「おうおう、相っ変わらずしけた面して歩いとんなぁ」 駅の改札を出たところで馴染みの顔に出くわした。 ひょろりと高い背に脱色した明るい髪がよく目立つ。 一年ぶりに目の前に現れた謙也は少しも変わっていなかった。 「なんかええことないんか、おう」 毎年わたしを見つけるとわざとらしく背を丸めてチンピラめいた仕草で絡んでくるのがなぜか彼の再会の決まりごとになっている。(100パー照れ隠し) それにこう応じるのはわたしの決まりごとだ。 目は出来るだけ見開いて、信じがたいものを見たように体をすくめ、 「うわ出た!」 「出た!てなんや。痴漢やあるまいし。来て下さった、やろ。さあ、お帰りなさい、謙也くん☆と言え」 「お盆だからね。帰ってくるとは思ってた」 「お待ちかねやったくせに、素直やないなーお前は!」 「待ちかねてたのはそっちでしょー。さあ、ただいま帰りました今年も少しの間お付き合いくださいませと言え」 「ただいま帰りました今年も少しの間……って誰が言うか!お前が俺がおらんとさみしゅーて泣きよるから忙しいとこ暇見つくろって帰ってきてんねん。感謝せえ。喜べ」 「わー あー うれしいなー 楽しいなー 謙也くんありがとー」 「待て。目が死んどる」 「謙也に言われたくない」 「どこ見とんねん俺の目はピッチピチのキラキラや」 「…………………………」 「ちょ、無視だけはやめぇや!」 「…………………………」 「アホか!こっち見い!一年ぶりに会った幼馴染になんちゅー仕打ちやねん!せっかく帰ってきてんのに!ちょお、何か言えや!」 「うんこ」 「うんこぉぉぉぉぉぉ!!!?はぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!???」 「うん、」 「うんんん!?」 「おかえり」 「………は?」 「おかえり、謙也」 「………………おう」 「うん」 「ただいま」 一つずつうなずきあって、並んで歩く。 駅から十分、あっという間の道のりを出来るだけゆっくり、ぶらぶらと。 「ほんで、どや」 日が傾いて苛烈な日差しの角度がなだらかになっても、大気に含んだ熱が逃げ場を失くしてたちこめている。 六時を過ぎたというのに夏の夕暮れは明るいまま、暑いまま。 「どやって。何がどう」 「彼氏できたか?」 にかっと憂い一つなく笑う顔が夏に似合いの見なれた謙也だ。 「財前くんにこないだ告白した」 「おっ前まだ財前のこと狙ってたんかい!」 「こないだ一泊旅行にいった。温泉」 「いきなりかーい!段階踏めや!はしたない!」 「いやうそだけど」 「知っとるわ。ノリで付き合っただけや。財前がお前、てのはない。世界が明日ピンクのヒヨコで埋め尽くされてもない」 「何そのたとえ……」 「死んでもないちゅーことや」 「死んでもねぇ………」 「ちゅーかお前、一回聞こ思ててんけどな、ほんまに財前のこと好きなん?」 「……なにその顔。なんかしょっぱいんだけど」 「お前があいつのこと好きなん、なんや気持ち悪いわ……財前、逃げ!て言いたなるわ……あいつもあれでかわいい後輩や。女で苦労させとうない」 「苦労させないって。幸せにするって」 「幸せの意味を見失うわ」 ハハハとうつろに笑う謙也の頭を反射的にどつこうかと思ったけどやめた。徒労だ。 「本気で好きだったら謙也なんかにくだ巻いてないでさっさとものにしてるって」 「どの口が言うねん。ものにするってお前。かわいそうに」 「でもこないだ久しぶりに駅で会った。元気そうだったよ」 「財前?」 「金ちゃんもいっしょだった」 「おー!金ちゃん!あいつは絶対元気や。聞かんでもわかる」 「うん、元気だった。すっごい背伸びてたよ。こんな」 謙也の頭の高さと同じくらいに手をかざす。 「ほー!そらまたごついなぁ!俺もう伸びひんからなぁ」 「ていっても充分高いでしょ」 「成長期早かったからな」 「わたしも。中学出てから全然変わってない」 「せやんなぁ。18にもなって色気もへったくれもないもんな」 「ハハハハ、殴りたい」 「暴力反対」 「反対の反対」 「反対の反対の反対」 「反対の反対の反対の反対」 「反対の反対のはんだっ……」 「…………」 「スルーかい!あ、噛んだ!くらいつっこめや!大阪人の礼儀や!」 「わたし出身関東だもん」 「だもん、て柄か。十年以上こっちに住んどるくせに言葉も染まらんし」 「…………」 「またスルー!?やめぇや!いじめ、かっこ悪い!」 「ダメ・絶対」 「ほんまや。無視されるんは一番つらいねんで」 「はいはい。あ、そうだ」 「うん?」 「会いたがってたよ、財前くんと金ちゃん」 「へ、俺にか?」 「白石くんに」 「ってなんでやねん!」 「てゆーか今の話の流れであんた以外に誰がいんのよ」 「やぁ、まぁ、せやんな。俺やんな。へへへ」 「へへへって。まあ、にやけた顔して」 「やってうれしいわ。俺も会いたいんやけどなぁ。思うように時間作れんかって。ままならんわ」 「伝えておくよ」 「おう、頼むわ」 「うん」 「………………あ、そうや」 「うん?」 「にも伝えたってくれ。きれいになったって」 灰色の、怪獣の肌のようなアスファルトをにらんでぶっきらぼうに言われた言葉に足が止まった。 「………………………はい?」 「………………………」 「…………はわたくしですが」 「………知っとる」 「なんだ今の伝言ゲームは…………本人宛に言付けしてどうする…………」 「………そないな目で見るな………今めっちゃ後悔してんねん………」 「寒すぎる………」 「わかっとるわ!猛省中や!」 「人褒めて反省すんな!その前に、「………あ、そうや」で入るの急すぎ!」 「仕方ないやろ!いつ言おうか考えててん!」 「思ったらその時その時に言え!」 「はぁ!?そんなに何度も思うかい!久しぶりに見て、あ、てちょびかし思っただけや!昔と比べてほんのちょびっと!」 「ちょびっとなんやって?」 「はぁ?」 「ちょびっとなんやってか」 「…………………」 「誰がきれいになったって?」 「……おっ前、調子のんなや!」 顔を真っ赤にしてきれる謙也がおかしくてお腹を抱えて笑った。 「ったく性の悪いやっちゃ」だの「なんやその関西弁、ヘタッカス」だの、小声でぶちぶちぼやいてる謙也をよそに涙が出るまで笑った。 「っあー、お腹痛い」 「笑いすぎやろ……」 「どんまい謙也」 「慰めるな!」 背中を丸めて、まだ顔を赤くしている謙也を見たらまた腹筋が震えてきたけどこれ以上笑ってもかわいそうだ。いじめかっこ悪い。だめ絶対。 あー、と息をついてばか笑いの余韻を逃がす。 会話が切れた隙をつくように湿気た風が強く吹いた。しぼればしたたりそうに水をふくんだ重い風。 心地いいとは言えないけれど、ないよりはまし。 わたしの髪の先がゆれてわずかになびいたのを謙也がちらと見たのがわかった。 謙也としゃべるのが一年ぶりなら、謙也と沈黙するのも一年ぶりだ。 この無言もなつかしい。 風がやむのを待って、そうそう、とついでのように切り出した。 「謙也、あんたのいない夏は手持ち無沙汰だよ」 謙也はおっ、と目を丸くした。 「なんや、いきなり素直になって」 「わたしは素直な人間なんですよ」 「アホ。よう言うわ」 「時間もあんまりないから、言いたいこと言っとこうと思って」 「おう、まぁ、ええ心がけや」 「たまにはもっとゆっくりこっちに帰ってこれないの?」 「そう言いなや。毎年帰ってきてんやん」 「ちょっとの間だけね」 「ほー、俺がおらんとそんなに寂しいか」 言って、口角をつり上げてニヤと笑った。あ、調子に乗りはじめた。 「お前はほんま俺離れできんなー。しゃーないやっちゃ!ええ加減大人になりぃや!」 「(俺離れって……)」 「いくつんなっても甘えたさんで手に負えんわ!」 「(甘えたさんて…)寒」 「あん? なんやってか?」 「……ほんとだよ」 「あ?」 「ほんとだよ。わたしはしょーがない奴なんだよ。いくつになっても大人になれないダメな思春期引きずってる甘えたさんなのよ……」 「ちょ、なに認めてんねん。食ってかかってこいやノリ悪い気色悪い!変なもんでも食ったんか?」 慌ててわたしの顔をのぞきこんでペッしたらんかい、ペッ、と自分の胸のあたりをさすって見せる。(お前はわたしのお母さんか) 変なところで腹が据わっているくせに、ささいなことですぐに動じる忍足謙也。 あと100年生きたとしても絶対そういうところは変わらない。変えないでいてほしい。 「さみしいよ」 「は?」 「さみしいんだよ」 お前がおらんと。 言葉をそのまま素直に返すと謙也はうっと詰まった。 自分から吹っかけたくせ。 詰まった何かを飲み下すように一つ大きく喉仏を上下させてから、言い訳するように言った。 「俺かってめっちゃさみしいわ」 ほんま、と言い足して素直に心をのぞかせる。 「世の中ままならんなぁ」 本当に、とわたしはその声にうなずく。 それを声に出して伝えようと口を開く一瞬前、ふと、道路の隅に新しく手向けられた花束が目の端に入った。 固い蕾が緩んだばかりの咲き染めの白百合、すっと首を伸ばしたグラジオラスの白さが瑞々しい。 あ、と思って振り向くと謙也の姿はすでになかった。 駅からどんなにゆっくり歩いても十分。 ああ、やっぱり、あっという間だ。 謙也のおばさんが息子のために飾った白一色の花束の前に屈んで、手を合わせる代わりに白百合の花弁をそっと親指の腹で撫でた。 この角で謙也が事故にあってから四年が経つ、と知ってはいても実感するのは難しい。 あれのいない時間はあんこの入っていないどら焼きのようなものでどうにもスカスカで食べたという気がしない。お腹にもたまらない。 時間だけを消化して、排泄できず、栄養にもできず身体も心も首をひねっているような。 でも、言い訳ではないけれどその中に愛しいと思う人も気持ちも、楽しいことも、たしかにあるのだ。 そして懺悔ではないけれどあれを思い出さない日も多くある。 ああでも、それでもやっぱりあれと笑い合うくらいくだらなくて楽しいことはこの世にはないかなぁ。 それともわたしが世界を知らないだけかな。 思って、少し笑う。 でもとでもを繰り返して、右と左の自分の肩のいったいどちらをわたしは持ちたいのか。 建前の盤上で言葉の陣取りゲームを指しながら、胸の底からええいそんなものしゃらくさいと蓋を開けて顔を出す慕わしさが全てを押し流していく。 わかったわかったとわたしはその感情の頭を撫でる。 会いたかったのは、わかってる。 あんたがあれが好きなのは、わかってる。 わたしはわたしを抱きしめる。 今より幼い十五才のわたしは、四年経ってもいっかなこの場所から動こうとしない。 駅から歩いて十分。これだけの距離で謙也はいってしまう。 一年に一度、お盆の時期だけ帰ってきてくれる幼馴染はスピードスターの呼び名そのまま気性もせっかちに出来ている。 迎え盆の夕時、花束を手向けた向かいの知らないおうちの玄関先にきゅうりとナスが四本足をつけて立っているのが見えた。 火を焚いて、煙を上げて、あなたの帰る家はここなのよ、早く来てねと合図を送るその気持ちはよくわかる。 川を隔ててあちらとこちら、彼岸に此岸とはよく言ったもの。 夏の盆、暑さで干上がる三途の川の両岸でわたしたちは一瞬手を振り合って短い時を共にする。 亡くなった人を背に乗せて、少しでも早くこっちへ帰ってきてほしいからきゅうりは足の速い馬の見立て。 あっちへ戻る時は出来るだけゆっくりしていってほしいから歩みの遅い牛の見立て。 せっかく心をこめて用意しても謙也なら行きも帰りも自分の足であっという間の道中だろう。 向こう岸で「どや、三途の川も一足飛びのスピードスターやで!」と派手にガッツポーズをする謙也の顔が目に浮かぶ。 「ばーか」 つぶやいたら笑ってしまった。 川の対岸に分かれ、これ以上なく隔たっても君は何にも変わっちゃいない。 せっかく会える夏なのだから、自慢の俊足はこの数日間はしまっとけ。 胸の内、呆れてため息をつくふりをしても駄目だ。 うれしくてさみしくて笑ってしまう。 本当にせっかくの夏なのだ。 君に会える。 逢 瀬 「そないにさみしいんやったらこっちに来るか?」 「迷わず成仏して下さい」 「じょ、冗談やって!拝むな!(成仏してるし!)」 世界を縁取る川の瀬を、ひと時歩幅を合わせて寄り添い歩く
夏の背中の待ち合わせ |