朝、新聞を取りに郵便受けを開けたら、佐伯から手紙が届いていた。 封筒には切手と消印。こんなに近所なのにわざわざポストに投函して出した手紙だった。 様、と書かれた佐伯の文字は、いつも通り、右上がりのやや不均衡。 言いたいことがあるなら、メールでも……、いや、学校で直接言えばいいのに。 封筒を、特に意味なく裏返しにしてみる。 そういえば、手紙をもらったのははじめてだ、と思いながら。 佐伯虎次郎、と差出人の名前が紙の上で一瞬、きらりと光ったような、それはわたしの錯覚だ。 手紙が届いたのは、卒業式の朝だった。 三月というのに前日に降った雪が積もっている通学路を、これで最後かー、と思いつつ、靴下が濡れないように歩いていたら、あっという間に学校に着いていた。 というか、早く着き過ぎた。 卒業式だから気が急いたのかな。それともいつもと何か違うのは、鞄の中に入れてきた、あれのせいか。 いつもより二十分以上早く教室へ行く。 一番乗りか、と扉を開けると、 「や、 」 窓辺に立っていた佐伯が待っていたかのように振り向いて手を上げた。 ……なぜいる佐伯。 しかし、どこかでいるような気もしていたよ佐伯……。 「佐伯、おはよう」 「おはよう。随分はやいんだな」 「そっちも」 「いや、なんだかね。卒業式だし、雪も積もってるし。いつも通りにしたくして出てきたつもりなんだけど、三十分以上前に着いちゃったよ」 「はやすぎ」 それで手持ちぶさたにずっと窓から外を見ていたのかと思うと、思わず笑ってしまった。 「窓開けて、寒くない?」 「うん、まあ。でもなんかきれいでさ」 どれ、と佐伯の横に行くと、うっすらと積もった雪で一面白いグラウンドが、日を受けてまぶしくチラチラと光っている。砕いたダイヤの粉でも混ぜ込んだみたいだ。 「なんか佐伯みたい」 ぽろっと口から出た自分の名前に、本人は、おや、という顔をした。 「雪が? 俺って冷たい?」 「じゃなくて、なんかキラキラ光ってるから」 「え、俺、光ってるの?」 「光ってるよ」 心底意外そうに佐伯は、えー、と眉を寄せた。 まあ、自分で自分は見れないからね。 でも、みんなが知ってる佐伯のキラキラを自分自身が知らないままなんて、なんだか残念な気もする。 「グラウンド、足跡もまだほとんどないし見れてラッキーだったかも。早く来てよかった」 「な。そんなに積もってるわけじゃないし、多分みんなが登校してきたら溶けてドロドロになっちゃうだろうな」 「もしかして、これ見るために早く学校来たとか?」 「いや、ちがうよ」 佐伯は軽く笑った。 「ふうん。……あ、そうだ、これ」 わたしは鞄の中から今朝方届いた彼からの手紙を取り出した。 「これなんだけど」 「え、う、わっ」 「………え?」 手紙を見た佐伯は飛び上って驚いた。 その反応にわたしが驚く。 「な、なんでそんなびっくりしてんの」 「え、え……!? えー!? うわ…………! なんで が今それ持ってるんだ…!?」 「え……いや普通に……朝うちに届いてたけど……」 「………………中身、読んだ?」 佐伯は耳まで真っ赤にして、顔の半分を片手で隠している。 「いや、まだ……」 今日すぐに会えるのに、その前にわざわざ郵便局を経由してきた手紙を開封する気には何となくなれなくて、そのまま持ってきたのだ。 そして佐伯本人に直接この手紙について聞こうと思って……いたんだけど……。 未開封であることを伝えた途端、佐伯は、はー、と息をついてその場にしゃがみこんでしまった。 なんなんだ、この狼狽ぶりは。どうした佐伯……。 わたしは完全に置いてけぼりだ。 「よかった…………」 どうやらなんとか体勢を立て直した佐伯が立ち上がり、手の平をわたしに差し出した。 「かして」 「え」 「一回、返して」 差出人にそう言われては、断るべくもない。 なんなんだいったい……。 一ミリも腑に落ちないながら、佐伯に今朝受け取った手紙を渡す。 佐伯は一瞬のためらいもなく手紙の封を開き、窓ガラスに便箋を押しつけ、猛スピードで紙飛行機を折りはじめ、あっという間に完成させた。 「は……!?」 「これで、よし」 ふー、と佐伯は満足そうだ。いや、ほんとあんた何やってんの…!? 「ちょ…!手紙!」 「うん、紙飛行機」 「うん、じゃない! 何? 何をしているの?」 「実は、これ、明日届く予定だったんだよね」 「……手紙?」 「そう。卒業式の次の日に着くように投函したんだけどなぁ……。なんで今日届いちゃうんだろ」 「いや、まあ、せまい町だし……近所だからじゃない」 「うーん。それが、これをポストに出したのって……だから、絶対今朝つくはずが……ないんだけど、いや、まぁいいや。届いたものは届いたわけだし。 には読まれずにすんだわけだし」 「え、読ませてよ、手紙」 「これはもう手紙じゃなくて、飛行機だから 」 「なにこどもぶった屁理屈並べてんの読ませてよ」 「やだなぁ、 、飛行機は読むものじゃなくて飛ぶものだろ?」 ハハハ、とすっかり自分のペースを取り戻した佐伯はさっきまでの慌てぶりを取り戻すかのように余裕の顔で笑っている。 「かしてって言ったでしょさっき!」 「え、俺が?」 「一回返して、って言ったでしょ!」 「うーん、うん、言った。言ったんだけどさ、ごめん」 「なんでわたしに届いた手紙わたしが読んじゃいけないの……」 意味のわからなさに呆然としていると、佐伯は弱った顔で視線をそらした。 「本当、まさか今日届くと思わなかったんだよ。ごめん、 。これは今日読まれちゃったら意味がないんだ」 「……なにそれ」 「いつかちゃんと、説明するよ。だからこれは、」 佐伯は手紙で折った紙飛行機をごく軽く、スイ、と窓から飛ばした。 「……!!」 「今はこういうことで」 風もないのに、佐伯の手から放たれた紙飛行機は糸に引かれたようにまっすぐに飛んでいく。 雪一面のグラウンドにさっきまで手紙だった白い紙飛行機は同化して、軌道をしっかり追っていたはずなのに、なぜかどこに着地したのかわからなくなってしまった。 「……(やりやがった…)……あれ、さがしてくる」 「え、よしなよ」 「行ってくる」 「せめて卒業式の後にしたら?」 「その間に絶対佐伯処理するでしょ!」 「いや、俺がしなくても時間が経てば多分溶けた雪で紙はベチョベチョ、読めなくなるはず、と踏んでる」 「……(この野郎)その前に、学校きた子が拾って読んだらどーすんの」 「 じゃない人が読んでも意味わからないから大丈夫」 「…………グラウンドにものを捨てるのはどうかと思います」 「うん、帰りにちゃんと持って帰るよ」 佐伯は爽やかに笑った。 「(ちくしょう……)」 「あ、ほら、 見てごらん、バネが来た」 「え、」 佐伯の指差すグラウンドに目をやると、言った通りバネが登校してくるのが見えた。 マフラーだけを巻いてコートを着ずに、そのくせ寒そうに身を縮めている。 「……バネってなんで冬なのにコート着ないんだろ」 「本人暑がりて言ってるけど、あれじゃ暑がりっていうより強がりだよな」 ハハ、と軽やかに佐伯が笑う。 たしかに、とわたしはうなずく。 「あ、いっちゃんも来た。逆にいっちゃんは厚着だなあ」 「耳あてまでしてるもんね」 「あの耳あて、似合うよな」 「うん。いっちゃんセンスいい」 他にも登校する生徒たちの姿が増え始め、一面真っ白だったグラウンドもみんなの足跡で土の色が見え始めた。 「さっきわたしが登校してたのも見えてたんだね」 教室に入って来たとき待っていたかのように名前を呼ばれたのは、だからなのか、とふと気付いて、そう言うと佐伯はうなずいた。 「最後だからね。どうせはやく着いたんだし、みんなが学校くるとこ見てようと思って」 最後。その言葉にどきっとした。前フリなく核心を掴まれた気分。 この学校に通うのが今日で最後になるのは、わたしも同じなんだけど。 佐伯はこの春から東京の高校に入学する。 今日の卒業式が終わればその足でこの町を出て行って、向こうの学校付きの寮に入るのだという。 それは受験をして、まだ 合格が決まる前から佐伯が言っていたことだ。 だから、こうなることは彼の中ではその時から決まっていたことなんだろうし、わたしも佐伯が言うならそうなるんだろう、と特に疑いもなく思っていた。 思っていたのだが、実感だけが、まだ、ない。 春から、今隣にいる佐伯がこの町からいなくなるなんて。 「……やっぱり手紙ひろってくる」 「え」 「だって、」 だって、せっかくの佐伯の言葉なのに。あれはわたしがもらったものなのに。 気持ちのままにそう言えば、駄々っ子のようにしか見えなくなるのはわかっている。 佐伯はきっとそれを上手になだめて、穏やかに笑って、ごめんな、と謝るのだろう。 そこまでわかっているので、だから、言えない。 黙ったままのわたしをじっと見ていた佐伯は頭をかいて、いかにもまいった、という風情で、 「泣くなよ、 。頼むから」 ……見当違いなことを言った。 「……泣かないけど。泣く予定、ごめん全然ないけど」 「え、あ、そうなの? よかったー。泣かれちゃったら俺どうしようかと思ったよ! あー、びっくりした」 「……………………なんかもう、全部どうでもよくなってきた……………………(つかれた)」 「え、なにが?」 「もう手紙も佐伯もどうでもいい……」 「ひどいな、そんなこと言われたら俺が泣きそう」 「どうぞ。泣いて。一人で」 「ハハハ、まあ、 が泣くよりそっちの方がずっといいけどさ」 「あ、そう」 「怒るなよ」 言いながら、佐伯は笑っている。 人には泣くなと言ったり、怒るなと言ったりしているくせに自分は笑ってばかりいる。 「これから何通でも書くから」 「…………」 「そしたら、今度こそ読んでよ。よかったら」 「………………気がむいたら」 「うん、それでいい」 「(いいのかよ)」 「だから今はここであとちょっと、ダビデとか剣太郎とかが来るの、いっしょに見ててくれないか?」 だから、って一体どこの何にかかった接続詞なんだろう、と思ったけど、その時の佐伯の声とか、雰囲気とか、匂い?とか、あとなんかもろもろの全体から、わかったことがあったので、わたしは黙って佐伯の隣にいることにした。 佐伯は、好きだと思った時にためらいなく人に告白するくせに、どうしてさみしい時にさみしいと、そう言えないのだろうと、思いながら。 並んで、わずかに接する佐伯の肩にそっと体を寄せる。 佐伯はこちらを見ないまま、わたしの声のない呼び掛けに応えるように、ささやかに体を寄せ返した。 距離の近さに、特に胸は高ならない。 佐伯だから。 なのに、距離が離れたらさみしいのは、やっぱり佐伯だからだ。 「向こうでさみしくなったらさ」 「うん?」 「テレポーテーションでもつかって戻ってきたら」 「テレポーテーション? うそ、俺できないんだけど」 「まあ普通に電車でもいいんだけどさ。佐伯ってなんか、できそうだから。テレポーテーション」 「俺って の中でどんなイメージなの、それ」 「未来からタイムスリップしてこれるなら楽勝でしょ」 「そっか。じゃ、練習してみるよ」 「がんばって。ま、ほんとにふつーに電車でもいいんだけど」 「うん、でもテレポーテーションつかえたら に会いたいと思った時、一秒もかからず会えるしね」 「佐伯が会いたいと思った時にわたしが会いたいかどうかはわかんないけどね」 「ハハ、そっか。だよな」 「でも、わたしが佐伯に会いたいと思った時は」 「お。そんな時、あるんだ?」 「あるよ」 こちらだけ照れてたまるかとも思うし、もう、本当になんだか何でもいい気分だったので、けろりと肯定してやると佐伯は、やった、と小さくガッツポーズなんてつくって見せた。 「そんな時は、呼ぶから」 佐伯は、一瞬真顔になって、うなずいた。 「ああ。呼んでくれたら、飛んでいくよ」 そんなことをてらいもなく口にして、その後で、照れくさそうに、うれしそうに、佐伯は笑った。 この世にはもう驚くことも、不思議に思うことも何もない。 だから、わたしが今佐伯を好きだなと思っていることも、特にまるで、不思議ではないのだ。多分。 |