両親の代から商店街のお向かいさんとして生まれて育って暮らしていると、お互い家族全員がなぜか相手んちの合鍵なんてものを持っていたりする。 遠くの親戚より近くの他人? しかし考えたらこれけっこう物騒な話なんじゃないか、なんて今更思いながらピンポンしても返事がないのでいつもの通りに合鍵を回す。 おじゃましますと言うよりもただいまと言うほうがよほど落ち着くこのうちは、いつもなんとなく日なたの匂いがしている。 「あれ、なんでいんの」 「あ、おかえりジロー。さっき来たらいきなり雨降ってきたから待たせてもらってた」 「なんで来たの」 「うちの田舎から桃きたからおすそ分け。おばさんは?」 「とーちゃんと町内会」 「にーちゃんは?」 「みっこ連れてデート行くって言ってた」 「みっこ連れて? にーちゃんやるなぁ」 「今日みんな留守だったし。で、なに食べてんの」 「ラーメン。小腹へっちゃって」 「それ俺のー」 「いただきます」 「もう食ってるC」 どさっとリュックを下ろしてちゃぶ台の向こう側に腰を下ろしたのは五つ年下の幼馴染だ。 雨に降られてくせっ毛がいつもより巻き気味になってる。 「すごい雨だね」 「雷とかちょー鳴ってる。これ台風?」 タオルを放ってやると、あんがと、とブルブル頭を振って雫をあたりにばらまいた。犬か。 「テニスよくがんばるねぇ」 「んー楽しーし。はもー休み?大学生の夏休みってはえーね。暇ならうちの店手伝ってよ」 「うちだっていそがしーんだよ」 「うそだんちの古本屋いっつもお客いないもん」 「いるの。うちには学術的価値のある古書とか求めに来るインテリがいるの。古本屋って万引きとかいるから気ぃつけなくちゃなんないし」 「夏休みなんもしないの?」 「人を暇人みたいに言うなつの」 「だれかとどっか行かないの?」 「特に旅行とか海とかはなー予定ないなー」 「、大丈夫。俺いつまでも友達でいてあげるから」 「友達いないわけじゃないから!」 「でもみんな夏休みはカレシとかと遊んでばっかでかまってくんないんでしょ」 「……そうね……そういうことは……ままあるわね……」 「かわいそう」 「かわいそうとか言うな!」 「彼氏とかできないの?」 「なにそのひっかかる言い方……できないの、じゃなくていないの?て聞きなさい」 「過去も現在もこれから先も半永久的にいないの?」 「い、ま、は、い、な、い」 「げ。今ってなに。前はいたの」 「げって何。いたよ」 「フーン……長く付き合ったの」 「や、一ヶ月くらい」 「なんだそれー」 「三回くらいしか会わなかったなぁ」 「キスしたの」 「したよ」 「なんだそれー!三回っか会ってないのにキスとか尻軽ー尻ガール!」 「尻ガールじゃない!」 「三回でキス……てことは十回でけっこん?」 「なんでだ」 「尻ガールだから?」 「聞くな!尻ガールじゃないし」 「あーあ、俺なんか何回に会ってんだよー」 「え、ジローわたしとキスなんてしたいの」 「ううんしたくない」 「はやいよ首ふるの!」 「やだなんかきもち悪い」 「そこまで言うか!?」 「だって家族とそんなこと誰もしないC」 「わたしあんたの家族じゃないし」 「家族でしょほとんど。俺のにーちゃんもにーちゃんて呼ぶし。俺のみっこもみっこて呼ぶし」 「まー……お互いの家に勝手に入ってカップラーメン食ってるくらいにはね。ごちそうさまでした」 「だからしない」 「あそー」 「ごめんね」 「わたしがあんたといつキスしたいって言った!?こっちだってやだよジローだし、五個も年下だし、ていうかジローだし」 「ジローだしって意味わかんない。二回言う意味もっとわかんない」 「徹底した否定だよ」 「俺けっこ学校ではもてんだよ知らないの?」 「知らねーよ」 「みんないろいろくれるC」 「餌付けだろ」 「うん俺愛されて十五年」 「いい人生だ」 「上々だよね」 それきりちゃぶ台に頭が落ちてグーと寝息が聞こえ始めた。いつものことだ。 外では雷と大雨が変わらずざんざか家を打つように降っているけど、この寝息を聞いていると台風の音もどこかのんきに響く気がした。 「で、フッたのフられたの」 三十分ほど経ってからだしぬけに寝ぼけた声が上がった。 「え?」 「カレシ」 あくびしながらジローが顔を上げる。存外お早いお目覚めだ。 「あー」 「あー、どっち」 「あー。フられました」 「りゆーは」 「あー、なんかメール返すの忘れたり遅れてたらなんかもういいって言われちゃった」 「さいしょどっちが好きって言ったの」 「向こう」 「フーン」 「フーン……て、なに変な顔してんの」 「べつに」 「べつにってこたないでしょうよジローさん」 「、傷ついた?」 「いや、あんまり。だって三回っか会ってないし」 「かわいそうに。もて遊ばれちゃったんだね」 「なんか人聞き悪いんですけど。ていうか傷ついてないっつってんだけど」 はー、と眉をしかめて目をつぶって、ゆるゆるとジローが首を振った。 「うちのをフるなんて」 うちのって。 お前はわたしのおとーさんか。気がぬけてついていた頬杖から顔がすべる。 その時急にパッと目の前が真っ暗になった。 「あ」 「雷」 「落ちたね。停電?」 「みたい。バッテリー落ちたくさい」 「懐中電灯ある?」 「どっかわかんない。、ケータイ開いて明かりつけて」 「ケータイ持ってきてない」 「……家出るときとかちゃんと持ってないから彼氏にフられるんだよ」 「るっさい」 冗談で暗闇に適当にグーを突き出すと妙にいい手ごたえがあった。 「……いたいー」 「あ、ラッキー。じゃなかった。ごめ」 「心の声じちょー」 「ごめんごめん。お詫びにバッテリーを見てきてあげよう」 「いーよ。まだ雷ふってるし、危ないよ。ビビビっとくるかも」 「ビビビっときたんです」 「は?」 「いや松田聖子が昔そんなこと言ってなかった?」 「…………」 「無視すんのやめてよ」 「つまんないから寝る」 「寝ないでよー真っ暗だしさー」 「真っ暗とかこわい人じゃないでしょ。女の子のフリしても無理」 「無理!無理ってなに。せめて無駄と言いな」 「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁー」 「ジョジョネタはいいよ」 「殴られたとこいたいしー」 「うそだー」 「うそ言わない」 「どこあたったの?」 「でこ。こぶできた。怪力」 「うそ。見してみ」 と言っても見えないので手を伸ばしてジローの頭のあたりを触る。 「いた、指、目はいった」 「ごめ。どこ」 「ここ」 ジローの手がわたしの手をとってたんこぶできたというあたりに持っていく。 「えーできてるー?大げさっしょ、ジロー」 「痛いー痛いー」 「ごめんて」 「、一発は一発ってしってる?」 「ひージローさん女の子の顔殴るつもり?」 「女の子じゃないし」 「女の子だし!」 「年的に無理だし。顔どのへん?」 「ぎゃっ」 真向かいから伸びてきた手が無遠慮に鼻にぶつかる。 「あ、いたいた」 「そりゃいるっつー。ていうか本気ですか一発は一発」 「さっきからさ、電気ついたらいなかったらどーしよーと思った。なんかね、本当は今日の朝とかに死んじゃってて、で、幽霊になって俺に挨拶しにきてるんだよ。電気ついたらいなくて、あれ、ー?とか言ってたら、ピンポーンてチャイム鳴ってんちのおばちゃんがいて、実はうちのが今朝……」 なんの話それ、と言おうとしたら鼻をぎゅいとつままれた。そんで前にひっぱられたと思ったら口になんかあたった。 「事故で死んじゃったのよって泣きながら言いにくんの」 「生きてるっつの。つかなに、今何した?」 「キスした」 「キスした?」 「うんした」 「なんでした」 「一発は一発?」 「聞くな! つか家族みたいで気持ち悪いからしないっつってたっしょ」 「うんでも思ったんだけど、家族っていっても俺のとーちゃんとかーちゃんも家族だよね。そしたら家族でキスすんのも変じゃないC」 「そりゃ夫婦だから当たり前でしょ」 「うんだから俺の彼氏にはなれないけど夫婦にはなれるよ」 「……?(話が見えない)ジローわたしと結婚したいの」 「ていうか、ずるいよね」 「は?」 「ずっとずっと昔から何十回も何百回も何千回も会ってんのに、は三回しか会ってない奴とキスしたりエッチしたり結婚すんだなーと思って」 「いや三回でエッチとか結婚とかはしませんけど」 「なんかそんなのずるい」 「……ジローわたしのこと好きなの? 恋とか、そっち系で」 「ううん違う。けど急に出てきて横から取ってっちゃうのなんかずるい」 「…………はぁ」 「それに、してみたらあんまし気持ち悪くなかった」 「キス?」 「うん」 「ビビビっときた?」 「いやビビビとはこなかった。は?」 「急だったしよくわかんなかった」 「もっかいしてみる?」 わたしはしばし考えた。 「電気がついたらね」 真っ暗闇の中で声を立てずにけらっと笑うジローの気配が広がった。 |