改札を出て、いつも通りの通学路を歩いていると、見なれた後ろ姿が目に入った。
相手は自転車に乗っているのでそのまま行くかな、と思ったら、横断歩道で信号にひっかかった。
ので、声をかけた。


「宍戸、おはよー」


背中はすぐに振りむいて、わたしを見つけて、おう、と軽く手を上げた。


「宍戸チャリ通だったんだ」
「おお、は電車だっけか」
「うん。ていうか、あれ、そいえば朝会うのめずらしくない?」
「ああ、部活の朝練なくなったからな」
「あ、そっか」



今日は二学期の始業式。
宍戸に限らず三年生はこの夏で部活を引退した人がほとんどだ。


「ま、なくなったのは朝練だけだけどな」
「え、そーなの? テニス部って引退ないの?」
「ないわけじゃねーけど、なんだかんだレギュラーだった奴は自主練でだいたい出てくるな」
「えーすごいなテニス部!」
「でもねーよ。高等部行く奴はけっこう多いぜ、うちの部以外でもそういう奴ら」
「へー……そうなんだー……氷帝生、気合入ってんなー…」
「ってお前も氷帝生だろ」


は、と宍戸が軽く砕顔する。
体育会系に打ち込む少年の、見本のような日に焼けた笑顔だ。


「いやわたしは文化部だからなあ……そういうのとは無縁で……そつかー運動部かっこいいなあ」
「普通だって。そういや、文化部だったな。なんだっけ」
「そー。手芸部」
「手芸? お前が? ……いや、悪ぃ、なんでもねぇ」
「言いたいことはよくわかる」


宍戸とは去年と今年同じクラスで割とよくしゃべる方だったから、普段のわたしのがさつをよく知っているのだ。


「まー、うちは、氷帝は帰宅部禁止だから、それなら、って入るよーな感じのゆるーい部活だったから。みんなで糸と針持って集まって、お菓子食べながら適当に巾着縫ってる……みたいな」
「けっこう楽しそうじゃねぇか」
「うんけっこう楽しかった。熱血とか青春とはかなり無縁だったけどね」


毎日早朝から暗くなってもテニスコートに立っていた宍戸と比べると、いや、とても比べられないほど、ゆるい。ゆるっゆるのぬるま湯3年間だったなあ。
もちろん、わたしはそれが楽しかったし、この3年間に満足しているんだけど。
血のにじむような努力をしてきたと、傍で見ていてもわかる宍戸の耳に聞いていただくにはちとお恥ずかしい。


「別に、お前がよかったんならいいんじゃねぇの?」
「まあね。ありがとう」
「礼言うとこかよ」


また、宍戸が小さく笑う。
宍戸の笑顔は見ていて本当に気持ちいいなあ。




信号が青になった。
もちろん先に行くだろうと思った宍戸は意外にも自転車を下りて、横に並んでいっしょに歩きだした。


「あれ、行かないの」
「おお。別に急いでねーから」
「……あれ、宍戸ってわたしのこと好きだったっけ」


もちろん、100パーセントの冗談でついからかうと、宍戸は一瞬言葉の意味がわからない、というように目を丸くした。
そして一瞬後には思い切り眉根をしぼった。


「……ああ!?」


その顔がやや赤い。


「いや、ごめんごめん、じょーだん」
「冗談に決まってんだろ馬ァ鹿!!おっ前……馬鹿じゃねーのマジで」


馬鹿と断定しつつ、マジで、と聞き直すとは、宍戸、動揺しすぎです。


「ごめんごめん、馬鹿でごめん。馬鹿だから許して」
「……っとによ……」
「いや、宍戸、チャリでサーっと行っちゃうもんだと思ったからさ。いっしょに歩いてくれてうれしくてつい。ハハハ」
「ハハハじゃねーよ! ……つか、ダチと会って話してて、別に急いでなかったら普通、そのまま話しながら行くだろ」
「…………ダチ?」
「……なんだよ、友達だろ?」
「……うん」
「……は!? なんだ? もしかして違うのか!?」


怒ったのか、恥ずかしいのか、宍戸の顔がまた赤くなる。

わたしはあわてて手を振った。


「いやいやいやいや!友達!です!超友達!!わたしたちは友達!!!」
「んだよ……友達だと思ってたの俺だけかと思って焦ったじゃねーか……!」


宍戸はちっと舌打ちして唇をわずかに突き出した。


「ごめんごめん。……いや……なんていうか……ちょっとびっくりして」
「ああ? 何にだよ」
「えーと…………」


宍戸はわたしにとってはもちろん、友達だ。
普通に2年間クラスメイトで、よくしゃべる方だったし、親しいと言ってよかったと思う。
客観的に見て、クラスメイトで、友達。大丈夫、間違いない。普通に事実。


でも、それを今、宍戸の口から聞いたら、驚くほどうれしかったのだ。


「わたしはけっこう宍戸を尊敬してるから」
「……は?」
「尊敬してるクラスメイトから友達って言ってもらえたら、いやぁ、うれしくてびっくりしちゃったよ。へへへ」
「……まだからかってんのよ、お前……」
「やだなぁ、本心だってばー」


へへへへへ、とわたしも照れくさくなって宍戸の背中を軽く叩く。


「尊敬とか、なんでだよ。ねぇだろ」
「あるでしょ」
「ねぇよ」
「あるって」
「……ねえよ」
「あるっつってんのに、もー」
「…………どこが」
「えー? そら宍戸はさーいつもがんばってるから。毎日毎日、ひたすらずっとテニスやっててさ、2年間同クラでそれ見てたら、するよ、尊敬」
「そんなん当たり前のことだろーが」
「だから、宍戸の「当たり前」はわたしにとっては「尊敬」なんだって」



宍戸はそれ以上、わたしの言葉を否定しなかった。 あんまりうまく言えなかったけど、伝わっただろうか?


横目で見ると、ちょっとそっぽ向いた宍戸の表情はうかがえなったが、まあ、怒ってるわけでもないだろう。


と、宍戸の肩口に何かがとまったのが見えた。


「あ、宍戸」
「あ?」
「見てほら、テントウムシ」


言われて、宍戸は顎を引いて自分の肩を見やる。


「お、ほんとだ。テントウムシって春だけじゃねーのな」
「宍戸、運がいいよ!」
「なんでだよ」
「なんか外国ではテントウムシってレディバードっていって、体にとまった人に幸運を運んでくれるらしーよ」
「へえ。……なんか詳しいな」
「昨日、夏休みの自由研究で調べた」
「自由研究!?テントウムシを!? お前、小学生かっつーの。つか、昨日って……夏休み最後の日に宿題やんのかよ」
「自由なんだから何調べてもいーでしょー。まぁ、たまたまテレビで昆虫特集やってたからほとんどまる写しだけど」
「手抜きにも程があんぞ!」
「まーまー。あ、ほら、宍戸、ちょっと手、上げてみて」
「あ? ……こうかよ」
「もっと、えっと、いっちばーん、とか、この指とまれ、てやるみたいに人差し指出して、まっすぐ腕、頭の上まで高く上げて」
「なんでだよ!んな、」
「はやくはやく!ほーら!」


何か言いたそうな顔をしたものの、急かし立てると宍戸は言った通り、腕をまっすぐ真上に伸ばし、サッカーでゴールを決めた選手のように人差し指を立てた。


道が混んできた通学路では少々目立つため、周囲の生徒が何事か、とこちらへ視線をよこしている。

だからなんなんだよ!と顔を赤くする宍戸に、ほら、と彼の肩から、空へ伸びる腕へ移動するテントウムシを指さす。


「見て」


テントウムシは宍戸の上腕から肘、手首へと登っていく。
そして、手の甲から人差し指を渡り、短く切った爪の先端から羽を広げて飛び立った。


それを見ていた周囲の生徒たちといっしょに、宍戸とわたしも、おおー、と声を上げる。


「でしょでしょ!」
「って、何がだよ!」
「負の走地性っていってね、テントウムシの習性なんだって。重力に逆らって進んで、一番高い場所から飛び立つんだよ」
「へえ」
「実際目の前で見るとすごいねぇ、なんか感動した!テントウムシ、きれいだったー」
「重力に逆らって、一番高い場所から、か」


飛んでいったテントウムシはもう見えないけれど、宍戸はその軌道を追うように空を見ている。



逆境を這うように進んで高い場所を目指し、より高い空へ飛んでいく小さな生き物は、言わずとも隣の同級生をわたしに連想させた。


そんなことを言ったらまた顔を赤くして怒るか照れるかするのだろうから、黙っているけれど。


いつか、このクラスメイトが登りつめた高い木の枝の突端から、その上の世界を目指して飛び立つところを見てみたい。
あなたの努力のごくごくごく、ごく一部を知る友達として。




「行こっか」
「おお」











負の走地性