マーーーーーズヘンニャーーばわにっちわわースチフーへんだーらーらー
マーーーーズヘンチャーばわにちーヒワワーーーーー
ディズニー映画のライオンキングの頭にかかるザ・アフリカな歌を聴くといつも跡部を思い出す。
歌を聴くと、というか、ライオンキングそのものがまんま跡部のイメージだ。
百獣の王な感じ。
プライドロックな感じ。
岩のような塊のプライド。
選ばれた者だけが許される高み。
王者の住まい、受難の砦。
そう。跡部は王様だ。
けど冠はまだ、ない。
全国で氷帝が負けた日のことは、一月という時間が経った今でも思い出すと嫌な感じにみぞおちが染みる。
言葉にすると「あいたたた」とか「あちゃちゃー」てなもんで軽いけど、寝しなに思い出すと眠れなくなるし、起き抜けに思い出したりすると学校に行きたくなくなる。
氷帝が負けたことよりも、跡部が負けたことがショックなのだ。未だに。馬鹿みたいだ。
跡部だって負けるに決まってる。戦う数だけ勝てる人なんていやしないんだ。知ってたつもりだった。
「負けたら即レギュラー降格」なんてルール、ほんとあほだって思ってたのに。
勝ち続ける人間なんているわけないじゃんて、けっ、て思ってたのに。
「つもり」は結局「つもり」で、結局わたしは知らなかったんだ。
跡部だけは負けるわけない、て思ったことなんかなかった。
それはその可能性を考えたこともないからだ。
当たり前に頭からそうだと信じていたんだ。わたし。
あーあ。馬鹿だ。
まだこんなにショックなんて。
嫌だ嫌だと思いながらも学校に行くと、下駄箱で跡部の背中を見つけた。
「げっ」
思わず漏らしたら即座に跡部が振り向いたので、それより早く掃除道具の入ったロッカーの陰に隠れた。
ここ一月で身に着けた早業だ。忍足にはくノ一と呼ばれ始めている。
十秒ほどじっとしてから顔を出すと、廊下を曲がっていく跡部の後ろ姿が見えた。
短い髪。後頭部。
似合うけどさ、別に。
嫌だ、やっぱり。あれ。
あーあ。
「……なにやってんだお前」
「え、あ、宍戸。おはよ」
「はよ。そんなとこはまって、かくれ鬼か?」
「かくれ鬼……なつかしいね。最近やってないな」
「遅刻すんぞ」
まさにそのとき予鈴が鳴ったのでロッカーの陰からよいしょと抜けて宍戸といっしょに歩き出す。宍戸とは同じクラスだ。
3年の教室は一階で、わたしたちのクラスは職員室をはさんで向こう側だ。
たらたら歩いていると職員室の戸が開いて先生が「いそげー」と顔を出す。
それでもたらたら歩いていると、職員室前の展示物が嫌でも目に入った。
このところ毎朝これ見て鬱になる。なら見るなと自分で思う。
「…変な顔して何見てんだお前」
「別に……」
「?…………、ああ」
視線の先を勝手に追って宍戸がうなずいた。
「今年はなかったなー」
「……うん」
職員室の前には賞状が飾られている。
バスケ部や野球部やサッカー部柔道部、文科系ではディベート部、珠算部などが大会で納めた成績の賞状が飾られている。
テニス部のもある。都大会優勝と関東大会準優勝の二枚。ただし、昨年度のものだ。
今年のものは一枚もない。
都大会5位、関東大会初戦敗退、全国は準々決勝敗退のベスト8と前年のベスト16より一ついいけど、開催地枠の言わばサービス出場でのこの順位は学校にとって誇れるものではないようだ。
結果だけ見れば今年は早くも氷帝テニス部史に残る「不作の年」と呼ばれているらしい。
「行こうぜ」
宍戸の苛立った声にかぶって本鈴のチャイムが鳴ったので、しょうがなく二人でダッシュした。
「おら、行くぞ」
「へあっ……」
「よだれ出てんぞ……」
頭をはたかれて目を開けると、カバンを持った宍戸が突っ立ってた。
とりあえず条件反射で手の甲で口をぬぐう。
「よく寝てんなー……中間は余裕か?」
「中間……中間てなに…」
「テストだろ。起きろよお前。まだ寝てんだろ」
「寝……寝た…寝……寝て…………起きた、いま、起きた」
グッと伸びをして立ち上がると一瞬目の前が暗くなった。
「ほん……っと、よく寝た」
「寝すぎだろ」
「最近寝つきよくなくってさー……人の話し声してるとなんか落ち着いちゃって。寝ちゃったわー」
「よく寝れてねぇのか?」
「んー……」
コキコキ首を鳴らしていると、ふと窓の外で動いているものが見えて無意識に目がそれを追った。
あ。
「……跡部」
「ん?あ、ほんとだ」
わたしたちの教室からはテニスコートのはしっこがちょろっと見える。
どうやら跡部はコートの周回をランニングしているらしい。コートの左隅に来たときだけその背中が少しの間だけ見える。
いつの間に着替えてんだ。今授業終わったばっかだってのに。
「跡部はええなぁ。あれじゃ二年どもが気ぃ抜けねーな」
夏がおわって三年は名目上引退になるけど、高等部でもテニスをやるつもりの部員は自主的に練習に出る。
肩書きはもうないけど、事実上はまだ跡部が部長だ。
肩書き上の現部長、日吉はさぞやりにくいだろうな。
「俺らも行こうぜ」
今日は宍戸に行こうぜ、行こうぜ言われてるな。
うん、と答えながら目が離れない。
跡部の背中が見えるのはコートの左隅に来たわずかな時間だけだ。それが過ぎるとつい次に背中が見える時まで待ってしまう。
短髪。後頭部。坊主デスマッチなんか言い出すからだ。自業自得だ。それで負けたりして、髪刈って。馬鹿だ。短髪。走っても揺れないくらいに短い短髪。
「心配ねぇよ。負けると強くなれんだよ。マジで」
並んで跡部のランニングを見ていた宍戸がぼそっと言った。
「そうだね」
「そうだ」
あんたが言うと信憑性があるね。
そう言おうとしたけれど、しゃべったら何か涙声になりそうでやめた。
「俺、先行くぞ。自主練つっても遅れると容赦ねーからな、あいつ」
カバンを肩に背負って教室を出て行く宍戸に、わたしもすぐ行く、と声を投げた。
遅れると容赦がないのはマネージャーに対しても同じことだ。
けれどそう言ったものの中々目も足も動かなかった。
ランニングする跡部なんて見慣れてるのに。
今年は氷帝テニス部史に残る「不作の年」だった。結果が出なかったからそう言われた。
けど今年は氷帝テニス部史上、一番期待をかけられた年でもあった。
今年は跡部の年だったからだ。一年からレギュラー入りしたという、前例にない選手が部長になった年だったからだ。
それが不作と呼ばれる。
負けたからだ。
それだけで充分な理由だ。
スポーツの評価はそれだけでいい。
弱いから負けて、負けたから今年の氷帝は不作で無冠で、跡部は坊主だ。
そんでわたしはよく眠れなくなったり学校来たくなくなったりしてる。
跡部は走っている。もう何週目になるだろう。
あと一週、
あと一回、跡部の背中を見たらわたしも行こう。
あと一週、
あと一回、
跡部はまだ走っている。
円の内側を何週も何週もなぞって歩いて、結局外に出ることのない気持ちをわたしはいい加減手放そうと思った。
「なんだ、遅刻してきやがって反省の言葉もなしか」
肩で息をしているのに乱れない呼吸と言葉。いつも通りだ。
汗を浮かべて眉をしぼって睥睨している。ああ、いつも通り。だけど何も変わらないわけじゃない。それはあり得ない。
いつも何かが変わっている。変わらないことを繰り返しながら、変わっていることに気付きもしないでわたしたちは変わり続けている。
「遅れてすいませんでした」
跡部は首を小さく傾けた。無言のまま「何か言ったか」と言っている。ちくしょう。
「遅れてすいませんでした!」
「聞こえねぇ」
「遅れてすいませんでした!!」
「聞こえねぇ」
肺いっぱい空気を吸った。
「遅れて本当にすいませんでした!」
テニスコートの部員全員がこっちを見た。
跡部は表情一つ変えずにあっさりうなずいて、
「以後気をつけろ」
さっさとコートに戻って言った。
「こんちくしょ……!」
ベンチに作業道具を取りに戻ると近くでストレッチしてた宍戸がにやにや笑って「よーう」とか言ってくるのが忌々しい。
「しぼられたな」
雑巾か。
「いっしょに来ればよかった…」
「まぁまぁ。さっき泣いてたことは黙っててやっからよ」
にやにや笑ったままそんなことを言うので、すれ違いざま宍戸の帽子を奪ってペッとその辺に投げてやった。泣いてませんし。
おめー何すんだよ、と騒ぎ出す宍戸を無視して今日の作業である部員のフォームチェックを開始する。
紙にテニスをしている男の模範フォームがあって、それと比べて肩やら肘やらがどうなっているか一人ずつチェックしていくのだ。
おかげでわたしはラリーも出来ないのに正確なフォームだけは部員の誰より多分詳しい。
日吉や向日はまぁ範囲の外に置くとして(あいつらの動きはフリーダムすぎる)、正レギュラーの宍戸や長太郎、ジローに忍足まで常に正しいフォームでプレーしているということはない。やっぱりみんな癖がある。
癖ならまだいいのだけど、過去にした故障を無意識に庇っていたり、痛みを抱えたまま黙ってプレーしている場合もあるので、目を凝らしてチェックする。するのだが、跡部の番になるといつも注意を忘れる。
人はあんなに正しく動けるものなのかと思い、正しく動くとこんなに美しいものなのかと驚く。
あれを身に付けるために跡部がどれだけ努力したかなんて知らない。
その努力がえらいとは思わない。欲しいから努力して、欲しかったものを手に入れだけなんだろう。当たり前のことだ。跡部もそう言うだろう。自分の努力の打ち明け話なん口が裂けてもするわけないけど。
それは尊いと思った。
欲しいもの欲する努力は、ただ純正で尊い。
「?」
「、宍戸」
まだ近くでウロウロしていた宍戸がのぞきこんでくる。
「なんだ、また泣いてんのかと思ったぜ」
「泣いてないってば」
また帽子を取って適当に投げ捨てた。
「てめっ」
「迂闊だわ宍戸くん……」
放られたボールを転がりながら取りに行く犬ころみたいだな、と宍戸の背中を見ていたら、
「なにやってんだてめーら」
「跡部」
「遊んでんじゃねーぞ」
球打ち100球を終えてさすがに息のきれた跡部が戻ってきた。
作り置いたドリンクを渡すと、二口ほど含んで返してくる。
「もういいの?」
「ああ、もう行く」
それでまたコートに戻って2セット目をはじめた。
正しいフォームが正しい力で美しく動く。
跡部はいつかテニスを捨てるんだろうな、と思った。
プロになるというなら別だが、いつか大学に行って、社会に出て、やりたい仕事をきっと活き活きバリバリこなし結婚してこどもができても、その子に休日、学生時代打ち込んでいた趣味のテニスを教えることは決してしないだろう。
決して、ないだろう。
跡部にとって、テニスは常に戦いであってほしい。
その道で生きないなら、二度とラケットを手にすることのない決別の覚悟を彼に望む。
それが王様には相応しい。
「なんだ、やっぱり泣いてんじゃねーか」
「だから、誰が泣いてんのよ。ドライアイが心配なぐらいだよ」
いつの間にか横に戻ってきていたらしい宍戸がしつこい。
わたしは本当に泣いてない。涙なんて出してない。なのに、
「……泣いてるよーに見えんだけどな、俺には」
「泣く理由がどこにあるのよ」
「さあ?情緒不安定?あ、生理前?」
宍戸の帽子を今度は垂直に放り上げた。空に高く。
「オメー、何度目だちくしょー!」
「三度目だ」
空高く上がった帽子を空中でキャッチする様はやっぱり犬コロみたいだった。
「てめーら遊んでんじゃねぇっつってんだろうが!」
片手で一握りにできる黄色いボールをラケットの真芯で捕らえながら跡部が怒鳴る。
俊敏にコートを走りながらさすがに目端の利くことだ。
「跡部ー、宍戸が跡部なんて大したことねーよちょろいぜうんこだぜって言ってます」
「おいふっざけんな言ってねぇ!」
跡部がバックハンドで打ち返した何球目かが鋭角に相手コートを穿った。
対していた部員に切り上げの合図をすると、半身をこちらに向けて、つまらなそうに言う。
「来いよ」
わたしは若干青ざめてる宍戸を肘でこづく。
「行きなよ」
「行きなよじゃねーよお前……本気じゃねーか跡部!くっそ」
ぶつぶつ言いながら走ってコートに入っていく宍戸を、すでに息の整った跡部がコートの主のように迎える。
「言ってねぇからな跡部!」
「うるせぇ、さっさと打ってこい」
ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー元気な二人だ。そういえば試合に負けて髪の毛をなくした二人でもあった。断髪対決だ。
そう気づいたらおかしくなった。
宍戸は髪の毛切って強くなったよ跡部。
負けたら強くなれるんだって。すごい奴だね。
犬みたいに走りまくる宍戸に対して跡部はゆったりと自在にボールの行き先を操る。
犬とライオンだと言ったら、宍戸は怒るだろうな。せめて狼とライオンと言ってやろう。
ああ、
それにしても、きれいな動きだ。
そう、跡部は王様だ。
冠はまだ、ない。けれど。
無冠の君に誰もが膝を折るのは、君こそ本物の王者だと知っているからだ。
君よ無冠であれ。
そしてたとえ岩のようなプライドの塊が粉々に砕け散っても、
その手に剣をとれ
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