花いちもんめ
バス停を降りると赤い半纏に下駄履きのせーちにーちゃんが立っていた。 「ようこそ、幸村家へ! さま」とダンボールに手書きのウェルカムボード(?)まで掲げている。 ここは空港……? バス中のお客さんの目を背中に感じてステップを降りると、せーちにーちゃんはやあ、と片手を上げた。 「あけましておめでとう、」 「あけましておめでとう、せーちにーちゃん」 「久しぶりだね。元気だったかい?」 「うん、元気だよ。せーちにーちゃん……その格好、なに」 「なにって、見ての通り。半纏に下駄。バンカラだろう」 フフ、とか自慢気に言われても。 けど、前会ったときより顔色もいいしほっぺたもふっくらしてる。機嫌もよさそう。 「元気そうでよかった」 心からそう言うと、せーちにーちゃんはにこりと笑った。 「それ、貸しな」 「あ、ありがとう」 三泊四日分のお泊りセットがつまったわたしの荷物を持ってくれたせーちにーちゃんが歩き出す。 下駄がカラカラとはしゃいで鳴った。 にーちゃん、なんて呼んではいるけどわたしとせーちにーちゃんは同い年だ。 どころか、三月生まれの彼よりもわたしの方が何ヶ月か生まれ月が早かったりする。 それなのににーちゃんなんて呼んでいるのは初めて会ったときに年上だと思い込んでしまって、長らく家族の誰も訂正してくれなかったからだ。 せーちにーちゃん、幸村精市と初めて会ったのは小学校に上がる春だった。 それはわたしの父が再婚した年だった。新しく母になる人のお兄さんは幸村精市の父親で、つまりわたしにとってせーちにーちゃんは新しく従兄妹になる少年として出会った。 そのころから幸村精市は周りの子より背も大きかったし、しっかりしていた。 子ども離れしていると言っていいくらい落ち着いていたし、身の回りのことは大抵一通りはこなしていた。時計だって楽に読んでたし、電車にだって一人で乗れていた。 まさに今の幸村精市をそのまま小さくしたようなこどもだったのだ。(おそろしいことに) 「ちゃん、紅茶はストレート?ミルクかレモン、どっちか入れる?」 初めてお邪魔した幸村の家のダイニングで慣れた手つきで茶葉を扱う男の子が同い年なんて、夢にも思わなかった。 親戚になったと言っても電車で一時間は離れた場所に住んでいたし、彼もテニスで忙しくて中々頻繁に会う機会はなかったのでその誤解が解けるまでに実に4年もかかった。 何気なく母親の口から漏れた「来年はあんたも精市も五年生ねぇ、早いもんだわ」という言葉に、 「なに言ってんの、せーちにーちゃんは来年中学でしょ」と笑ったら、一瞬ぽかんとされた後大笑いで返された。 「やーね、どうしてと精市に二年の誤差があるの、同じ年度に生まれたのに!」 ほんと、どうしてでしょう ね。 「どうかした?妙な顔してる」 「ん、せーちにーちゃんが同い年だってわかったときは驚いたなぁ、って思い出してた」 「ああ、また昔のことを。あの時は俺も驚いたな。どうしてにーちゃんて呼ぶのかな、てずっと不思議だったけどまさか本当に年上だと思われてたとは思わなかった」 「せーちにーちゃんしっかりしてたからさ…」 「今だにそう呼ぶしね、は」 「……一度馴染んじゃうとぬけなくて。練習してるんだけどね」 「練習してるんだ」 「うん」 「何て?」 「普通だよ、精市くん、て」 「ハハハ」 「……変?」 「うん変」 すぱっと切れ味のいい笑顔。 「だって立海入って同い年になってせーちにーちゃん、なんて呼べないじゃんー! それとも幸村くん、とかのほうが無理ないかな?」 「いやだなぁ、気持ちが悪いよ」 「そんなこと言われてもなぁー…」 「それに、立海入れたら、だろう?」 「うっ……」 「受験、がんばってな」 「はい……」 「まぁ、この三日間勉強はしっかり見てやるから」 「お願いします……」 わたしは来月立海高等部の入試を受ける。 そのための勉強を見てもらうためと、学校見学のために元旦から幸村のお家にご厄介になりにきたのだ。 「ちなみに勝率は?」 「う……判定は、Bマイナス……」 「模試の結果じゃなくて、の見込みを聞いてるんだよ」 「……ぜったいうかるゾーオー」 「声が小さいよ。あ、家行く途中に小さい神社があるけど寄るかい?」 「神社? 混んでない?」 「みんな近くの大きな神社の方に行くから平気。俺たち年越ししてすぐそっち行ったから、こっちにも挨拶しないと。それに、のことを早く神様にお願いしておいて方がよさそうだしね」 「なんか神様先着順みたい……」 「そうだな、俺が神様だったら早く来た人から先に願いを受け付けるな」 「えーなんか事務的だなぁ」 「早く来る人ほど熱意がある気がするだろう」 「うーん……じゃあ行く。あ、でも荷物重くない?」 三泊四日分の着替えやら勉強道具やらがつまったリュックはパンパンだ。 せーちにーちゃんは左肩にかけたそれを軽く揺すって、「余裕」と笑った。 なんだか少し泣きそうになった。 せーちにーちゃんが突然大きな病気をして倒れたのは一年ちょっと前のことだ。 それまでテニス一色で風邪もひかないような人だったので当時は悪い冗談にしか思えなかった。 実を言うと今も半分くらいタチの悪い夢でも見ていたような、おかしな感じがする。 わたしはせーちにーちゃんの病院にお見舞いに行けなかったので、今だに病人だったというとイメージがないんだと思う。 せーちにーちゃんに病院には来るなと言われていた。 わたしだけじゃなくて、わたしの母も父も。それだけじゃなく、自分のお父さんお母さんにもできるだけ来てほしくないと言っていたらしい。 すぐ戻るから、と言って、柔和な笑顔で頑なに拒絶していた。 すぐ戻るから。家に。 すぐ戻るから。元の自分に。 言った通りすぐに戻ってきた。 この人はそういう人。 入院していたときにお見舞いに行けなかったから夏に退院してからはけっこうまめに顔を見に来ていたので、今日会うのも実はそんなに久しぶりじゃない。3ヶ月ぶりくらいだ。 でも去年はお正月にはせーちにーちゃんは病院だったから、あけましておめでとうを言うのは二年ぶりだったなぁ、なんて思いながら神社の境内を進むせーちにーちゃんの後をついて歩く。 小さい神社のせまい境内には参拝のお客さんのかわりにこどもたちが遊んでいた。 かーってうれしい花いちもんめ、まけーてくやしい花いちもんめ、となりのおっばさんちょっと来ておっくれ、おにーがこーわくーて行ーかれない、と唱和する高い声。 「花いちもんめだ」 「へえ、今のこどもたちも花いちもんめなんてやるんだな。DSとかでしか遊ばないのかと思ってたよ」 「一人大きい子がいるね。お兄ちゃんかな」 「本当だ」 5、6人の小学三年生くらいの子どもたちにまじって一人わたしたちと同い年くらいの男の子がいた。 小さい子のお守りなのかな、と思って見ているとけっこうまじめな顔で「あっの子っがほっしい」「あっの子っじゃわっからん!」と声を上げている。楽しそうだ。 「そーだんしよう、そうしよう」とそれぞれのグループが丸くなった。 そこにせーちにーちゃんが素早く近づいていく。 えっ、何してんの…? 「どの子が欲しいって?」 「だーからとりあえず乱闘になったときのためにアイコはぜってー獲得しとけって。アイコまじ強ぇから、女とか関係ねぇから。勘助、オメー甘く見てっと泣かされっぞ」 「こどもの遊びに乱闘なんて穏やかじゃないな、赤也」 「ケンカに大人もこどもも関係ねーって!やるかやられるかだ……って、あっれ、部長!?」 「あけましておめでとう、赤也」 「あ、あけましておめでとうっス!あれ、部長の家ってこの辺でしたっけ!」 「そうだよ。赤也こそ、家はこっちじゃないだろう? 今日はご親戚のおうちにご挨拶かい」 「そうなんス、チビどもの面倒押し付けられちまって!元旦からマジついてねぇッスよ。早く部活やりてーんスけどねー」 「それにしては楽しそうに見えたけどな」 「気のせいですって!…つーか部長、すげぇカッコしてますね」 「バンカラだろう」 フフ、とまた機嫌よく笑って、せーちにーちゃんはわたしを手招きした。 「紹介するよ。うちのテニス部の来期部長、切原赤也。俺たちの一つ下だ」 「あ、はじめまして、です」 「ちわス!へへ、ひょっとして部長の彼女ですか?元旦デート?部長〜これみんなもう知ってんスか!?俺メール回していいスか?」 「彼女は俺の従兄妹だよ。同い年で今年立海の高等部を受けるんだ」 「へ、従兄妹ー?」 「あ、はい、従兄妹です」 「へー!へー!へー!」 赤也くんというせーちにーちゃんの後輩はわたしを頭から足まで珍しそうに見下ろして、人懐こく笑った。せーちにーちゃんの笑顔に見慣れていると、ちょっとびっくりするくらい思い切りのいい笑い方だった。 「あんま似てないっスね!」 それは、血がつながってませんので。 なんて初対面で言うことでもないので、あはは、と曖昧に笑ってうなずいた。 「従兄妹ってそんなに似るものでもないだろう」 「そっスね〜あいつらも俺の従兄妹だけどあんまし似てないもんなー」 赤也くんがぬけた子ども組は花いちもんめを投げ出していつの間にか鬼ごっこをはじめている。 にーちゃん鬼ねー!勘助と鬼二人ー!と高い声が飛んでくる。 「あっテメ、なに勝手に人鬼にしてんだよ!待てコラ!…っと、いうわけで部長!と従兄妹さん、失礼します!また休み明けに!従兄妹さんはまた春に!そいじゃ!」 言うが早いかぴゅっと飛んでいく後輩にひらひら手を振って、「じゃ、行こうか」とせーちにーちゃんが拝殿へ向かう。 わたしはその後ろについて、せーちにーちゃんがお賽銭を入れるのを見たあとでお賽銭を投げ入れ、せーちにーちゃんが手を合わせたのを見てそれに倣った。 「よくお願いしておくんだぞ」 目をつぶったまませーちにーちゃんが言った。 うん、と目をつぶったままうなずいた。 けど願いごとはしない。去年さんざんして叶ったから、今年はお礼を言うだけ。 神様、せーちにーちゃんを元気に家に戻してくれて、ありがとうございます。 「いいか、付き合うなら真田がいいぞ」 神社を出た後、脈絡なくせーちにーちゃんがそんなことを言い出した。 ちょっとこけそうになった。 「何言っちゃってるの、せーちにーちゃん」 「随分前から考えていたんだけど、やっぱり真田がいいと思うんだ」 「やっぱりって何」 「柳生か真田、どちらがよりいいか考えて、やっぱり真田がいいかな、って」 「柳生さん……が紳士な人で、真田さんが副部長さんなんだっけ」 「そう。紳士か武士か最後まで迷った」 「……真田さんてあの大きい人でしょ」 写真で見せてもらっただけだけの記憶をひっぱりだす。 背が高くて、随分年上に見える感じの、ちょっと強面の人。 せーちにーちゃんは満足そうにうなずいた。 「うん。背も大きいけど懐もでかい。ちょっと堅物だけど身持ちは固いし浮気するくらいなら腹を切るような奴だからね。安心して添い遂げるといいよ」 「いやだよ会ったこともないのに。真田さんだっていやに決まってるよ」 「ハハ、真田に首なんか振らせやしないよ」 「そんな何の権限があるの、せーちにーちゃんに」 「部長の権限?」 「……わたしテニス部とか部長とか関係ないし」 だからせーちにーちゃんの権限なんて知らないよ、と言うと、せーちにーちゃんは微笑んだ。 何かひどい勘違いをしているこどもに正しい物の成り立ちを教え聞かせるような教師みたいだった。 「馬鹿だな、俺はお前に世界で一番幸せになってもらわなきゃ困るんだよ」 「どうして」 「俺はお前が世界で一番可愛いからさ」 「せーちにーちゃん……世界せまいよ」 からからとせーちにーちゃんが笑った。お正月の高い空に、人っこひとりいない道路にその声はよく響いた。 「どれだけこの世が広くても俺の世界に大事なものは三つか四つ、多くて片手の指で事足りる。数えてみようか?」 「…いい」 「どうして」 「なんかこわい」 「そう?には好きな指をやるのに」 「…いらない」 「つれないなぁ。そろそろ兄離れの時期なのかなぁ」 なんて、ちゃんと血のつながった本物の妹がいるくせにそんなこと言う。わたしに。 そんなに大事だ大切だというのにこの人は最初からわたしに一歩も近づこうとしない。 はじめて顔を見た瞬間にがりがりと地面に線を引いて、以来何年たってもそれの内側にいる。 友好条約で固く結ばれてはいるけれど、それで国境が変わるわけじゃない、みたいな。そんな感じ。 「わたしはせーちにーちゃんが好きなんだけど」 「俺もが好きだよ」 「もっといろんな意味で好きなんだよ。だから真田さんとか言わないでよ。せーちにーちゃん、知ってるくせにずるいよ」 「俺はをはじめて見たときから一個の意味でしか好きじゃない。多分死ぬまでそれは変わらない」 「……わかってるよ」 「へえ」 何を、と目で聞いてくる。 わたしが何をわかってるかなんてこの人は知ってるくせに、それを反復させていちいち確認を取る。 服従させることに慣れた人の話法手段だ。せーちにーちゃんは人の上に立つことに慣れている。 「親戚の、身内の女の子って意味でしょ」 「俺はお前を身内だなんて思ったことは一度もないよ」 「え」 「ほら、今ショックだったろ」 「……うん」 「うん、だからお前は馬鹿なんだ」 「えー、だって、そりゃ血はつながってないけどずっと親戚で、ずっと遊んだりしてきたのに、そんなのひどくない?ちょっと、いやだ、涙出てきた」 「血なんてどうでもいいんだよ」 「えー?」 なに言ってんのこの人。 「俺がお前を好きなんだから。お前がどこのだれの子でもかまわない。血のつながった従兄妹でも異母妹でも。なんなら実の妹でも変わらない」 「…………」 「世界で一番ていうのはそういうことだよ」 「……じゃあ、どうして」 「ほら、そこでどうして、なんて出てくるからやっぱりは馬鹿だ」 「…え?」 「言ったろう、お前には世界で一番幸せになってもらわなきゃ困るって」 「……でもわたしはせーちにーちゃんが好きなんだよ」 せーちにーちゃんはもう何も言わなかった。 いつもと同じ、いつでも真顔から微笑みへ変える分だけの余裕を口元に乗せてまっすぐ前を見ている。 カラカラコロリ、言葉の代わりに下駄が鳴る。 この人は。 何でも自分の思ったことを思った通りにする。そうできることを頭から信じて疑わない。 だから周りの人もうっかりそれを信じて、そうすることが当たり前のように振舞う。 自分に出来ると思ったことは必ず叶える。 自分が望んだことは必ず実現する。 だから出来ないと思ったことには決して触らない。 実現できないと見切ったものには手をつけない。 この人は、そういう人。 「俺が真田ならよかったのに」 幸村の家の玄関に手をかけて、ただいま、と言う二秒前にせーちにーちゃんが言った言葉に、わたしが答える言葉なんてこのせまい世界にあるのだろうか。 |