部活中、真田の打ったサーブボールがこっちに向かって来た、なんて全然気づかなかった。

しゃがんで痙攣した2年生の足を揉んでいたら、耳もとでにぶい音がした。何だ、と顔を上げたら鼻がぶつかりそうなほど近くに誰かの靴が見えた。
靴の先にはもちろん脚があって、脚の持ち主は仁王だった。


見上げると、何か気にかかることでもあるような、けげんそうな顔をしている。


「仁王!大丈夫かー?」


一番近くのコートに入ってたブン太が「あっちゃー!」と顔をしかめて声を上げた。
仁王はひょこひょこと片足で跳ねながら足元に転がるボールを拾い上げ、印籠のように掲げた。


「たるんどるぜよ、真田」








Oh!yeah









『つまり、真田のサーブボールがわたしに当たりそうだったのを、仁王が足で間一髪防いでくれたのね?』

『そーそー!つか、お前何で目の前で起こったことなのにわかってねーんだよ。にっぶいなぁ』

『だって百地くんの足揉んでたんだもん。そしたら痛そうな音したから何だと思って……』

『あーあら痛そうだったな。絶対痛ぇな。てか百地って誰だ』

『2年だよ。足痙攣しちゃってて。覚えとけよ後輩の名前くらい!……仁王、痛そうだった?』

『全員の後輩覚えてられるわけねーだろぃ!何十人いると思ってんだ。だーから、ありゃぜってー痛ぇって。真田のサーブだぜー。俺だったら手ぇ出さないね。怪我したくねーもん。あ、足か』

『横にいたのがブン太だったらわたしは今頃顔面面積二倍になって伸びてたわけね……(ちっ腰抜けが)ちなみに柳と柳生は後輩全員の利き手、プレースタイル、苦手コースまで把握してるからね』

『柳たちといっしょにすんな!あいつら脳がヴィスタだ。あと俺は腰抜けじゃねぇかんな』

『(無視)仁王、足大丈夫かな』

『(無視かよ…)うーん……要するに打撲みたいなもんだろ?病院行ってから今日の部活には出るって昨日言ってたし、そんなに大事ないんじゃねぇ?』

『だといいけど……』

『まっ、部活で会ったら、やーんニオークン昨日はアリガトー☆チョーカッコヨカッターヤサシーオトコマエーナイト様み・た・い!とか言ってやれば?』

『フィリピンパブか』

『……(くそ)まーお前が暗くなってもしょーがねーだろぃ。お前が悪ぃんじゃねーし』

『……まぁ、そうなんだけどさ……』



教室の窓側の後ろから二列目の空席をちらちら見ながら、改めてブン太にメールで昨日のあらましを聞いた。



遅刻することはあっても一日ずっと空いているのははじめてだ。左斜めに二つ離れた仁王の席。


今ごろ病院か。ちゃんと行ってるかな。


スポーツ選手の足。ましてや立海の不動のレギュラーなら黄金の足だ。
これが何かの故障のきっかけにでもなったら合わせる顔がない。
昨夜から気になってメールしても返事ないし。仁王のケイタイは電池切れとかで繋がらないことの方が多いんだ。



大丈夫かなぁ。


落ち着かないまま部室のドアを開けると、わたしよりも合わせる顔のなさそうな顔をした奴がいた。



「真田」



か。早いな」
「真田こそ。……大丈夫?」



真田の頬はなんか昨日より若干こけていた。


「ああ…… にも謝罪をせねばならなかったな。昨日は俺の失態で危ない目に合わせてすまなかった。この通りだ」
「ちょ、いいよ!ちゃんと立ってよ!」


いきなり土下座しようとしだす真田の腕を必死に上げる。腕だけで筋肉ついてて重いよ。その謝罪も重いよ!



「しかしこういったけじめはきちんとつけねば、」
「わたし結局無傷だもん、大丈夫!すごい元気!」
「ああそうだ……仁王がよく守っていたな」
「うん……おかげさまで」


仁王のことを思っていっそう暗く沈みこむ真田と二人でいると引きずられて不安になっていく。


足。仁王の足。大丈夫かな。早く本人の顔見たい。あの飄々とした風体で「大丈夫じゃ」と言ってほしい。


ドアが開いた。真田と先を争うよりに振り返ると、


「やあ、2人とも」
「幸村……」
「なんだい、肩落として。仁王かと思った?」
「仁王から何か連絡あった?部活は顔出すって聞いたけど」
「いや、本人からはまだない。ただ……」


言葉の途中でまたドアが開いた。



「よーす」
「おはようさん」



仁王とブン太だ。



足は、と聞くまでもない。ひょろりと高い身長を松葉杖に半分預けている。


「足はどうだい、仁王」
「問題なか。軽い打撲ぜよ」
「へえ。その松葉杖は?」
「あった方が楽やけん、借りた」
「ふうん」


幸村はわたしと真田の顔をちらりと見て、いつもの三日月形の唇で笑った。


真田の顔を見ると真っ青だった。
多分わたしも。


だって松葉杖=重傷の証、みたいなイメージ!


「随分、らしくないね。仁王」


幸村が笑んだままたずねるように首をかしげた。仁王は少し口を尖らせた。


ん?


「さっき病院から電話があったよ。予約していた立海テニス部員の方が見えてないんですけど、って」
「え!」


思わず声出た。


だって松葉杖とか。



「うん、で、その松葉杖は?」
「……あった方が楽やけん、借りた。裏のおいちゃんに」
「な、なんで病院行ってないの?」



仁王と幸村がそろってこっちを見た。



「あー。寝過ごした。久方ぶりの休みだったからの」
「……なんだそれ……」
「本当に、何だろうね、それは。体調管理は基本だよ仁王。今回の怪我は君のせいじゃないけど、それを悪化させたら君自身の責任になる」
「わかっちょるよ」
「だったら、今日はこのまま病院へ行ってくれ。病院やら医者やらが苦手なのはよくわかるつもりだけどね。こんなことで万が一にでも支障をきたしたらまるで阿呆だ。真田もも、昨日からずっと気を揉んでいたことだしね」


簡潔に、けど丁寧に正論を語る幸村は穏やかな笑顔のままだけど妙にこわい。
部員の体の関しては自分のことがあったから必要以上に徹底してるんだ、この人は。


仁王はめんどくさそうに口を曲げていたけど、えり足をかきながら、プリ、とか言ってうなずいた。


「でもまた逃げ出すかもしれないな」
「信用ないのう」
「詐欺師がよく言うよ。今度のはペテンにもならなかったけどね」
「きっついのー、幸村は」
「悪いけど見張りをつけるよ」
「では俺が、」



ずっとかたまってた真田がぎしっと動いた。


「真田は今日グラウンド108週。そのあとは球拾いだよ。サーブを3メートルもオーバーコートするなんて皇帝の名が泣くよ。恥を知ろうよ。俺は涙が出そうだよ」


真田がまたかたまった。氷鬼のようだ。




「えっ、はい!」
「頼んだよ、見張り」



コスモスが風に揺れる風情で幸村が笑った。
真田の喉がごくりと上下した。
仁王はこっそりため息ついてる。
わたしは敬礼とか、しそうになった。



病院行ったあとはそのまま帰っていいよ、と幸村が言ったので、通学に使ってる自転車をどうしたもんかなとちょっと迷った。

タクシーで病院に行ったら明日の朝つかえないし。病院行ったあとまた戻ってくるのも面倒だし。けど仁王をあんまり歩かせたくないし。



「というわけで一番シンプルな解決策をとってみた」
「……ほー」
「さ、乗って仁王!」
「…… がこぐんじゃろ」
「当たり前」
「……はー」



うつむいてげんなりと仁王が息を吐く。失礼な。


「だーいじょぶだって!わたしけっこう力あるし。真田クラスは無理だけど仁王くらいなら余裕!ほら、信じて信じて」
「余裕のぅ」
「余裕のよっちゃん!」
「よっちゃんのぅ」


サドルにまたがって来い来いと呼ぶと、本当に渋々といった調子で仁王が後ろ向きに荷台に腰を下ろした。


「後ろ向きで平気?落ちない?」
「落ちん」
「どこでもいいからちゃんと掴まっててよ。おっことしそうで怖い」
「どこでもいいんかの」


ワキワキと下世話に両手を握って、首だけひねってこっちを見てる。いつもの読めない表情で、ちらとも笑わずに。うーん。


「仁王って、そういうこと別に言いたくなさそうなのに言うよね」
「ピヨ。礼儀?」
「イタリア男か」


力ぬけるやり取りをしてペダルに足をかける。

一歩目は仁王が松葉杖でアスファルトを押してくれたようで、すっと前に進んだ。









「…お、おつかれ!」
がの」



20分後、病院の駐輪場にたどり着くやいなやブレーキをかける前に仁王は松葉杖を支点にひょいと荷台から飛び降りた。身軽だなおい。


仁王はひょろっとしてる見かけのわりにかなり重かった。当たり前か。筋肉は脂肪より重いんだ。


「さすが…スポーツ…選手……」
「いい脚力しちょるの。さすが、立海マネ」


ぜいぜい肩で息をついているわたしに仁王はゆるく親指を上げた。


マネ、テニスとか全然できませんけどね。


途中蛇行しまくって仁王の松葉杖さばきで何度も転倒をまぬがれたけどね。
こけなくてよかったです。


病院の自動ドアをくぐる前に電源を切ろうとケイタイを取り出すと、幸村からメールがきてた。



「仁王ー」
「なんじゃい」
「幸村から」



開いたままのメール画面を見せると、一気に仁王の口の片端が下がっていった。



「……ほんまに、信用ないのう」


うー、と低いうなり声。



「愛されてるってことで」
「幸村に?」
「幸村に」
「涙がちょちょぎれそうじゃ」



『診察結果をごまかすかもしれないので、ちゃんと診療室まで付き添ってほしい。終わったら折り返し連絡を入れてくれ。仁王をよろしく頼んだよ』


報告・連絡・相談。幸村って管理職がちょっと板につきすぎてる。ていうか、過保護。


「なんか、笑って」
「いや、ちょっと。うちの部って意外と仲いいなぁって」
「?」


電源を切る前に「了解」とだけ幸村に返信した。










診断の結果、仁王の怪我は左足甲の打撲で、二週間から三週間ほど処置を続けて安静にしていれば治るとのことだった。
骨にも関節にも異常なし。テニスに支障もないそうだ。


「よかったー……」


駐輪所でその旨幸村にメールで報告したら何やら腰が抜けた。
松葉杖でわりかし器用に進む仁王にちょっと待って、と手で合図して二、三度屈伸したら、しゃがんだままちょっと立てなかった。



「なんじゃ、座りこんで」
「いや安心したら力ぬけた……」
「2ケツして疲れたんじゃろー」
「それもある。いやでも……ほんと、よかったー」
「やけん、大したことなかって言ったんに。骨折れとったら歩かれんし、関節あるよーなとこ当たっとらんもん」
「そんなんわかんないじゃんよー…ちゃんと見てもらわなきゃ。あー、ほんっと、よかった。わたしのせいで仁王がテニスできなくなっちゃったらどうしようかと思ったよ」
「できんよーなったらできんよーなるだけじゃき」


え、と顔を上げると、いつもより細い目をした仁王と上下で視線がかち合った。あれ。いや、あっちは見下ろしてるからいつもより細く見えるのは当然だけど。あれ。



「……怒ってる?」
「なんして」
「……いや、なんか……あっ、ごめん、わたしまだお礼言ってなかった!?うわ、ごめん、ほんと、ありがとう仁王、遅くなってごめん!本当にありがとう!で、ごめん、なさい」



ブン太に「お前は悪くねーし」て言われたけど、わたしも不可抗力ていうかはっきり真田のせいだけど、わたしがもっとコート内に目くばってれば自力で避けられた……可能性は低いけど、でも、あったし、そしたら仁王が足痛めることもなかった。


「ごめんね。ありがとう」


立ち上がって頭を下げる。
仁王は黙ってる。
なので下げたままでいる。
仁王はまだ黙ってる。




………………。



真田にならって土下座とかするべきなのか、と考えはじためたころ、つむじをぎゅいっと押された。


「あたっ」
「別に怒っちょらん」
「あたたた」
「真田もも、アホじゃのー」
「はっ、なにが……ってあたたた、ちょ、痛いんですけど仁王さん…?」
「アホじゃー」



ふー、て大げさにため息ついて、仁王は松葉杖なんてないように颯爽と踵を返した。

なんだ。なんなんだ。



「ちょ、仁王ー!待って、家まで送って行くから!」
「よかー」
「よかじゃないよ、ちょ、乗ってくださいよ仁王さん!」
「うるさかー」
「ちょっとほんと、送らせてください!責任取らしてください!」
「ほんにうるさかー」


迷惑そうに眉をしかめる仁王の前に、急いで引いてきた自転車で回りこむ。
仁王の家はここからそんなに遠くないはずだ。部員名簿でしか知らないけど。


「仁王、適当に道教えて」
「……こん坂下って、まっすぐ」
「え、それだけ?」
「とりあえず行きんしゃい」


また後ろ向きに荷台に座る仁王にへーいと返事をして、なだらかな長い坂をゆっくりと下りはじめた。


重心がたまに傾くと、仁王が松葉杖で修正してくれた。


10月の半ばにしてはあたたかい日が続いているけど、もうだいぶ日が暮れている。


ライト、点ければよかったな。



「二週間くらいで治るって、よかったね」



改めて安心し直して言うと、仁王は気のない調子で、あー、とかあくびのような声。



「まー全国もおわっとるしのぅ」



全国が終わると三年は自主練に切り替わる。その日を限りに引退する部員も多いけど、高等部も引き続きテニスを続けるつもりのレギュラー陣は卒業するまでほとんど参加する。



「急がないで、ゆっくり治してね。無理すると打撲だって怖いし」
「けど、そーなると嵐はできん」
「嵐?」
「文化祭」
「ああ」


文化祭にテニス部の出し物でジャニーズの嵐を歌うとか踊るとか、そうだ、ブン太が中心になってやるって。当日まで秘密だって言って、隠れてなんかやってた。


メンバーはたしか、


「ブン太と、赤也と……えっと」
「柳生」
「えっ柳生?嵐で柳生?」
「笑うじゃろ」
「わっ、笑う。へー、え、自主参加?」
「歌詞が柳生っぽくての。あいつメインじゃ」
「メイン!それは絶対見なきゃな……!で、あと仁王でしょ。あとは?」
「それでしまいじゃ」
「えっ、嵐って……5人じゃなかった?」
「あとは模擬店とクラスの方に手が足りんらしくてのー。立海の嵐は4人で嵐じゃ」


その言い方がなんかおかしくて吹き出してしまった。
その拍子にハンドルを持っていかれてぐらりと右に揺れる。



「うおっ」
「……集中しんしゃい」
「へ、へーい」



集中だって。仁王が。



「びびった?」
「おー。びびったびびった」



のそのそと低い声。

なんか笑えて仕方ない。


「楽しそうじゃのー」
「だって、嵐って、4人って。柳生って」
「3人になるかしれん。足次第じゃ」
「あっ」



そうか。



「…………」
「…………」
「…………」
「……落ち込みなさんな。わずらわしい」
「わずらわし……」
「ほんにわずらわしかー」



自転車が急に軽くなった。



「えっ」


ブレーキかけて振り返ったら、飛び降りた仁王が突っ立ってた。
角曲がったところで、スピード落ちてたけど。あんた。



「ここでよか。もう暗うなっとるし、気ぃつけて帰りんしゃい」
「え、お、……怒ってる?」
「怒っちょらん」



さっきもやったなこのやり取り。
だけど今度は仁王は笑っていた。ニヤっと、いつものコートの上で見せる笑い方。



「え……、お、怒ってない……?」
「怒っちょらんき」



ライト点けんしゃいよ、と言って仁王はくるりと背を向けて今しがた曲がった角を戻りだした。



コツコツと、松葉杖の音をたてながら。











……………………。





よくわからなかったのでとりあえず幸村にメールすることにした。



『仁王は怒ってないって言ってます』


一時間後、『承知してるよ』と返信がきた。


よくわかんないけど、わたしと真田だけは多分何にも承知してないと思った。















幸村は返事返すまでの一時間笑い転げてたと思う。