君のゆく年、君とくる年





「そういえば、お母さんセブンマートの角でガーくんに会ったわよ」
「ガーくん?だれ」
「ほら、ガーくんよ、柳沢先生のところのほら、だーねくん」

大晦日、新年の買い出しに行ってたお母さんが、ただいま、と言った後コートを脱ぎながら、わたしにとっては軽く世界を塗り替える情報をもたらした。

「えっ、だっ、だーねくん?だーねくんて、お母さん、柳沢だよね?」
「だから柳沢先生のところのって言ったでしょう。それにだーねくんって言ったら一人しかいないんじゃないの」

うちのお母さんは昔から柳沢のことをだーねくんと呼ぶ。(ビューネくんみたいだ)(わたしは癒されるけどね!)理由は言うまでもない。

「ガ、ガーくんなんて言うからわかんなかったよ」
「あら?、ガーくんて呼んでなかったっけ?」
「呼んでないよ!」
「じゃなんでお母さんそう呼んだのかしら」

アヒル→ガアガア→ガーくんの変遷は察するに難しくない展開だ。じゃなくて。呼び方はとりあえずなんでもいいからお母さん!

「でっ、で、柳沢、どうだった?」
「元気だったわよ」
「あっ…そ、そうなんだ。よかった……あっ、あとは?」
「背が伸びてたわねぇ。男の子ってすぐ大きくなっちゃうわねー」
「へ…へえー……そうなんだ。え、で、どこ行くとか言ってた?」
「ゆーちゃんちに遊びに行く途中だったみたい。お菓子とか持ってたわ」
「ゆーちゃんか……てことは松下とか山ちんとかもいっしょだな……(うらやましい)えー、いつ帰ってきたんだって?」
「昨日の夜こっちに帰ってきたんですって。で、二日には向こうに戻るって言ってたわよ」
「えっ、じゃ今日と明日しかいないんじゃん!」
「そうねぇ。忙しいわねぇ」
「そうか……柳沢、大変なんだね……ていうかお母さんだけ会うなんてずるい!ずるすぎ!」
「なによう、偶然よ」
「何言ってんの!偶然じゃなかったら怒るよ!あー……今日と明日しかいないなんて……きっとずっとゆーちゃんや家族といっしょなんだろーなー……いいなー……わたしもちょっとでも会いたかった」

だらりと両肩が下がった。あー。もうだめだ。せっかく柳沢が久しぶりにこの町に帰ってきたのに。
今日と明日だけなんてものすごい偶然が奇跡レベルで起こらなきゃ会えない。お母さんは簡単に起こしたけど奇跡。無欲の奇跡ってこういうことなんだね。

「お母さんてミラクルな女だね……」
「そうよお母さんはミラクルなのよ。しかもとっても優しくて気がきくから、ガーくんにちゃんと、今日の年越しはどうするの?どっかお参りいったりするの?て聞いてきてあげたわよ」
「……!! 聖母……! マリア!お母さん!」
「たしかにわたしはあなたの生母だけど……ちゃん本当にだーねくんが好きねぇ」
「うん、そりゃもう!」

わたしが柳沢のこと好きなんて、家族内では昔からバレバレだったので今更ミジンコほどの照れもない。
あんまり態度が明け透けなもんだからファン扱いされてる。ちゃんと乙女的に好きなんだけどね!
それよりお母さん、どっちでもいいからガーくんかだーねくんか呼び方統一してください。

「ガーくん、今日は小松川神社にゆーちゃんたちと二年参りに行くんだって。鐘鳴らすって張り切ってたわよ」
「ということは、わたしも今晩小松川神社に行けばまず間違いようもなく柳沢に会えるってことだよね!?」
「事はそうなるわね」
「イエス……!お母さん、ありがとう!」
「(イエス…?)いいえ、どういたしまして。だれか、ちゃんとお友達誘って行くのよ、時間遅いんだから」
「イエスマム!愛してる!」
「(マム……)はいはい、お母さんも愛してる」






「というわけで、今この中に柳沢がいるんだよタキちゃん!」
「わかってるよ……それもうさっきか10秒に一回くらい聞いてるよ……うるさいよ(ぼそっ)」
「どうしよう……タキちゃん、わたしうれしくてどうしよう……?」
「どうしようもない(お前が)」
「ね、ほんとどうしよもないよね……うれしくて!」
「……ほんと、はずっと柳沢が好きだよね………あのさ、なんで? なんでそんな好きなの?」
「いやだ、タキちゃん、だって柳沢だよ?」
「だから聞いてるんだけど」
「柳沢は、だって、とってもいいところがあるんだよ」
「柳沢はたしかにいい奴だと思うけど……もてるタイプじゃないでしょう。具体的に、どこがいいの?」
「ああ……ひ、一口に言うのは難しい……な、なんていうのかな、柳沢はさ……、こう、」

いっつもにやにやにこにこしてて、明るくて、いっしょの空間にいるとすっごく安心できて、実は自分がちょっと不機嫌なときでも周りの空気を悪くしないよう冗談にしてぱーっと笑いをまき散らかして、空気読めない、なんてたまに誰かに言われたりしてるけど、本当は空気が引きつったときに自分を道化役にして周りをほっとさせてくれるんだよ、そんでもってそれを誰にも気づかせたりしないんだよ、それってすっごくかっこよくない? え、わたしがなんで気づいたかって? そりゃいつも柳沢を見てたからだよ!


「あ、柳沢」
「えっっっっ」


タキちゃんが指差した先を振り向くと、そこにはたしかに柳沢がいた。
神社の境内の、今は裸の大銀杏の木の下でゆーちゃんや山ちんたちと笑っている。

柳沢は白いフードパーカーに明るいブルーのダウンなど着ている。
に、似合ってるぞ柳沢……!いい……!久し振りの生柳沢だ!夏以来だ!か、感動する……。

「……なに涙ぐんでんの」
「いけない、目からダイヤが」
「……(このこ…)」

ぐいっと手の甲で目のふちをこすって鼻をすする。泣いてる暇はない。

「タキちゃん、行こう!」
「はいはい」

柳沢(と愉快な仲間たち)にさり気なく接近するわたしたち。

「柳沢ー、ひさしぶり!」
「おう、!ひさしぶりだーね!」

柳沢に名前を呼ばれると、自分の聞きなれた苗字がなにか特別なものに思えるから不思議だ。
元旦の朝に上る朝日のようだ。キラキラだ。

柳沢、元気そうだね、背、伸びたね、そのパーカーアヒルみたいですっごく似合うね、なんてことをずらずら続けたかったけど、その前に、ゆーちゃん、松下、山ちんたちに「こんばんは!寒いねー!」と挨拶を交わす。

友達としての礼儀だ。礼儀は大事だ。
それにいくら家族や女の子の友達にわたし→恋→柳沢のベクトルが明け透けでも、柳沢本人や男の子の友達に感づかれるのはよくない。
もしばれたらわたしが恥ずかしいのはわたしのせいだからいいけど、柳沢に居心地悪い思いをさせてはならん。ただでさえたまにしか帰ってこない故郷なのだ。柳沢にはゆっくり寛いでまた東京へ戻ってほしい。片思いの仁義だ。仁義は大事だ。

それぞれがそれぞれと挨拶しあって、ちょっと間が空いた。よし、わたし、いけ。と思ったら、

「そういえば昼にのかーちゃんと会っただーね。あいかわらず若いかーちゃんでうらやましいだーね」

柳沢から話しかけてきたくれた。お母さん、やっぱりお母さんはミラクルな女だよ!しかも若いって誉められてるよ、よかったね!

「うん、会ったって言ってた!柳沢、背伸びたって言ってたよ。ほんとに伸びたねぇ」
「そーか? 自分じゃよくわからんだーね」 
「昨日帰ってきて明日には帰るんだって?忙しいんだねー」
「んん、忙しいってほどじゃないけど内部受験の準備があるだーね。ちょっと数学以外は期末でまずったから本気出してやらなきゃだーね……とほほ」
「そっか、柳沢やっぱりそのまま東京の高校進学するんだ」

それはもう九割以上何となくわかっていたことだったので改めて柳沢のあひる口から聞かされてもショックはなかった。

「テニス続けるんだよね?」
「もちろん!」
「そっかー。柳沢のテニスしてるとこって見たことないからなー。一回くらいは見てみたいよ」
「一回見たら何回でも見たくなるだーね!テニスしてる俺見たら惚れるだーね、

細い目を山形に曲げてウッシッシと柳沢が笑う。
もう惚れてるよ、とこういう時さらりと言えたらかっこいいのにな……いや引くか。

「卒業したらまた一回こっち戻ってくる?」
「おー、入学まで一月くらいあるから今度はもうちょっと長く帰ってくるだーね」
「無事進学できればね……」
「不吉なこと言うなだーね!できるだーね!」
「柳沢はやればできる子もんね」
「おっ、中々わかってるだーね。楽勝だーね」
「やらないとできない子だけどね」
「一言余計だーね!」

地団駄を踏んでおどける柳沢。ああ、本物だなぁ、ってようやくわたしは実感した。本物の柳沢だ。

「じゃあ次会うときはわたしたち高校生だね!入学祝いで今度はお花見でもしようか」
と?二人で?」

ぜひそれで。なんて言えるわけない。

「みんなで!お弁当とか持ち寄ってさー。楽しそう!」
「そいつはいいだーね!けど花粉がすごそーだーね」
「あれ、柳沢花粉症?」
「いんや俺は違うけど、たしか花粉症だっただーね」
「あれ、なんで知ってるの?」
「医者の息子をなめるなだーね」

ウシシ、と得意げに顔をくしゃっとさせて笑う。

「……やるじゃんお医者のご子息」
「まーねだーね!」
「じゃ、今度は帰ってくるときメールしてよ。みんなにも声かけるからさ」
「了解だーね。って、あれ、今回はにメールしてなかっただーね?」
「してないよー」
「近所の友達にはみんなしたと思っただーね」

あれー?なんて頭をポリポリかいてる。
近所の友達みんなにしてる、とわかっててもそのセリフはちょっと、うれしすぎる。
そうか、柳沢、わたしに帰郷メールをくれてたつもりだったんだ……!

「メールもらったらちゃんと返すし!」
「そうかー?忙しいのかと思っただーね」
「忙しくないよ!もし忙しくっても柳沢のメールに返信しないわけないじゃん!」

冗談めかして実のところまったくの本心をドキドキしながら努めて軽く伝えると、

「そんなに俺の帰りを待ちわびてくれてたなんて感激だーね!はいい奴だーね!」

なんて言ってわたしの背中をばんばん叩く。
音だけ大きいけど力なんて全然入ってなくってさ。なんだその気づかい。勝手に大人っぽくなっちゃって。

「まーね、わたし、いい奴だからね!と、ところで、ど、どう?柳沢も彼女とかできた?」

さり気なさを精一杯よそおったけどだめだ。声が裏返った。ちっ、わたしったら乙女じゃないか。

「んーにゃ。さっぱりだーね。どーして女子はみんな俺の魅力に気づかないだーね?みーんな観月観月って、観月のどこがいいだーね。あんなの彼氏にしたら3日で8キロは痩せるだーね!」

その計算でいくと二週間ちょいで人一人消えてなくなるぞ。

「観月さんてそんなすごい人なんだ。よく名前聞くけど」
「おー観月はすごい奴だーね!テニスの腕も立つし頭もいいし、顔もいい。性格はちょっと陰険だけど中々おもしろい奴だーね!」

結局ほめてちゃってさ。柳沢のそういうところがわたしはとっても好きだよ!と言えたらなぁ。いいんだけどなぁ。無理だ。無理無理。
そう言ったときの柳沢の顔が少しも想像できない。

ふと柳沢が左手のごつい腕時計を見て短く口笛をヒュイっと吹いた。(古い!)(かっこいい!)

「おっ、いよいよ今年もあと15分でおわるだーね。、もちろん鐘はついていくだーね?」
「もちろん!」
「じゃそろそろ列に並ぶだーね。甘酒もらってくるから、行ってるだーね!」

言うが早いがたたたーっと甘酒を振舞ってる大鍋へ走っていく。柳沢のブルーのダウンが離れても明るく光って見える。
柳沢に、わたしに、タキちゃん、ゆーちゃん、松下、山ちん、六人分もの甘酒を一人で運ぶのは大変だろうに、手伝って、の一言もなく行ってしまって。柳沢らしいったらない。

「タキちゃん、ゆーちゃん、みんなで鐘の列に並んでて。わたし甘酒運ぶの手伝ってくる」

おー、とかありがとー、とかいう声を背中で聞いて、大鍋の前の柳沢の元へ駆けて行く。ここにも甘酒を待つ人たちの列ができていた。

「あれ、来ただーね?」
「うん、いくら柳沢がやればできる子でも六人分持つの難しいでしょ?」
「気がきくだーね!」
「でしょ!」
、女の子っぽくなっただーねー」
「……おうともよ」
「誉めた途端それだーね!」

動揺してるんです。柳沢め、いちいち人をどきどきさせおって!

「列、けっこう長いだーねー。このままだと甘酒の列にならんだままの年越しになりそーだーね」

柳沢と予期せず二人きりの年越し。(周りに人はいっぱいいるけど)
悪くない……!

「なにガッツポーズしてるだーね?」
「えっ…………甘酒……甘酒はやく飲みたいな! のガッツ」
「がつがつしてるだーねー」
「でっへっへ。あ、新年まであと何分?」
「あと8分。、今年に何かやり残したことはないだーね?」
「うーん。うーん……とりあえず、ない、かなぁ。(柳沢にも会えたしね!)柳沢は?」
「俺もないだーね!こっちにも帰ってこれたし」
「わ、わたしにも会えたしね!(軽口、努めて、軽口)」
「まーそーだーね。とも会えてうれしーだーね」

しらったした目で、はっ、とか笑われながらでも、柳沢とこんな冗談(わたしは冗談じゃないけど)言い合えるのはうれしい。楽しい。
思わず空を仰ぐと、深夜だけど真っ黒というより濃紺の夜色に星と半分より少し太った月が艶を消してにぶく光っている。やさしい金色だ。夢みたいだ、なんか。

「でも、帰れる場所があるっていうのはほっとするだーね。寮の同室の淳って奴は千葉から来てるんだけど、そいつも同じこと言ってただーね」

同じ月を見上げていた柳沢がしみじみと一人言みたいにつぶやいた。
淳って名前もたまに聞くな。

「淳さんって人も実家に帰ってるの?」
「いんや、今年は寮に残ってるだーね。冬休みは短いし、受験の準備でバタバタして帰っても落ち着かないだーね。それに、三年もいるとさすがに向こうの生活の方にも慣れて、そんなに寂しくもないだーね」

寂しくもないだーね、と言う柳沢の顔は、ぽっかりと明るかった。増えすぎた荷物をまとめて処分したような、大掃除がおわった後の疲れた人みたいな、さっぱりした明るいぽっかり。
この三年間、柳沢は何を抱えて、どれを捨てて、どれを失くさないように暮らしてきたんだろう。

そういえば今、こっちに帰ってこなくても寂しくない、て言われても、不思議とちっとも残念じゃなかった。なんでだろう。

「あ、もちろん、そんなに寂しくないだけで、普通には寂しいだーね!」

あわててフォローする柳沢。ほんとに気ぃつかいだ。そういうところ、ほんとに好きだな。いいなぁ。

「わかってるよ。柳沢、さみしがりじゃん」
「さみしがり……なんか小さい子みたいだーね」
「小さいころはそういえば泣き虫だったよね」
「言うなだーね!思い出さなくていいだーね!」

顔を赤くして、アヒル口を突き出して、柳沢がばたばた暴れる。
アヒルだったら羽が飛び散るところだなぁ。

「ごめんごめん」
「フン、泣き虫だったのはお互いさまだーね!」
「そうだっけ?」
「そうだーね!」
「そうかぁ」

わたしが好きな柳沢の「そういう」ところっていうのは、きっと柳沢が色んなことに苦労したり、気の合わない人に、こう、ちょっと舌打ちされたり、笑えない感じにばーか、とか言われても、捨てずに粗末にせずに抱えてきたところなんだろうな。
そんできっと、喜んだり、優しい人に出会ったり、うれしいことがあるたび、ぎゅっと抱きしめてきたところなんだろうな。


ああ、わたしは本当に柳沢に会いたかったんだ。
変わらないとか、変わったとか。そういうことじゃなくて。
柳沢が選んできたもののすべてが、何だか百倍くらいの加速がついて今急激に愛しい。


?どーしただーね?」
「えっ……ううん、なんでもない」
「もしかしてもう眠たいだーね?お子様だーねー!」
「ぜんっぜん眠くないし!ギンギンだし!」
「なんか下品だーね」
「うるさいな!えーと、あ、じゃ、じゃあ、なんで柳沢は帰ってきたの?忙しいんじゃないの?」
「んー……何でだーねー……かーちゃんの作るお節も食いたかったし、地元の友達にも会いたかったし……何となくだーね」
「そっか」
「それに、帰れるところがあるって安心してずっと帰らなかったら、いつの間にか帰れるところが帰れないところになってそーでおっかないだーね。ちゃんと確かめにこなきゃだーね」
「忘れられてないか?」
「そうだーね」
「柳沢って意外と小心者」
「時は金なりだーね」

うんうん、てうなずいてる。それはちょっとちがうような。

「柳沢のことなんて、忘れられないよ」
「なんてってなんだーね!」

あれ、今けっこう勇気を出して本当のことを言ったのに、がんばって乙女的要素を組み込んだ間を取ったのに、柳沢ったら全然気づいてないよ!一人事故だ。ここは事故現場だ。わたしの。自賠責だ。まぁいいや。柳沢、怒ってるけど笑ってるし。

プリプリしてる柳沢にごめんごめん、と謝って、

「けど、誰も柳沢のこと忘れたりしないから、安心して東京の高校に行ってきなよ。行きたいところに行って、やりたいことをいっぱいやってきなよ。で、夢やぶれたら泣きながら帰ってくるといいよ」
「また不吉なこと言うだーね……ちょっと見ないうちに意地悪になっただーね!」
「うそだって!夢叶えて胸張って帰っておいでよ!」
「おう!まかせるだーね!」
「ほんとはどっちでもいいんだけどね。帰ってくる理由なんて」
「?」
「泣いてよーが笑ってよーが柳沢はどーせ柳沢だからね!」
「どーせってなんだーね!やっぱり意地悪になっただーね!」


口を尖らせてますますアヒルに近づきながら、それでも君は笑ってる。
わたしが柳沢に会いたかったことなんて柳沢は絶対知らないけど、今柳沢に会えてわたしが今すっごくうれしい、ってことはきっと柳沢にも伝わってる、と思う。(少しは)

柳沢は多分、離れてる間わたしのことなんて思い出しもしなかったと思うけど、今わたしの前にいる柳沢はけっこう楽しそうで、それが久々の帰郷プラスアルファのちょっとしたおまけの楽しさでも、わたしはすっごくすっごくうれしいんだ。


ふと、さっき「こっちに帰ってこなくても寂しくない」って言われたとき全然残念じゃなかったことの理由がわかった。
柳沢の居場所はもう向こうになったんだ。三年かけて、柳沢が自分で向こうを本来の場所にしたんだ。アヒルが巣を作るように。
柳沢は自分で自分の暮らす場所を作って守ってる。それは、すっごくかっこよくって、誇らしい。


いつかわたしが柳沢のことを今と同じ気持ちで好きでなくなっても、柳沢のことを好きだった時間はわたしの中でずっと大事なんだろうな。
その時間をずっと大事に抱えて、色んな人や事に出会っていくんだ。
そう思うと柳沢はもうわたしの人生の一部なんだ。柳沢だけじゃなくて、タキちゃんやゆーちゃんや松下や山ちんも、この町も、やっとこの手に巡ってきたあっつい甘酒も。

「熱いの平気だーね?
「平気!」

二人で三つずつ両手に紙コップを持って、鐘つきの列にいるタキちゃんたちをさがす。

と、ふいに柳沢が「あっ」と声を上げた。

「あと二十秒で新年だーね!今年おわるだーね!」
「えっ、もうそんな!?」
、よいお年をだーね!」
「今更ー!?や、柳沢もよいお年を!」
「あっ、」
「明けた?」
「明けた!、明けましておめでとうだーね!」
「明けましておめでとう!今年もよろしく、柳沢!」
「よろしくだーね!」
「へへ、去年最後に話した人も、今年最初に話した人も柳沢だー」
「そういえばそうだーね。縁起がいいだーね!」

縁起がいいかどうかはわからないけど、幸先いいぞ、今年は!
まさかこれで今年の幸運つかいきったなんてことないよな。

「今年もいっぱいいいことあるといいね!」
「そうだーね、きっといっぱいあるだーね!」

深夜零時をはさんでさっきから除夜の鐘が鳴っている。
この神社は百八つきりでなく、列に並んだ人はみんな鐘を鳴らせることになっている。
ゴーン、ゴーン、と誰かを懐かしく呼ぶ声のような鐘音が絶え間なく響いている。
深夜なのに、こんなに堂々と大きな音が鳴り続けるのは今夜だけだ。大晦日と新年の最初の一日の間の、今日だけ。

「……百八つって煩悩の数って言うけどさ、今年、柳沢に百八つくらいの幸運があることを祈ってるよ!」

その計算だと3日に一度は必ず柳沢に幸運が舞い降りる。うん、悪くない。どころかすばらしい。

「煩悩と同じ数だけ幸運を、か。なんかちょっと詩的だーね!やるだーね
「わたしもやればできる子ですからね!」
「じゃあ、には一日に百八つの幸運があることを祈ってるだーね!」
「えっ」
「ちょっとサービスしすぎ?」

イヒヒ、と、まるで神様にこっそり内緒で幸運を多く配分する小間使いのように笑って、

「さ、みんなのとこに行くだーね。甘酒冷えたら美味しくないだーね」

たたたーっと柳沢は走り出す。

明るいブルーのダウンの襟から白いパーカーのフードが出ている。アヒルの羽色。すごくよく似合ってるけど、フード付きのパーカーは首が大きくのぞいて寒そうだ。

「一日に百八つ……」

そうなるとええと……ええと? 何秒に一回の幸運?
というか今その全部まるごとの幸運がわたしに向かって落下してるんじゃなかろうか。
大気圏をくぐって赤々と燃える星のような幸運。直撃でサービスするわたしの幸運。柳沢星から星へ今年最初で最後の大幸運。


ーはやく来るだーね!」

振り向いて、手がふさがっているからか足で宙をかいて手(足)招きしている。
オッケー、神様。もしこれが今年最初で最後の幸運でもどんとこい。星でもアヒルでも飛んで来い。
わたしは今、ちょっとしたミラクルの目の前にいる気さえする。
一日に百八つの幸運?

「いま行くー!」


まったく、君のスケールにはかなわない!