練習終わり、 「お花見して帰ろうよ」 とが言い出した。 解散、と跡部が場をしめる一瞬に滑り込んだ声に岳人と今頃目を覚ましたジローが、おお、いいな!と急に元気になった。 「円岡公園、今ピンク色のブロッコリーみたいになってるよな!」 「綿あめみたいでうまそーだC!」 このあたりで花見と言えば岳人の言うとおり円岡公園で、小高い丘の上にぐるりと植えた桜の木が満開になっているのが俺の家からでも遠目にわかる。 たしかに離れて見るとピンクのブロッコリーだか綿あめだかと言いたくなる景色だが、お前ら腹を空かせすぎだろう。 三月下旬は夕方六時近くなってもまだ明るい。 今から行ってさっと見て帰っても十分花見気分は楽しめるだろう。 その前にコンビニ寄って何か腹に入れるものを買っていこう。と考える俺も岳人とジローを笑えない。 高等部進学を控えた春休みの間の自主練とは言え、氷帝テニス部の元三年が集まれば運動量はハードだ。 誰に言われたわけでもないのに都営のコートを連日借りて、ストイックでマメなやつらだなと自分も含めて思う。休んでいる方が落ち着かないのだ。 食いもんはおにぎりでも買うかな……花見気分、少しは出るかもな。 と、ぼんやり考えていると隣で忍足が出し抜けに大きな空咳をしてビビった。 「ウンっ、ウウン……花見、花見なあ、ええなあ、ええんやけどなぁ。ほら、自分ら今日花粉きっついやろ?練習中さんざ言ってたやん?この上寄り道して花粉吸ってもてええんか?」 忍足はちらと岳人とジローを見る。 「はぁ?ユーシ何言ってんだよ、一日外にいたんだからあと三十分寄り道したって変わるわけねー……あっ」 岳人は言葉を飲み込み、ぽかんとしたままのジローを見て頷いた。 「だなっ、ジロー!ユーシの言うとおりだぜ!花粉がやべーから今日は帰ろうぜ」 「え〜?急に言ってること変わってるC!それに俺花粉症じゃな」 「ウンンっ、ンン……せやんな、ほんま今日はきっついもんな花粉。、堪忍やけど俺たちは公園寄らんでこのまま帰らしてもらうわ」 「え、じゃあ私も帰るよ」 「いやっ、ほんでも桜のさかり言うたらちょ〜ど今やん?今この瞬間、満開の桜を見逃すんは惜しいと思うで?見てきたらええやん、は花粉症ちゃうんやろ?」 「うん、まあ……」 「ほしたら見てきいや。俺らの分まで。言うても、女子一人でそろそろ暗なる公園行くのも心配やから、他にも花粉症ちゃう奴おったらええんけどなぁ。おったかな、こん中に花粉症ちゃう奴。なぁ?」 ……………………。 忍足がサッと俺たちを見回す。 岳人は文句言いたげなジローの口を押さえ、滝は自然な様子を装って視線を外す。跡部は黙って目を伏せているが多分笑い出しそうになるのを堪えている。 俺はもう、ほんとにやめてくれと思いながら、 「……あー、じゃ、俺が行くわ」 と言った。言うしかなかった。 忍足は見る間に笑顔になり、「あーほんまぁ!宍戸花粉症ちゃうかったんか。こらよかったわー!ほな頼んだで。時間遅なったら駅まで送ったってや」などとお節介の駄目を押す。もうしゃべるな忍足。 ほしたらな、またな、明日なー!と勝手に忍足が場を仕切り、跡部が促される形で「解散!」と言った。その後で堪えきれず肩を揺らして笑ったのを俺はたしかに見た。くそ……。 が好きだと部のやつらに知られるのがまずいことだとは別に思わなかった。 なんなら別に部員全員好きじゃね?と思っていたし、いわゆる恋愛感情であるにしろないにしろ3年間一緒にやってきた部のマネに嫌悪感のあるやついないだろ? だから、この間忍足の「なぁなぁ、自分ら好きな子とかいーひんの?なぁ、」の質問に「俺は好きだけどな」と答えたのもそれ以上の意味があったわけじゃない。 え、それってどーゆーこと? とその後しつこく聞いてくる忍足にはうんざりしたし、岳人やジローには騒がれるし普段こういう話題にのってこない跡部まで聞いてやるから話してみろみてーな態度で面白がってやがるから、あーこういうことになるのか、めんどくせぇなと後悔はしたが、好意を知られたこと自体は別にそれがどうしたという思いでいる。 というか、好きだからなんなんだ? 忍足に言わせれば「告れや」という話になるらしいが、お前はこれから3年間高等部でも部活を続ける仲間内に色恋沙汰を持ち込みたいか?と呆れた。 そんなん、それとこれとは別やん!と忍足は言うが、俺はそうは思わない。 俺たちは全員、テニス部という共同体の中で付き合いを重ねてきた。 単なる部員仲間ではなく今では友達でもあるが、俺たちの中からテニスを引っこ抜いたら今の関係は続かないだろう。 友達でもあるが、それ以上に仲間だ。 その中にもいる。 のことは好きだが、仲間以上の何かになってもらいたいとは思わない。今は。 そう何度も忍足には言ったのだが、あいつはどうもこういうことに関しては聞く耳を持たない。 「そんなん悠長してる間にがええ男見つけたらどないするん?」 「いやそしたらそれでいーだろ。いい男なんだろ?がよければ何でもいいんだよ」 「うわっ……は?そんなん言うてる宍戸がめっさええ男やん何それ……何言うてんの……怖……俺を置いていくなや宍戸……」 と、よくわからないことを言っていたのが先日の自主練の帰り道のことだ。 以来数日大人しくしていたので、やっとこの話に飽きたかとほっとしていたら今日の花粉症のクサい芝居だ。 参った……。 「宍戸、じゃ行こっか」 忍足の様子に首をひねりつつもはカバンを肩にかけ直す。 ああ、と頷いて俺たちは円岡公園へ向かった。 ■ 円岡公園は四段重ねのケーキのような丘になっていて、一段目と二段目には桜を植えた外周にそって屋台が出ていた。入り口でたこ焼きやイカ焼きなんかを買って食いながら頂上を目指して花見が出来るというわけだ。 そういえば昔家族で来た時もこんな風になっていたなと思い出す。花見なんて久しぶりだから忘れていた。 「コンビニで飯買ってくる必要なかったな。何か食うか?」 「ううん、私もおにぎりあるし。でも見てるだけで楽しいよ」 「だな」 赤や黄色のど派手な屋台は祭り気分を盛り上げる。 「目当ての桜より目立ってる気するけどな」 「たしかに。でももっと夜になれば桜がライトアップされてよく見えるようになるんじゃない?」 は木々の根元に据えた照明を差す。 なるほど。 「その頃には俺ら帰ってるけどな」 「え、そうなの!?」 「遅くなると心配するだろーが」 「宍戸のおうち結構厳しいの?」 「お前の家族が心配すんだろって話だ」 「うち?一人じゃないんだし、宍戸がいれば大丈夫だよ」 がどういう意味で言っているのかよくわからなくて脱力するが、女の子のいる家にとって同級生の男が遅くまで外を連れ回したという事態はあまり歓迎されることではない気がする。 「俺がいたって別に安心材料にはならねーだろ」 言うが、はからからと笑う。 「宍戸がいれば大抵のことは大丈夫でしょ」 だからそれはなんの根拠があって何を想定してどう大丈夫なのか、と聞きたいが、それ以上つっこむ気にはなれなかった。どうせ深い意味はないのだと思う。 だがどれだけ浅い意味であったとしてもの口から「宍戸がいれば大丈夫」と頼りにされるのはまあまあうれしかった。 屋台の前を抜けて歩いているとほどなく丘の頂上に着いた。見上げると枝をのばした桜が混み合って空に蓋をしたようだった。 「おーすげーな」 「すごーい!きれー!」 まるで桜の花でつくった籠の中に入れられたようで、圧迫感さえ感じる。満開という言葉以上の満開だ。 桜の花一枚一枚が見たことのないどでかい生き物の羽毛のようでもあるし、鱗みたいにも見えてくる。 何千枚の花びらに囲まれているんだろう。何万枚か? 風はなく、音もたてずに咲いているのに一年間春を待っていた桜の物言わぬ気迫に圧倒される。 「きれーだけど、きれーすぎてなんかこえーな」 首の後ろあたりがぞくぞくしてきてそう言うとはうんうん、と上を向いたまま頷いた。 「宍戸は円岡公園来るの久しぶり?」 「だな。ガキの頃家族でよく来てたけどよ。最近は改めて花見って機会もなかったからな」 「私も。テニス部忙しすぎだよねぇ。氷帝は部活みんなそんな感じだけど」 「まーな」 「去年もお花見行こうって言ったけど部活終わるの遅くて行けなかったじゃない。今年こそはって思ってたんだ」 「去年?花見の話なんかしてたか?」 「したよー。まーみんな聞いてなかったけどね」 「そうか。……悪かったな」 「やーだ宍戸が謝んないでよー!私たち遊ぶために集まってるわけじゃないしね。花よりテニスですよ」 いまいちハマらない例えを言っては明るい声で笑った。が笑うと肩のあたりの疲れが急に軽くなる気がするから不思議だ。 花より団子、花よりテニスか。 なんでそう思うのかわからねーけど、のこういうところがいいなと思う。なんでだろうな。 「私も子どもの時は家族でお弁当持ってきたけど、今年は久しぶりにここまで来れてうれしーよ」 「あいつらも来ればよかったのにな」 これは本音だ。いつも通り全員で騒ぎながら見に来ればよかったんだ。 「でもみんな花粉症大変だよね、屋外の練習だとどうしても影響受けるしさ」 「あ?……ああ。だな」 ……意外とクサい芝居にひっかかるなこいつ。大丈夫かなと心配になる。変なやつに騙されるなよ。 円岡公園の頂上はライトアップされる前の中途半端な夕方だからかそれほど人気がなかったが、さすがにベンチには先客があった。 あと少しすると夜桜目当てでもっと増えるんだろうな。 俺たちは外周にそって立て付けた柵の前に寄って、買ってきた飯を食う。 立ち食いは行儀悪いかな、は気にするかなとうかがうが、そんな様子もなく柵に背中を預けて桜を見上げている。よかった。 「きれいだな」 「ねー」 会話とも言えない声を交わして、ただ桜を見る時間が過ぎた。 5分くらいだろうか、10分ほどだろうか。 徐々に暗がりが濃くなってきた。 来たばっかで忙しないが、 「そろそろ帰るか」 「うん。暗くなってきたね」 「満足したか?」 「うん!」 「おー、よかったな」 「来てくれてありがとね、宍戸」 礼なんて言われると弱る。 なんで弱るんだか自分でもわからないが。 「おー」 「ねぇ、お願いだから宍戸は花粉症にならないでね」 「あぁ?」 「来年も宍戸と一緒なら花見に来れるじゃん」 「んなこと言って来年はお前が花粉症になってるかもしれないぜ」 「いや大丈夫、宍戸を置いていったりしないってー!」 「……ああ、そうかよ。ありがとよ」 「ね、絶対ならないでね!」 に花見の連れを確保する以上の意味がないのは百も承知だが、来年の花見の約束をこうもせがまれるのは正直うれしかった。 腹の奥がくすぐったくなる。 「ならねぇよ、多分な」 答えて、下へ降りる階段の方へ向かいかけた時、スマホが鳴った。 画面を見ると忍足のラインで一言「告れや」と笑顔のスタンプが通知されていた。あいつ……。 「おうちの人?」 「いや忍足」 「忍足なんて?」 「……気を付けて帰れってよ」 「忍足は案外心配性だ」 は笑っている。 俺はうんざりとスマホを左手で握りこむ。 告れ告れと忍足は言うが、その想像自体俺は上手くできない。 実際これから3年間、部員とマネージャーでいる間に告白するつもりはない。 彼女になってもらうより今は仲間でいてほしい。にも仲間だと思っていてほしい。 ……まーそれも俺の勝手な希望だけどよ。 そう思うのは俺がまだガキだからなんだろうな。 手の中のスマホが通知音を鳴らす。 忍足のお節介はしつこい。しつこいが、いいやつだな、こいつも。 わかってるよ、ありがとな。 桜が塞ぐ空を見上げる。 暗がりで白さを増す花びらが水中で静止するあぶくのように見えて、一瞬自分がどこにいるのか度を失う。 3年前の春、俺はまだを知らなかったんだなと当たり前のことが不思議に思えた。 上手く想像はできないが、3年後の先、もしに告白する時がきたら好きだ、付き合ってくれと言う前に、俺にとってお前はすごく大事なやつだと伝えたいと思った。 忍足にはきっと笑われるだろうな。 「宍戸?帰らないの?」 が肩を軽く叩いた。覗き込んだ顔に思わず見入る。 「どしたの?あ、もしかしてライトアップ見て行く気になった!?やった!」 勝手に決めつけて拳を握って喜んでいる。 「……なってねーよ。おら帰るぞ」 えー夜桜見たいよー!と騒ぐの前に出て階段を下って行く。 「また来年見にくるからねー」 誰に言ってんだと振り返ると、は未練たっぷりに桜の枝を見上げて話しかけていた。 おい、前見て歩けよ。 手でも引いてやれれば安全なんだろうが、そのハードルは高い。 「転けんなよ」 そう言って注意を促すくらいがいいところだ。 俺がいたところでお前は転ける時は転ける。俺がいたって実は何も大丈夫じゃない。 俺でなくても他に手を引いてやれる誰かが現れるまで、お前はお前のことを守ってくれよ。 頼むから。 俺はうるさく「おい、転けるなよ」と言い続ける。 は「はーい」と上の空で答えて歩く。 何が、はーい、だ。 あー、好きだ。 |