「あ、そういえば柳くんは元気?」


いくつもあかぎれを作った女の白い手がスルスルと慣れた手つきでバラの棘を取っていくのを見るともなしに見ていたら、俺にとって聞きなれた声が俺の言いなれた名前を口にした。
不意のことだった。


は、と思わず傍らに立つを見ると、でへへ、と頭の悪そうなはにかみ顔。
うわ、なんだこの女。


「げ。何、柳になんか恋してるのさ」
「やーだ!誰も恋してるなんて言ってないでしょー!ばっか、もー、照れるって!ばっか!」
「うれしそうにくねるんじゃないよ。品のない」
「くねるとか言わない!恥じらってるんだよ!どっちが品がないんだか」
「で? 柳のどこがいいって?」
「えー、なんだろ、何ていうかあの落ち着いたたたずまいとかかなあ」
「残念だけど、柳の好みじゃないよ」
「あら、好かれたくて好きになるじゃないのよ。勝手に好きだと思っているだけよ」
「そらやっぱり恋じゃないか」
「うーん、好きだなぁとは思うけど」
「好かれたいとは思わない?」
「まだそこまでは」
「忍ぶ恋ってわけかい。古風だね。ていうか愛人体質ぽいから直したら?」


だれがラマンだ、とは俺の腰かけたイスの脚を蹴った。


「純・愛・体・質の間違いでしょ」
「あーあ。あと十年経ったら俺の愛人にしてやろうと思ってたのに、よりにもよって柳なんかに熱を上げるとは興が失せたよ」
「待て待て、そんなにつっこみ甲斐のあること言っておくれでないよ精市くん。口が追っつかないわ」


もう一発、今度はさっきよりも強めのキック。
イスなんて蹴ったって痛いのはお前の足だろうに、やれやれ。


「仕事はのろいのに足は元気な駄馬だこと」
「駄馬だぁ!!?」


ダバダーダー・ダ・ダーラーラー
鼻歌を歌って「違いのわかる男」と呟くと、は「付き合ってられっか」という顔をして作業に集中しはじめた。

いくつもあかぎれを作った白い手がスルスルとバラの棘を撫でるように優しく手折っていく。

俺は傍らでそれを見ている。










部活のない放課後はいつもここにくる。そしてこの女の仕事ぶりをだらだらと観察する。
日課ではなく習慣で、習慣というよりは惰性だろう。
授業以外で勉強するほど俺は勤勉でも落ちこぼれでもないし、部活以外の過剰な自主練習は成長期の体には負荷になる。
「休養する」、というのは慣れない人間にとっては中々難しい課題なんだ。
つまり、ここにくるのはそういう時だ。
なにしろここは無為に時間を過ごすことにかけては有意義だ。
「フラワーショップ幸村」。
店長はうちのおばあさま、店員はただ一人。
元々おばあさまの趣味が高じて始めた商売だけど、「花束のセンスがいい」なんて年配のご婦人方のファンがついて中々繁盛しているらしい。




は7年前、10才で二親を亡くしてから生前付き合いのあったおばあさまの元に身を寄せて暮らしている。
年端のいかない子どもを引き取るほどの両親とおばあさまが懇意にしていたのかどうか詳しいことは知らないが、恐らく親戚の中でたらい回しにされる少女が放っておけなかったのだろう。


もう決めたことですよ、とすべての手続きを終えた後親族へ通達があった。
事後報告だろうが何だろうが彼女が決めたと言えばそれはもう決まったことなのだ。
是非もない。文句も不安も何もない。
彼女のすることに不備はない。自分にも他人にも万事ぬかりは許さないのがおばあさまのやり方だ。
微笑み一つで世界は彼女の思うがままだ。自慢の祖母だ。まるで魔女。


魔女の元ではすくすく育った。以来、仕事で忙しい両親を持つ俺とずっといっしょの窯の飯を食ってきた。
そして今は高校に通いながら育て親の商いを手伝い、近頃は柳に恋をしたらしい。




「…………柳って小学生の時教授ってあだ名だったんだよ」
「きょうじゅ?」
「青学にメガネのデータ男がいてそいつと博士、教授と呼び合っていた仲らしい」
「へー!あだ名で呼び合ったりしてたんだ。柳くんも小学生の時はやっぱり小学生だったんだねー」
「当たり前のことを言うんじゃないよ。馬鹿がばれるよ」
「(無視)柳くんてほんと落ち着いてるからさ、何だか生まれた時からあんな感じのイメージがあるのよね」
「しかもそのころおかっぱだったんだ」
「え!かわいい!」
「…………………正気?」
「似合いそうじゃない、おかっぱ」
「…………………………」




ふーん。

ふ―――――――――――――――ん。



柳。
柳ねぇ。


恐らく二人の初顔合わせは俺が入院している時、花束の注文で部員が雁首そろえてやって来た時だろう。
ブン太も仁王も柳生も赤也(と真田とジャッカル)もいた中で、柳。



「……ふうん」
「なあに、物憂げなため息ついて」
「見る目があるじゃないかと思ってさ」
「ん?」


お前にしては。













「今日お前のおばあさまの花屋へ寄らせてもらって構わないか」


練習終わり、柳が言い出したのはとそんな話をした翌日だった。


……………………


「気味悪いなぁ」
「?」


タイミングよすぎ。


「何か言ったか」
「いや、何も?」
「明後日の茶会でつかう花を頼まれてな。お前のおばあさまの店のものは鮮度がいいからぜひにと指定されてな」
「ああ、そういうこと」
「うちの先生は花にうるさくてかなわん。俺はそういったところどうも不調法で行き届かないようだ。今日もおばあさまに見立てを頼めるか?」
「生憎おばあさまは今日所用で外しているんだ」
「今日は閉めていらっしゃるのか」
「いや、部活帰りなら大して役に立たない従業員が一人、」


はた、と言葉を回す舌が止まった。


「ああ、さんか。一度お前の病院へ花を持っていくときお会いしたことがある。あの時も見事な花束をつくってくださった」
「……でいいのかい」
「? もちろん。ぜひお願いしたい」
「実を言うとここだけの話、うちの、お前に気があるみたいなんだ。身の程知らずもいいところだろう」


顔色を注意深くうかがうが柳の表情はびくともしなかった。
それどころか、


「奇遇だな。俺もさんに興味があったところだ」


しれっとした顔で言ってのけた。ふーん。


「あ、そう。なら、いいか。部活が終わった後俺も付き合うよ」
「助かる」


言って、にやりともしない、
食えない奴だ。










「あら」


柳を連れて行ったらどんな顔をするだろうと思ったら、は隣の柳ではなく俺の顔に目を留めて眉を上げた。


「めずらしい。部活のある日に来るなんて。昨日何か忘れ物でもしたの?」
「いや、客を連れてきた」


横で柳が軽く会釈するとは再び「あら」と言った。

こいつが女子高生のくせにどうも言動が落ち着きすぎているのはおばあさまと暮らしているからなんだけど。
どうだろう、柳はどう思うだろう。

俺がなぜか据わりの悪い気分を味わっているのも知らず、はにっこり笑って続けた。


「柳くん、何かご入り用?」



その顔には想い人の気をひこうという媚の一切がなかった。
いつもの客に対するのと同じ顔。
道で会うご近所さんにするのと同じ顔。
おばあさまにするのと同じ、俺にするのと同じ笑い方。


はい、今日は茶会でつかう花を選んでいただこうと、と用向きを話しているこちらもいつもと少しも変化のない柳の声を聞きながら、ふ―――――んと思った。



ふ――――――――――ん。




、お前モテないだろう。
そうだと思っていたけれど、思ってた以上にモテないだろう。
恋した相手には売れるだけ媚を売れよ。
借金するぐらい媚矯を売りまくれ。
特にお前のなんか薄利多売もいいとこなんだからさ。
わかってないね。なっちゃいないね。
お前はまったくお前だね。





のつくった花束を持った柳が「では、」と目礼して店を出ていく背中についていっしょに駅まで歩くことにした。

一度振り返るとはさっさとカーネーションの水切りの作業に戻っていた。
ばか、見送るんだよ、こういう時は。
あの女、ほんっとーにわかっちゃいない。
おばあさまに何を仕込まれているんだか。














「で、はどうだった?」
「素敵な方だな」
「まさか参謀ともあろうお前がになんか恋するとはね」
「さあな」

さあな、って何だよ。

「お前って、やっぱり変わってるよ柳」
「そうか?」
「そうさ。お前たち、多分付き合うことになるよ」
「…随分性急な予想だな。勘か?」
「勘さ。けど俺の勘だから外れない。そうなったらお前、どうする」


柳はふと考えに沈んだ顔を見せた。
ここで「どうするとは?」と問わないのがこいつの賢いところだ。(真田なら10回は繰り返す)

やがて言った。

「やはり少し似ているな」
「え、何だい」
「お前とさんだ。以前はじめてお会いした時も少しお前と似たところがあるようにお見受けしたが、並んでいるとよくわかる」
「…………残念だけど柳、それは見当違いの発言になるな。彼女と俺は血はつながってないし、正式には親戚ですらないんだよ」
「ああ、顔の造作の話ではない」
「……へえ。じゃあ何だって?」

柳はふむ、と思案気に目線を上げた。

「その人の周りに漂う空気みたいなもの、だな。さんもお前も、とても素直で率直な雰囲気がある」
「俺が素直? はじめて聞く意見だな。興味深いよ参謀」
「お前はひどく素直にひねくれていると思うが?」
「言葉遊びはつまらないな」
「ではやめよう」


おやと言いたげな口元をほんの少し緩ませてあっさり柳が引いた。
嫌だな。こいつが大人しく引き下がるのは自分の勝ちを確信している時だ。


そのまま黙って駅まで歩いた。
沈黙には柳の笑っている気配があった。
ああ、嫌だ嫌だ。













改札口での別れ際、なんとなくこの男の不意を突きたくて

「なぜだと思う」

と問いかけた。
前置きをしなかった質問に柳は首をひねった。

「なぜ俺たちは他人なのに似ているんだと思う?」

重ねてたずねると、ああ、とうなずく。そして、

「不思議だな」

答えじゃなくて感想を口にした。


(………なぜ、なんて)


柳に出したクイズの答えは明々白々。
なぜもくそも。理由も何も。タネも仕掛けもございません。
だって手品じゃないんだ。わかるかい、これは魔法なんだ。一種のね。他人が家族になる魔法。
わかるかい柳。
僕らは腐れ縁という呪文をかけられた他人の血縁なんだ。
決してつがいにはならないし、本物の姉弟にもなれないおかしな身内さ。家族の手前で終わらない足踏みを繰り返す。
望んでここにいるわけじゃない。と言ってこれ以上を望むべくもない。離れるという選択肢すら今更なんだ。

このヘンテコな魔法をかけたのは俺の敬愛するおばあさまだ。空恐ろしいとこにあの人は本物の魔女なんだ。微笑んだだけで世界は彼女の思うがままだ。


とすると、

「柳、お前のこれから付き合う女は魔女の一番弟子というわけだ」
「精市?」
「気をつけた方がいい。浮気なんてしようものならカエルに変えられてしまうからね」
「精市」
「何だい」
「悪いな」
「……は」
「白状すると、前々からあの人のことを話しているお前がひどく楽しそうだったから気になったんだ」
「……へえ」
「お前にあんな楽しそうな顔をさせるのはどんなに魅力的な女性なのだろうかと思ったんだ」
「…………はーん」
「精市、もしお前があの人を大事に思っていたのだったら俺は」
「ちょっと待った。参謀らしからぬ先走りだな、柳。らしくもない。恋は人の視野をせばめるっていうけど、流石のお前も人の子らしい。いいかい、まずは情報を正確に把握することだ。一つ、あの女は俺のおばあさまの古馴染みでお気に入り。二つ、あの女はフラワーショップ幸村の代わりのきかない看板娘。三つ、あの女は俺の」




俺の? 胸の内で自問する声に返る答えは早かった。
心からの本音を口にするなんてめずらしいね、と自分に一言言いおいて俺は柳に向き直る。
は俺の、




「姉みたいなものだ」
「……精市」
「仕事がとろくて不器用でケガばかりこさえてる要領の悪い女だけど、植物に商売に誠実な人間だ。きっとお前の信頼に足る女だよ」
「お前が言うなら間違いないな」
「それでも柳が気をかけてやるほどの女ではないけどね」
「褒めたり貶したり忙しい奴だ」
「だって事実さ。あとでうち宛に返品されても困るからね。先に商品説明をしておくのが商い者の努めだろう」
「ご親切な商いだ」
「うちのおばあさまの店だからね。万事ぬかりは許されないんだ。いいかい、あとで花が咲かなかったとか枯れたとか言ってつっ返しにくるんじゃないよ」
「精市、」
「で、さっきの答えを俺はまだ聞いていなかったと思うんだけど。もう一度聞くよ。お前たちが付き合うことになったら、お前はどうするんだい?」

答えは待つ間もなくすぐに返った。

「無論、大事にさせていただく」

その時の柳が見たことのないひどく優しい顔をしていたので、それじゃあ、まあ、どうぞお持ち帰りくださいと言ってやる気分になった。
気分になっただけで言ってないけど。



中三と高二で付き合ってそのまま結婚するなんてほとんどあり得ない話だろうが、もしこいつらが結婚式なんぞ挙げることになったら俺は新婦の客として出席する。
そしてフラワーショップ幸村でつくったブーケを恭しく花嫁姿のに捧げ、中森アキナの難破船でも歌ってやろう。 古馴染みの姉貴分に贈る祝福を、弟分の責任を持って正しく全うしてやるよ。



「中島みゆきもいいかなぁ」
「?」
「楽しみだ」




















翌日は部活をサボった。理由はあるけど言わない。
惰性に任せて訪れた花屋ではたった一人の従業員が黙々と作業に集中している。
いくつもあかぎれを作った女の白い手がスルスルとバラの棘を撫でるように優しく手折っていく。

俺は傍らでそれを見ている。









家族の手前