こいつだけはダメだな。こいつだけはムリだな。 直感というよりはるかに確かな感覚でそう思った。思ったらもう駄目なのに、思ったのでもう本当に無理なんだろうと思う。 そう思うってことはつまり、望んでるってことだ。すでに。 わたしは一ノ瀬が走っているのを見るのが好きだ。とてもきれいで気持ちいい。 そう思ってるのはわたしだけでなく、練習の時、ふと流してる誰かの視線が一ノ瀬に向いてるなんてのはよくあること。 だからわたしも安心して奴が見れる。それは特別なことじゃないってみんな知ってる。 一ノ瀬の走りはきれい。とてもきれいで気持ちいい。 「い、おい!!」 「っうわ、っ」 「うわって……さっきっから呼んでんだけど」 つつかれた肩がびくりと震えて振り返ると、同じくらいびっくりした神谷くんが元から大きい目をさらに大きくしている。 「うわぁ、ゴメンぼーっとしてた」 「みたいな」 ハハ、と笑ってくれる。神谷くんはわたしが今まで見ていた場所をくいと顎で示して、 「連の走り、見てた?」 何でもなく聞いてくる。他意はない他意はない。神谷くんはそういう人じゃない。(するどくないという意味じゃ…いやそういう意味も少しあるけど) 「うん、思わず」 ドキリとした胸の内などおくびも出さないよう気をつけてわたしも何でもなく答えた。 こういうの、うちの部員じゃ珍しくない。 一ノ瀬の走りは人を惹きつける。ただはやくて、ただただきれいで、すごく正しい力がそこにあるような気がする。 「だよなー思わず見ちまうよなーあいつの走りって」 憧れ半分、悔しさ半分、ちぇー、と神谷くんは片目をぎゅっとつぶった(ウインクではなく)。 「神谷くんの走りもわたし好きだよ。かっこいいよ」 フォローじゃなく本当に思ってることなので言うと、神谷くんは「いいってほめなくて!」とあわてて照れた。 わたしはニヤニヤして 「ま、神谷くんは走ってなくてもかっこいいけどネ☆」 「なんだよー何がほしーんだよー」 「新しいクーラーボックス。もうこれ限界だよー蓋半分しか閉まんないよ限りなく意味ないよー」 「俺もそれは思ってた。しかも型古いからすげえ重いし。何気によく持ってるなっていつも思ってた。実は力持ち?」 「そうなの実は脱いだらすごいのアタシ」 だらっと棒読みで言うと神谷くんは爽やかに笑ってくれた。(っえー) その後無言でクイ、クイッと腕を曲げて力瘤をつくろうとしていると、 「いつも感謝してるよ、マジで。マネージャーは部員の宝だよ。みんな思ってるよ」 ふっと真剣なあったかい目でそんなことをさらりと言ってくれる。 「神谷くん……いいひと………!」 「だから新しいクーラーボックスは次の夏まで我慢して!頼む!」 「…………集めた部費はなんのため」 「今年の合宿・運賃・プロテイン・花火」 「花火?」 「合宿の最後の日にやろうって言ってたじゃん!」 「あー言ってた…ね。わたし部会の日なんか死んでて覚えてないかも」 「あー死んでたね。なんで死んでたの?」 「三ツ沢からあのクーラーボックスを一人で運んで帰ってきたあとだったから」 「………っあー…………………」 やぶへび。 目線が合ってニコッと笑う。神谷くんはヘラッと変な汗をかく。 「次はどっか削って予算回すよー。マジで。それまで勘弁して?」 「ハーゲンダッツのアイスおごってくれたらいいよ」 「安い安い。ありがとさん!」 ふと風を感じてグラウンドに目をやるとまた一ノ瀬が走っていた。あ。 私たちは言葉なんか忘れる。 走り終わった一ノ瀬が二人分の視線に気づいてこっちを向いて、ニシッと笑う。 タイム、いいの出たのかな。 「一ノ瀬の走り、見てると」 「うん?」 「気持ちよくって、たまんないね。なんか」 うん、て返事が来るかと思ったらこないからあれと思って隣を見ると、神谷くん顔を抑えて足下を見てる。 「神谷くん?」 「……、それあいつに言わないほうがいいよ」 「一ノ瀬の走りがいいなんてみんな言ってんじゃん。なにをいまさら」 「じゃなくて。なんか、エロかった」 「は?」 向こうから一ノ瀬が駆けてくる。人の目を引く力をスプリンクラーみたいに派手に巻き散らして風の子みたいにいつでもあの子は走ってる。 |