・長太郎はいつもニコニコとしている
・長太郎はいつもニコニコとしていて丁寧に敬語をつかう
・長太郎はいつもニコニコとしていて丁寧に敬語をつかうけれど、他人行儀なわけではない
・長太郎はいつもニコニコとしていて丁寧に敬語をつかうけれど、他人行儀なわけではないし、逆にとても人懐こい
・長太郎はいつもニコニコとしていて丁寧に敬語をつかうけれど、他人行儀なわけではないし、逆にとても人懐こいが、だからといっていつも機嫌がいいわけでは ない

人間なんだから当たり前だ。ましてやわたしより年下だ。なのにわたしより人生におけるマナーを知っているし、優雅な物腰でそれを使いこなす。
長太郎・ザ・ミスター・出来た子。

「だから見逃してくれませんかね」
「は? だからってどの文脈にかかった接続詞ですか?」
「接続死ってなんですか」
「死因じゃないですよ」

アハハ、なんて鳥が鳴くみたいに笑って。君はわたしより多きな背で、長い足で、逃げるわたしをあっという間に捕まえましたけどね。

「なんでそんなことしないといけないのよーようよう」
うそ寒い放課後の廊下をずるずる長太郎に手を引かれてわたしは部室へと連行されていく。ドナドナだ。ドナドナだこれは。

「そんなことって、随分な言い方ですね」
「そんなことは、有志がやるから意味があるんだよー」
「侑士? 忍足先輩がどうかしましたか」
「え、忍足って侑士って名前だったの」
先輩、三年マネやってそれはないですよ」
「いや知らんかった……興味がなかった……」
「俺もあんまりないですけどね」
「ニコニコしながら言うとこわいよ長太郎……」

そうですか?と長太郎は少し眉を下げて笑う。まるで毛並みのいいセントバーナードのよう……いや、レトリーバー系かしら。

「有志違いだっては。有る、志。自ら手を上げて、気持ちを込めてやるからそーゆーのには意味があるんだよ」
先輩にはないんですか、三年の先輩たちに贈る気持ち」
「や、あるけどさ。三年間楽しかったね!とか、アホだったね!、とかまた高校行ってもテニスやろーぜ、とか今度こそ優勝しよーぜ、とか。そういうのはありますけども」
「そういうのを込めればいいんですよ。簡単、簡単」
「でもわたしも卒業すんのになんで奴らの花を作らにゃならんのさ……」


放課後、珍しくうちの教室まで来たかと思ったら、長太郎はノリノリで「花、つくりましょうよ」と言った。10分前のことだ。
明日の卒業式で卒業生、つまりわたしたちが胸につける造花のコサージュを「いっしょに作りましょうよ」っておい待て、それ部活の後輩の仕事!

「それは、先輩女マネだから」
「えっそれセクハラ!」
「じゃあ先輩がすごくかわいい女マネだから」
「じゃあって何だ」
「みんなとっても先輩が好きだから、先輩のつくったコサージュを胸につけて晴れの門出にのぞみたいんですよ」
「あいつらが言ったのそれ」
「心の中で。僭越ながら代弁しました」
「うそつけ!」

指をつけつけると長太郎はそれをやんわりと押し下げて、小首をかしげて笑った。

「わかるんですよ、俺には」
「……何が」
先輩がコサージュをつくったら、先輩たちがすごく喜ぶってことが」
「……よろこばないと思いますけど」

向日、忍足、宍戸、跡部、滝、ジローの顔を思い浮かべる。
喜ばない。ぜったい喜ばない。あっこれお前が作ったのフーンところで腹へったよ俺!でおわる。

「男心がわかってないなぁ」
「わかってないのは君のほうですよ」
「さあ、もう諦めて心をこめましょうよ」

ニコ、と笑ってドアを開ける。それは部室のドアだ。三年間、毎日開いて閉じて、もう入ることはないと思っていたドアだった。
ほこりと汗の匂いが懐かしくて、胸がじんとするくらいには愛着のある部屋だった。
ここに入りたい、とほとんど反射でそう思った。
長太郎はわたしに手を伸ばした。新しいこの部室の主の一人である目の前の後輩が少し妬ましくなる。

ほら、と無言の内に語りかけてくる。
ほら、明日まではまだ先輩もお客さんじゃないんですから、自分ちみたいに入ってきてくださいよ。

人のいい顔で、上品に心を透視する。

「…………ちぇ」

対抗するようにわざと下品に舌を打つ。
しようがないなあ、と後輩は笑う。
なんだか、うまくかつがれた。






というより、だまされた。
慕わしさに引かれてたずねた部室は寒かった。
人のいいはずの後輩は暖房つけてくれなかった。なぜだ。

「だって、光熱費かかるじゃないですか」
「ひょ……氷帝でしょここ!金持ちガッコーじゃないんすか」
「いつまでもあると思うな体力と金ですよ」
「ええええ寒いよ……!」

ガタガタ震えながらわたしたちは並んでコサージュを作る。材料は用意してあったし(周到なことだ……)手順は簡単なのだが、

「ああもう手、寒い!かじかんでうまくできない!」
「先輩の手が不器用なのは寒さのせいじゃないでしょう」
「………」
「あ、すいません。思ったことそのまま言っちゃいました」
「軽やかに笑うな」
「すいません、生まれつき軽やかなんです」
「……は? は?」
「ハハハハ」
「笑ったんじゃねえよクソ」
「クソとか言っちゃダメですよ先輩。かわいい口がだいなしですよ」
「きんも!いいよそーいう忍足みたいなの!」
「忍足先輩みたいでしたか。じゃあやめます」

ひどいことを言いながら、無駄口を叩きながら長太郎の手はクルクルとよく動く。
大きな手が器用に素早く、生まれつきらしい軽やかさを持って動くのを見ているのは中々気持ちいい。

「先輩見とれないで下さい」
「…………」
「無視もしないで下さい」
「要求おおいな君は!」
「わがままですいません」

言いながら顔はニコニコ、手はクルクル。

「………………あーもー無理だってーできないってー!」
「もう無理無理言うのよしましょうよ。最後まで出来たら無理じゃなくなるんですから」
「わたしはこーいうの出来ないように出来てるんだよ!」
「またすごい言い訳だなぁ」
「言い訳ではない……真実なのだ……チョウタローよ……」
「思いこみですよ」
「だって実際できないもん苦手だもーん!」
「努力して下さいよ」
「うっ……胸が苦しくなるほどの正論だわ……」
「がんばったら何かいいことありますから」
「いいことってなに……アメでもくれんの? わたし久々にネルネルネルネが食べたい…」
「ネルネルネルネなんかよりいいことありますから」
「何、今ネルネルネルネを馬鹿にした? チョータロー。金持ちはこれだから……」
「僻まないで下さいよ」
「僻んでないよ!」
「妬まないで下さいよ」
「……っこの……ブルジョワジーが……」


ガタガタガタガタガタ言いながらわたしたちはコサージュの山を作っていく。わたしたちがというよりは長太郎が。

「けっこうできましたね」
「がんばったね」
「俺がですよね」
「そのつもりで最初から言ってますよ!」
「レギュラーの先輩の分は、先輩作ってくれました?」
「し……四、五人分くらいは、できた……」

わたしが作ったものは一目でわかる。机のはしっこでしぼんでうなだれているコサージュが目印だ。無残だ。

「わあ、先輩らしいですね」
「……無残でスイマセン」
「出来ないながら一生懸命やったってわかるところがですよ」
「……なぐさめられてる……?」
「誉めてます。努力って尊いと思いますよ?」
「あり……ありがとう……」

笑顔がきしむわ。

長太郎は机の上のコサージュをダンボールにどどってつっこんで、じゃ、出ましょうかと席を立った。

部室の外に出ると外は真っ暗だった。寒い。

「長太郎ー帰り肉まん食べようよー」
「先輩」
「ん?」
「これ」

手を取られて、その中に鍵を落とされた。

「……なに」
「鍵、閉めて下さい」
「……部室の」
「ええ部室の」
「…………最後の」
「ええ、最後の施錠を」

手の中の鍵は金属で出来ているのにあたたかかった。
長太郎の手の中でぬくまったのだ。

三年間の思い出であたたかい鍵。なんつって。ファンタジー。ポエミー。センタメンタル。

この部屋を最後に閉めるのが跡部じゃなくてわたしでいいのかと思ったけど、跡部今ここにいないし、いっか。

鍵を回すと存外軽い音がした。
最後の施錠とひたっても、鍵は鍵だ。物質。


「閉めた」

鍵を長太郎の手の中に返す。大きな手。器用な手。そして多分、優しくておせっかいな手。
明日この部屋の鍵を開ける手。

「先輩」
「なに」
「おつかれさまでした」
「……つかれたよ」
「ありがとうございました」

わたしよりずっと高い所にある頭がわたしより低い位置に下りてきた。
なんて見事なお辞儀なんだ。つむじまで見えるよ。

「先輩」
「なに」
「泣かないでくださいよ」
「ちがうこれは涙じゃなくて真珠」
「ブタに真珠です」
「ブッ……(ぶっとび〜!)」
「似合わないって意味ですよ。肉まんおごってあげますから、真珠はしまって下さいね」

後輩に諭すように言われて、わたしはフガフガと鼻をすすった。
肉まんを食べながら駅まで並んで帰った。
長太郎と帰る、中学最後の帰り道だったなと気づいたのは寝る前電気を消した時だった。







翌朝、登校するとわたしの下駄箱の前で不審にウロウロする宍戸を発見した。

「宍戸おはよ」

と普通に挨拶したら、一人局地的地震のように震えて飛んだ。なにやってんの。

「おっ……………よう!」

ぎこちなく右手なんてあげちゃって。

「どしたの君……もしかしてラブレター?」
「ちっ……ちげぇよバカ!バカ!バカ!」
「三回も言うってどういうことよ!じゃなんですか、剃刀レターですか」
「ちげぇ!うるせぇ!」
「君のがうるせぇ!」
「だーもー…………っ…………………!バカ!すげぇはずかったんだからな!バカ!」
「……何の話ですか」
「花だよ!花が悪ぃよ!」
「宍戸は頭が悪いと思う」
「うるせぇ俺のせいじゃねぇ!」

花と言われて気づいたが、ついと見ると宍戸の胸にしょぼくれたコサージュがうなだれていた。
あ。

「その花………」
「あ? ああ……これ」
「悪かった。その花はたしかに悪い。出来が悪い」

人の胸に実際につくと輪をかけて見栄えが悪いので素直に謝った。
宍戸ならまだしも(庶民だから)跡部の胸にもつくんですかこれが……すいませんぼっちゃま。あとで不出来な分きっちりなじられますんで許してください。いや聞いてくださいよそもそも長太郎が悪いんですよ……。

「なにぶつぶつ言ってんだ」
「言い訳の練習」
「……? いや、この花は、ありがとよ」
「へ」
「だから、これお前が作ったんだろ? 長太郎に聞いたぜ」
「ええ……その不恰好な花はたしかにわたくしの手になるものでございます卒業式の晴れの日そのようなお花で御身をしょぼくさせてしまうこと大変申し訳なく」
「は? ありがとっつってんだろが」
「……えー」
「えーって」
「だって、そんなだよ。全然きれーじゃないし、しょぼくれてるし、長太郎の作った花のほうがきれいだよ。とっかえたほうがいいよ」
「ばーか。いんだよ、こっちで!」
「え」

宍戸は攻撃的に目を吊り上げながら(多分照れ隠し)顔を赤くしていた。

「こっちの花は悪くねぇ。けど…………中学生の男が花屋で花買うなんてなぁ………………激ダサだぜ!」


そう言うと顔を赤くした宍戸はだっと走って逃げた。
な ん な ん だ 。
今多分計六回はバカって言われた。バカにバカって六回も言われた。言ってる意味もわからない。
けど、ありがとって言ってたな。

にやーとゆるむ顔で下駄箱を開けると、うわばきが見えなかった。代わりに、赤だのピンクだの黄色だの紫だのオレンジだの花が一輪ずつラッピングされて下駄箱の空間をいっぱいにしていた。

なんだこれ。

一番手前のオレンジのバラを取ると、中にカードが入っているのが見えた。宍戸、と名前のほかに一言「世話になった。ありがとう」とあまりきれいでない字で書いてある。

黄色のガーベラには「芥川」と、「高校生になってもよろCく〜!」
赤いグロリオーサには「忍足」、「おつかれさん、俺に惚れんなや」
ピンクのトルコ桔梗は「向日」で「サンキュ!」
白いかすみそうは「滝」、「今まで本当にありがとう。明るくて、強くて、はとても頼りになるマネでした」
そして紫のバラは跡部だ。見なくてもわかる。メッセージは外国語の筆記体でわたしには読めない。その下に日本語で「勉強しろ」と一言。まずこれが何語かもわかんないよ跡部。


ていうか、なんだ、これ。


「名付けて一人はみんなのために、みんなは一人のために大作戦です。美しい企てでしょう」

後ろから微笑みをふんだんに含んだ声が聞こえた。

「びっくりしました?」

したとも。

振り向けないし声も出ない。なんなんだこのサプライズは。



背中をそっと叩かれる。



「ほら、ネルネルネルネよりいいことあったでしょう?」




見なくてもわかる、まるで巨体の白熊が子犬のように笑う人懐こいその、笑顔。




「卒業おめでとうございます」










贈る言葉