「あんたがバスケをやめるのを?」



何の話だこりゃ。そもそも何を待ってろなんだったか。忘れた。

が似合わねー神妙な顔で下を向いてる。なんだ。なんなんだ。


「楓」
「?」
「バスケやめないで」
「あ?」

何を急に。

「一生戻ってこなくていいから、ずっとバスケの世界にいて」

一生?

「(……戻ってこなくていい)…………」
「アメリカでもブラジルでも日本でもどこでもいいの。場所なんてどこでもいい。一生、生きてるかぎりバスケの世界にいて」


ブラジルにプロバスケあったか……?


「…………」
「戻ってこないで。ずっとそっちで生きていって」

下を向くの目からまた水が出てきた。今日はよく泣く。珍しく泣く。
さっきから何の話をしてやがる。
その涙はなんなんだ。
疲れる。焦る。眠くなる。参る。

「泣くな。うぜー」
「たしかに。うざったい、この目」

……自分で言うなら

「…………何で泣く」
「……白熊が」
「あ?」
「白熊は、氷河が溶けたら生きていけないんだろうな、と思うのと同じ気持ち……?」
「………」

あほうの言葉は通じん。

「バスケがなかったらあんたは生きてけなさそうだ」

通じた。
俺もあほなのか……?
いや、ちげー。断じてちげー。

この女は、んなこと考えてやがったのか。話の全容が見えてきた。
ますますあほうじゃねーか。
その上ごめんと謝ってきた。
どこまであほうになるつもりだ。
人のこと人より先に必死に考えてんじゃねー。そんなんで泣いてんじゃねー。
うぜー。うるせー。
そんなのは、

「獲らぬ狸の皮算用」
「………それを言うなら、案ずるより産むが易し……いや、転ばぬ先の杖?」

知らねー。

「……どっちにしても、どあほう」

が笑った。たしかに、とうなずいて笑った。
ついにあほだと認めやがった。
お前みてーなあほは他にはいねー。日本一のあほだ。一億人の一位。頂点。あほはあほらしく笑ってりゃいーんだ。
そんだけで十分だ。



「んー?」


お前があほでありがてぇ。

「いってくる」


思い残すこと一つなく。








楓は前を見ている。わたしは前を見ているその目を見る。
どんなに強い風が吹いても空を飛べないことはもう知っている。
けれどその足が地面を蹴れば望むだけ体と心を運んでいけることも今はちゃんと知っている。
この男は自分でとっととレールを引いて、勝手に石炭を燃やして汽車を走らせる。
そのレールの起点にわたしは身をかがめ、冷たい鉄の道に耳を寄せる。
遠く轟く車輪の音を聞きながら、君の名前をきっと呼ぶ。
目の裏に見慣れた背中が浮かんでやがて小さくなっていく。
振り返らなくていい。帰ってこなくていい。
いけるところまで

「いってらっしゃい」






いってらっしゃいと言うこの女の声は発車を知らせるベルのようだった。
そーか。わかった。
ベルが鳴ったなら、走るだけだ。







そろそろ汽車の出る時間