目が覚めると深夜の2時で、あれっと思う。 家じゃない。どこだ、ここ。 答えは寝ぼけながらもすぐに出る。 そうだ合宿所のベッドの中だ。 いつだ、今。 冬休みの、真夜中だ。 夢じゃなくて、現実だ。 ああ、もう今日は久しぶりに部活してすっごい疲れてたから朝まで眠れると思ったのに。 寝返りを打ってもう一度寝ようと試みるけど、眠気が降りてくる気配がない。 どーしよう。 明日も朝練あるのに。 私は諦めてベッドを出る。 ■ 毎年長期休みの度につかっていたので氷帝部活動合宿所の間取りにも慣れたものだ。 階段に設置されたフットライトのぼんやりとした灯りの中、キッチンのある一階へと足音をたてないように降りていく。 何か食べ物か飲み物でもお腹に入れれば眠気がくるかなと思ったのだ。 談話室とキッチン、入浴設備のある一階は今は当然電気が消えて人気がない。あったら怖い。 日中選手たちは体力を使い果たしているだろうし、今頃はみんな熟睡しているはすだ。 キッチンへ入り、手探りで電気をつける。 と、 「あーン?」 「えっ跡部!?」 「か。こんな時間に何してる」 「そっちこそだよ!どしたの跡部、電気もつけないで」 そこにいた先客に飛び上がってびびる。 「俺は夜目が効くんだよ」 「そ……そうなんだ」 「お前はどうした」 「え……なんか目が覚めちゃって。眠れなさそうだったから、何か食べたら眠くなるかなと思って来た」 「盗み食いか」 「ぬす…………まぁそうか。そうだね」 そう言われるとそれ以外に言い様もない。 はははと笑うと跡部は、しょーがねぇな、と言って冷蔵庫を開けて何事か支度をする。 「何か持っていってやるから談話室で待ってろ」 「え!跡部何か出来るの!」 いつも樺地くんに雑事諸々の全てをやらせてるくせに! という目で見る私を跡部はうるさそうにしっしっと手を振って追い払った。 ■ 「ほらよ」 何が出てくるのか少々ビビりながら待っていたのだが、跡部がテーブルに置いてくれたのはごくごくまともなホットミルクと蜂蜜だった。 「ありがとう……」 「…………何て顔してやがる」 「えっ」 「毒でも入ってるか検分してやろうか?」 「いやいや!ありがとう跡部!いただきます」 マグカップに蜂蜜を垂らしてかき混ぜると、懐かしいような甘い匂いが立ち上ってきた。これだけでもリラックスできる。 跡部はテーブルを挟んで向かいの椅子に座り、同じものを飲んでいる。 「で、跡部はこんな時間に何してたの」 「あ?聞いてなかったのか?」 「いや答えてないでしょ、夜目がどうとか言ってただけで」 「そうだったか」 「……で、何してたの?」 跡部はホットミルクをゆっくりと飲んで、私の質問などはじめから聞こえていないかのように無視をした。 でも答えないことが一種の返答になっている。 私たち3年がこの合宿所をつかうのは今回で最後になる。 秋に引退してすでに数ヶ月が過ぎた3年に、この冬休み、最後の泊まり込み合同練習をしてほしいと新部長になった日吉たちから申し出があったのだ。 とうに引退式まで終えているし、「いつまで俺たちに甘えていやがる」と跡部が言ったりもしたけれど、結局3年の元テニス部の面々がいーじゃねーかととりなして、最後の合宿が行われることになった。 部室と同様にこの合宿所にも3年間の思い出があふれている。 跡部も思うところあって1人深夜にその名残をなぞっていたのではないだろうか。(わからない、もしかしたら私と同じく盗み食いに来てただけかもしれないが) あるいは、眠りが浅くなるような考え事を跡部も抱えているのか。 私たちは何を話すでもなくホットミルクを飲んでいる。 時計の秒針を刻む音が気にし始めるとひどく耳障りだ。 こんな時間まで起きてて、私はともかく明日(もう今日か)跡部は体力持つのだろうか。 「おいしかった。ごちそうさま」 「どうだ。眠れそうか」 「うーん、あんまり。でも横になってれば気付かないうちに寝れてるかも。跡部は?」 「そうだな……」 「無理そう?」 跡部は返事をしないが肯定のようだ。 うーん。 眠れないと焦るのもかえってよくないか。 それなら、 「トランプでもしよっか」 ■ 合宿所に娯楽用品は少ないが、談話室にはトランプ、ウノ等カードゲームが数点ある。 このトランプで向日たちと消灯前によく遊んだものだ。 カードゲームは気心の知れた友人4、5人で遊ぶと驚くほど盛り上がる。 トランプ、と聞いた跡部は「ガキかよ」と鼻で笑ったけど、私たちは全然まだまだ大人じゃないし、トランプは大人になっても結構熱く遊べる気がする。 トランプで何する?と尋ねても跡部は答えなかったので多分あんまり遊び方を知らないのだろう。 そういえばこれまでも合宿中跡部がトランプに混ざったことはなかったかも。 よし、ここは一つ私が跡部にトランプの楽しさを教えてあげよう……。 そ う 思 っ た の に 。 「跡部やったことないっつってたのにいきなりやってくれるじゃん……!?」 「ああ?コツも何もねぇようなゲームに何言ってやがる」 「いや4、5人でやるとわけわかんなくなって面白いんだけどね。2人だと無理あるよねダウト」 「わかってるなら誘うんじゃねぇ」 なんて言いつつ跡部も私もだらだらとカードを切っていく。 チョイスしたゲームがまず失敗だったなと悔やんでも遅い……。 ダウトは人数分に配ったカードで、順番に1人ずつ「1」「2」「3」……と手持ちのトランプから該当する数字のカードを切って捨てていくゲームだ。 もちろん自分に配られた手札の中に該当数字のカードがない場合もある。 その時は、手持ちの別のカードを自分の出すべき数字のフリをして偽って出してもいい。カードは裏にして山に捨てるので見た目にはわからない。 大胆に複数枚持っているフリをしてカードを一気に2枚、3枚出すことも可能だ。 ただし、それが嘘だと誰かが見抜いて「ダウト」とコールをし、嘘が暴かれればそれまでに捨てられたカードは嘘を見抜かれた人が全もらいすることになる。 ダウトをうまくかわし、カードをはやく切りきった人が勝者。 というゲームなのだが……2人でやるとこれは本当にどうかするほどつまらない。 向日たちとよくダウトで盛り上がった記憶があるのでつい選んでしまったが、跡部がうんざりするのもわかる。 二人でやって盛り上がるトランプって何かあったかな、と考えるけどぱっと思いつかない。 跡部が「4」と言ってカードを二枚捨てた。それで跡部の手持ちのカードはなくなくったので、私はダウトをコールする。黙っていても跡部の勝ちだし。 めくったカードはハートの4とスペードの4の二枚だった。 「マジかー。生まれて初めてやった初心者に負けた……」 「俺様を誰だと思ってやがる」 はっ、と顎をそらす跡部はそんなポーズに反して全然楽しくなさそうだ。 まあそらそうだ。面白くないよ二人でやるダウトー。 それほど時間がつぶせたわけでもないし、眠気も一向降りてこないけどこれは解散だなーと私は伸びをした。 が、跡部はカードの山を手にとって混ぜ、重ねて、切って再び配り始めた。 え……!? もう一回すんの……?このくそつまんない二人ダウト……? 「き……気に入った?跡部」 「あーん?何がだ」 「ダウトだよ……」 「気に入るわけねぇだろうが」 ですよね……と眉間に皺を寄せて私はテーブルの上を滑って眼前に配されるカードたちを見る。 カードを扱う跡部の手並みは鮮やかで、流れるように送り出されるカードは「今、トランプに生まれたことを誇りに思ってます!」と言わんばかりにピシリと四隅を立たせている。(ように見える) 配り終えて手札を広げる跡部にならって私もカードを手に取った。 なんでやるんだ?二回戦……。 どうせ部屋に帰っても眠れなそうだからいいんだけど。 しかしそういえば、跡部と二人きりでいるってこれまでそんなになかったなと思う。数分で済む軽い申し送りや打ち合わせを除けば皆無かもしれない。 宍戸とか忍足とか樺地くんはマネ業務の買い出しによく付き合ってくれたからそんな機会が何度もあったし、向日とは去年同じクラスで家もわりかし近いから一緒に帰ったりはしたけど。 跡部とは同じクラスになったこともないし、部活は常に大人数だし、部活を離れて休みに顔を合わせる時もレギュラーのメンバーが集まって跡部的慰労会兼ねて遊ぶみたいな雰囲気だし。 そもそも跡部は忙しいしな。 でもみんなといる時の跡部はいつでも楽しそうだった。 多分この人は人から求められるものに応えていくことが好きで、そうすることで自分も上がっていけるんだろう。 周りの期待や羨望を自分のエネルギーに変えていけるのだ。 サービス精神が旺盛というか、人を喜ばせることが好きだよね。というか、多分人が好きなんだ。 こんなに俺様なのにそういうところが相反せずに共存して成り立ってるの面白いなぁとぼんやり考えながら、私の順番の6のカードがなかったので手持ちから5のカードを「6」と偽って場に捨てる。 「ダウト」 「……なんでわかんの」 「お前はなんでわからねーんだ?」 あーン?と言われてイラ……とする。 こちらに6が1枚もなかったのだから向こうの手持ちに6が4枚あったのだ。それは当然だがコールがはやすぎないか!?瞬時に全カード把握してんのか!?そうか…… 元々なかったやる気がさらになくなる。 あーあ。 ダウト二人でやろうなんて誰が言ったんだ。私だ。私のアホめ。 「ねーつまんないからさー」 「ああ?」 「なんか、ゲームに要素を付け足そう」 「要素?」 そう、と言いながら私は考える。 「カードを捨てる時、何か一つ情報を提示?して、それを嘘だと思った時だけダウト出来るようにしよう」 「どういう意図だ?」 「つまんないし、このままだと跡部に全部ダウトされて私終わるじゃん。ダウトのコールを縛る狙い」 「そのルール俺にメリットはあるのか?」 「ハンデつけてよ。自信あるなら」 「……提示する情報ってのはなんだ」 「なんでもいいよ!自分の秘密でも世間一般の雑学でも」 「雑学はまだしも申告した本人情報が本当かどうやって証明するつもりだ」 「んー、じゃあ証拠を出せなかったら真実でもダウト認定にしよう」 「ダウトをかけた発言が真実、カードがブラフの際は?」 「えーと、えーと……ダメ、発言とカード両方とも嘘じゃないとダウト不成立で、かけた側が場に捨てられたカード全もらいする」 「嘘をつきながらでたらめなカードを出したのを見抜いた時のみダウト成立、か。ひでぇルールだな。それで面白くなると思ってんのか?」 「いやわかんない。話してて自分もよくわかんなくなってきた」 思いつきだからさーははは、と笑うと跡部は嘆息した。 「しょうがねえ奴だ。いいぜ」 適当に口から出るに任せての提案だったので自分でも意味不明な変則ダウトだが、これはつまり、出すカードが何であれ本当のことだけを言っていれば勝てるルールなのでは? そうだよね? 嘘をついた際のメリットが何もないのだから、そのはずだ。 証明できる本当のことだけ言って、跡部がダウトをかけるのを待っていればいい。 「えーと、最近ちょっと太った。7」 「だろうな」 「(だろうな!?)」 「俺は先々週の日曜に間違って学校に登校した。8」 「えっ うそでしょ、ダウト!」 そんなんあるわけないだろと勢い込んでコールすると、跡部はスマホに保存した自撮り写真を無言で私につきつけた。 学校の屋上っぽい背景にパラシュート器具をつけているらしい跡部の上半身の画像で、日付はたしかに先々週の日曜だった。 「なにやってんのあんた……」 「中々いい休日になったぜ」 「なんでだよ。寝てなよ日曜くらい」 「予測しねぇイレギュラーが時として人生を彩る。ま、お前にはわからねぇか」 わからねぇよ…………。 本当のことにダウトをかけてしまったので、捨てられたカードは私の取り分になる。 不用意なダウトは危険なのだ……。 ていうか…… 「…………これ、相手が何言ったってダウトしなけりゃいいんじゃないの?」 しなければリスクはない。だがその場合…… 「そうだ。ただお互い交互に数字を言い合って終わることになるがな。なぁ聞くが、これはゲームか?」 「……ゲーム……じゃ、ない……」 「そうだな。ダウトのゲーム性を根本から破壊しやがった。見事だ」 「……………………」 おかしい……私は何がしたかったんだっけ? 跡部に一矢報いたかっただけなのに……ていうか、そうだったっけ?そんなんもうどうでもよくないか? 「もう寝る……」 「まぁ、待て」 立ち上がりかけた私を制して跡部はカードを三度一つにまとめ、よく混ぜる。 「もう一戦だ。お前に有利なルールをやる」 「有利ぃ?」 跡部が自分からそんなことを言い出すなんてうさんくさい。言ってることすべてブラフに思えてくる(被害妄想) 「発言は自分のことのみ、そしてその真偽は問わねぇ」 「はー?」 「証明はしなくていい。真実でも虚偽でも俺を欺けたらお前の勝ちだ」 「……跡部は?」 「俺はさっきの死んでる変則ルールでいい」 私が本当のことを言っても嘘を言っても証明する必要はなく、跡部を騙せればいいってことか。 ダウトをかけられても認めずに「本当だ」と言い張ってればいいってこと? なんだかもうこんがらがってよくわからない。こんな意味のないことなんでよりによって跡部とやってるんだっけ? 返事をし損ねている私の前にどんどんカードは配られる。 こんなクソのようなゲームをしているのに跡部は何だか機嫌が良さそうで意味がわからない。だんだん跡部の偽物に見えてくる(合宿所の都市伝説的なやつで知り合いの姿で現れて一晩中無意味なゲームに付き合わせる怪異的な)(日吉が好きそう) 「始めるぞ」 配られた手札を不承不承広げている間に、跡部はもうカードを切っている。 「1、来年は高校の全国大会で優勝する」 だしぬけに言うので驚いた。 いや、それはそう……そうなるのがもちろん目標なのだけれども、いやこんな場で唐突に言うことか? 跡部は面白そうに私を見ている。 もちろん、ダウトをかけるわけがない。 してもらいましょう、優勝。応援するに決まってる。 でも私は、 「高等部でもマネージャーやるかわかんない。2」 今度は跡部が面食らう番だった。 多少はそういう反応をされるだろうなとは思っていた。 「辞めるのか」 「や、わかんない。考え中」 「いつからだ」 「え?」 「いつから考えてた」 「夏の大会が終わってから」 「負けたからか」 「じゃなくて、終わったからだよ。中学の部活動が。今はボーナスタイムみたいな合宿中だけど。正式には終了したから」 「やらねぇ理由は何だ」 理由。 聞かれると困ってしまう。話せば聞かれると思ったから黙っていたのに。 中学3年間氷帝テニス部のマネージャーを努められてすごく楽しかった。 面倒くさいことや疲れること、納得のできないことも多くあったけど、それ以上に充実していたし、テニス部は全員癖はあるけどいい奴でみんな大好きだった。 彼らが勝てばうれしい。負けたらつらい。 怪我なく悔いのないプレーが出来るなら、自分が代わりに彼らの不運をかぶってもいいといつからか自然に思うくらいテニス部のメンバーには思い入れがある。今も。 でも夏の大会が終わった時にふと思った。 私は彼らの側、コートの中には入れないのだ。 近くでサポートして、応援して、協力することはできる。でも、選手と同じ気持ちにはなれない。 という当たり前のことに、ガツンと夏の終わりに気づかされた。 彼らとは違うということははじめからわかっていたのに、同じでいたいと思うほど好きになってしまった。 この先もこういう思いをし続けるなら、今いる場所から離れて、その違いを実感できる距離から応援するのも自分にとってはいいのではないか。 みんなのように、勝つことも負けることも自分次第で決する場に私も立った方がいいのではないか? どれだけみんなを好きになっても、私は私の人生を生きるしかないのだから。 と、思って、でも今も思い切れず、後輩に請われて合宿に参加すればしたでテニス部ってやっぱりいいな、一緒にいたいなと願ってしまう。 だから考え中。 以上を跡部にスムーズに伝えられる自信がない。跡部に理解されたいとも思わない。してもらえるとも思えない。 これは私個人の葛藤だ。 理由は、と跡部が重ねて目で問うてくる。 それを避けて私は手持ちのカードを全部山に伏せる。 逃げよう。 今度こそと腰を上げるが、瞬時にカードの上に置いた手を跡部に押さえられてテーブルにつんのめった。 「」 耳元で跡部の声がする。 目の奥が急に熱く潤んで、え、私泣くのかと焦る。 この男の前で泣くのか。 「何も言わないで」 「いや、言わせてもらう。コールの権限は俺にある」 跡部は私の手を掴んでカードの山から引き離し、一番上に乗っていた1枚に手をかけた。 「ダウトだ」 宣言と同時にめくられて現れたのはスペードのキングで、それはちょっと出来過ぎでは、と私は笑いそうになるのに涙が落ちて困る。 残念だったな、と跡部は言って私の手を優しく放した。 |