのかよ」
「文句はないけど、役に立たない」
「ハぁ?」
「こ れ」


手の中にある茶封筒の束と切手を見せるとブン太は面倒くさそうにうなずいた。
これは立海テニス部詳細紹介小冊子…ああ、舌を噛みそう、とにかく、それだ。
学校紹介のパンフレットとは別に、テニス部のことだけを載せた紹介案内。
立海は部活動ごとに受験生から問い合わせがあったりするので、こういうしち面倒くさい作業はマネにまるごと回ってくるのだ。ああ面倒くさい。

 

「ああぁ……たしかに、そんな地味な仕事、俺には向かねぇぜ。何たって俺は、」
「天才的だろーーぃ(棒読み)」
「……バカにしてねぇ?お前」
「してないしてない」
「うそだ!してんだろ!」
「してないけどバカだとは思ってる」
「おんなしだろぃ!つか、お前授業はどーしたんだ?」
「6時間目自習だったからぬけてきた。これ終わんないんだもん。ブン太は?」
「うちも自習で今まで寝てた」
「寝てるんならこっちきて手伝ってよ…」
「そんなんあるって知んねーもん」
「知ってたら手伝ってくれた?」
「や、寝てた」
「ですよね。くっそ!あーもー、真田、ほんと真田きて!もう少しでおわるのにー!」
「…お前もしかして…」

ブン太が変な顔してちょっと身を引いた。

「真田真田って真田のこと好きな」
「それはない」
「かぶってくるなー」
「でも今は真田にとても来てほしい…きっと職人のように正確に切手を貼ってくれるに違いないわ」
「切手貼り職人かよ。どっかつーと傘張り浪人のが似合ってんけどな」
「なに浪人って?」
「お前時代劇とか見ねぇ?貧乏で食い詰めた浪人が内職で傘張りとかすんだよ。チョンマゲ、継ぎの当たった着物、やぶれた障子……うん、似合う似合う」
「傘張り浪人もいいけど、あれは?乳母車に乗ってチャーン!てやつ」
「子連れ狼な。ああ、あれもいいな。復讐に燃える鬼。赤子の大五郎はおもちゃより真剣を選ぶんだぜ……さすが侍の子は侍。っくー、渋ぃ!」
「なんかくわしいね……時代劇好き?」
「おぅ、まぁ好きだな。見てるとけっこーはまるぜ」
「ふーん……じゃあ、柳は?時代劇で言うと?」
「んー柳は老舗酒蔵の若旦那とか、名家旗本の次男坊てとこか。お家の取り決めで有力旗本へ婿入りしたりして。あ、伊賀忍の生き残りってのもありだな!」
「忍者……たしかに似合う」
「だろぃ!そんで柳生は町医者か寺子屋の先生だな。赤也はそこの生徒。仁王はねずみ小僧か岡っ引き。幸村は江戸町奉行。ジャッカルは……」
「ジャッカルは………?」
「………ペリーの船員?」
「ひどい!一人だけ黒船乗ってる!」
「ニホンヲ、アケナサーイ」
「ニホンヲ、カイコクシナサーイ」
「ん、まあ、これで大体ぴったりだな」
「待て、ジャッカルは黒船に乗せといて自分は何なのよ」
「俺? 俺はもちろん将軍さまだろぃ」
「将軍さま…………北の?マンセー?」
「江戸の!毎日うまいもん食って、大奥で美女とウハウハだぜ」
「そういえばてんぷらばっか食べて胃癌で死んだ将軍がいたっけね……」
「まーそうなったらも側室の一人に加えてやんよ。光栄に思えよ」
「断固辞退する」
「なんだよー町娘から側室だぞ。天下取ったような大出世じゃねーか」
「たった一人の彼女からつきあって三週間でフラれる甲斐性のない将軍の側室なんてやってられません」
「おまっ……雑談にまぎれて刃物で人をえぐるようなマネすんな……!泣きそうだ俺は今。いじめ、かっこ悪ぃ!」
「セクハラ、駄目、絶対」
「セクハラセクハラって女てのはだいたい騒ぎすぎだっつの……削げ、その過剰な自意識を……っあ、くそ、マジ涙出てきた」

 

なんて言って顔を伏せるので、あ、マジ泣きだこの子、と思った。
まじめになぐさめるのも間抜けな空気だし、よし、ここはひとつ



「なーみだくんさよなーらーさよーならなーみだくんー」


歌った。
すると、顔を伏せたままブン太の涙声が返ってきた。


「…このー世はかなしいことだらけー君なーしではとてーも」
「生きてーゆけそうもないー」
「…だけどぼくは恋をーしたーすばーらしいー恋なんだー」
「だからーしばらーくはーきーみと」
「会わずーに暮らーせるだろー…って歌わせんな!会ってるし今まさに涙!」
「止まった、大丈夫。もう止まってる涙。さよならできてる」

顔を上げたブン太の目元だけじゃなくて顔全体が何だか赤かった。ん?

「あーくそ、っあー、どーして好きだって言われて付き合ったのに三週間でフラれんだ?くそ、女なんてわかんねぇ。もう駄目だ、俺は駄目だ」
「きたメールもろくろく返さない、電話の途中で寝る、休み時間は寝てるか食ってる、放課後は部活毎日×月火水木金、土日は両日朝から夜まで部活でフラれなかったらそれは恋じゃない。愛だブン太。中3女子に愛まで要求するのは酷ってものよ」
「…だって俺だって付き合う前から部活はやってんだしよ、付き合ったってそれやめられるわけじゃねーって相手もわかんだろ」
「よくわかったから、付き合うのやっぱりやめましょう、てなったんでしょう」
「………俺がわりぃのかよ?」
「そうじゃないでしょ。彼女が大丈夫だと思ってたことが大丈夫じゃなかったってことじゃないの。それに、努力はしてたでしょ、ブン太。部活おわったあとちょっとでも会いに行ったりしてさ」
「……なんで知ってんだよ」
「みんな知ってるよ。あんなに急いで帰ってれば」
「……なんだよそれー俺かっこわりー」
「努力はかっこわるいことではありませんよ」
「……うるせー急になぐさめんな」

またグス、と鼻を鳴らしてる。
黙って肩をすくめた。
すいませんね、男子の心の機微にうといもんで。

涙を極力抑えた声でティッシュ、と一言だけ言ったので、部室のはじにあったのを箱で渡してやった。
拭け拭け、涙も鼻も。

ニ、三回チーン、とグス、がセットで響いた。


「…サンキュ」
「いいえ」
「……そいや、思い出した。フラれた時、なんか変なこと言われたんだ。俺がほんとはのこと好きなんじゃないの、とか」
「なにそれ。あと、とか、ってなに、とかって」
「前、とつきあってたんじゃないの、とか」
「なんだそれ……風評被害も甚だしい。わたし疑われ損!」
「ちゃんとちげーって言っといたよ。つーかそれですげぇ醒めたし……てっか俺最初っからあの子のこと好きだったわけじゃねーのに、けど好きになろーとしてたのに、んでちょっと好きになってたのに……あー、タイムマシンがあったらなー!」
「あったらな?」
「あったらな、三週間前の俺にその子と付き合うな!て言うぜ!なぜならばその子には三週間でフラれるからだ!てな!」
「あるといいのにね、タイムマシン。そしたら江戸時代にもいけるよ」
「したら、傘張り真田にも忍者の柳にも寺子屋柳生にも生徒の赤也にも会えるな。幸村は偉いさんだから微妙。仁王はねずみ小僧だったら会えねーかも。ジャッカルも無理っぽいな。ペリーといっしょだから」
「ペリーといっしょだと無理だね」
「国賓だからな。無理だな」
「あ、なんかさみしくなってきた。ジャッカルに会いたくなってきた」
「すぐ会えるけどな」
「もうすぐ部活だからね」
「けど、ないよなタイムマシン」
「ないね。タイムマシン」
「ない、よな」
「ないよ」


あるわけない。あってもつかわない。 そんなの。つかわなくていいよ。なかったことにしなきゃならないほどの失敗じゃないよ。

そう続けると、ブン太は急に天を仰いだ。


「あー、もー、俺ほんとはお前のこと好きなのかな!?」
「知らないよ。なんか舵のきり方おかしいよ君のセリフ。コミュニケーション座礁。暗礁」
「っあー、どーしてそこで、んな冷静なんだよ!ありえねーだろ女子として!『え……そんなこと、急に言われても……わかんないよ……バカ……☆』くらい言えねーのか!」
「そんなこと急に言われてもわっかんねーよバーッッッカ」(ペッ)
「ちげぇ!すべてがちげぇ!!」
「あーそー」
「ちっ…………もーわかんねーよちくしょーくそー恋ってどーやってしたらいいんだよちくしょー」
「ブン太冷静になって。今とても君は恥ずかしいぞ」
「わかってんよ!」


わかってんのかよ。
ならいいけど。

 

ガタリと音がした。
ブン太が立ち上がった。


「あーもー、帰るわ俺。なんか疲れた」
「サボんの?真田にはたかれるよ?」
「ハー、なんかいっそはたかれるくらいしたい気分。俺ってマゾっ気あんのかも」
「帰ったら熱、計んなよ」
「? なんで」
「なんかいつもよりハイだし体重そうだし。泣いたり。顔赤いし。風邪なんじゃない?」
「風邪ひくと泣くか?」
「泣きやすくなんない?」
「最近風邪ひいてねぇからわかんね。え、マジで風邪?」
「だからとっとと帰って計ってみなって」

残り少なくなった切手を一枚ごとに切り離しながらブン太を見る。
ブン太はじっとこっちを見ていた。
なので目が合った。
ブン太がしゃべる番なのに黙っていた。
だからわたしも黙ったままだ。
ブン太がゆっくり首をかしげた。

「…………俺、お前のことほんとは好きなのかなー」
「知らないってば」
「……まーいーや。とりあえず帰る。幸村と真田にうまいこと言っといてシクヨロ」
「風邪だったらね。でなかったらサボリって言っとく」
「つめてー」
「お奉行様に嘘はつけますまい。打ち首獄門晒し首、市中引き回しの刑に処される」
「お前のこと好きかもしれねー俺に対して真冬の氷水のようにつめてー」
「早く帰んなって」
「んっと、つめてーな………じゃーな」

重そうな体を引きずるようにブン太が部室の戸を開けた。

「じゃーね。かわいい弟さんたちに汚い風邪菌うつすなよ」

開けたまま振り向いて、もう一度さっきよりもゆっくり首をひねっている。


「……なに、忘れ物?」
「………………俺、マジでマゾっ気あんのかも。あー、心配になってきた」
「戸、閉めて風邪菌」

手で追い払うと、ゴホゴホわざと盛大に咳をして「バイバイキーン」とブン太は外へ出て行った。

わたしの事務方仕事はまだ、おわらない。

 

 

 

 

三十分後、「三十八度あった。よきにはからえ  徳川ブン太」とメールがきたので、幸村奉行に「ブン太風邪だって」と正直に伝えた。
お奉行様は笑って、「体調管理がなってないね。治ったら基礎体力から鍛えなくちゃいけないな」だって。

そのお言葉に添えて、「将軍さま、お奉行ともどもお帰りをお待ちしております  町娘」と、返信した。