スパッと音をたてて押入れの戸は開かれた。光がまぶたの裏をさす。 「こんにちは、オサム先生」 「…………また来たんか」 君が飛んでくるのは決まって俺がへこんで昼寝しとる時や。 なんでわかるん。 寝ぼけ眼でたずねると、だって今は春だからと答えにならんことを君は言う。 春だからなんや。 「あなたここがほんとに好きね」 「落ち着くんや」 昼寝は宿直室の押入れの上段がベストプレイス。間違いない。ドラちゃんもお気に入りや。 「暗くてせまい場所が落ち着くっていう人けっこう多いわよ。こわくて苦手って人も多いけど」 「どっちや」 「だからどっちも」 よいしょ、と押入れの上段に君は後ろ向きに腰かける。ケツが顔のすぐ横にくる。 「セクハラや」 「お触り厳禁ですわ」 ホホホと笑う。どこのお嬢さんや。 「今日も女子高生かい」 「せっかくだからね」 「人が見たらどこの生徒連れこんどんねんてなって俺はクビやな」 「ハハハ淫行罪」 「笑えん」 短い制服のスカートからすんなりした足をブラブラ揺らしているのはどこから見ても女子高生。 そして彼女が言うには俺の未来の奥さんらしい。 うん。まあ待ってくれ。 電波ちゃうねん。 へんなもんには手ぇ出してへんよ。俺まだ教職でいたいんや。 彼女はある日急に目の前に現れた。比喩やのうて、まばたきで目が閉じて、開いたらそこにおった。 びびった。 やって俺の汚いアパートには当然俺しかいてへんのに。 すわ泥棒、キャッツアイかと腰を抜かした俺に、ブレザーの制服の彼女が言うことには 「どっちかっていうとエスパーマミとかテクマクマヤコンね」 なんのこっちゃ。 聞きましたら彼女は超能力者やそうで。 生まれつき?て聞いたらこども産んで体質変わったそうで。 超能力って体質かという話で。 ちゅうかそのこどもは俺のこどもでもあるというわけで。 ということはつまり俺と君は未来で結婚するわけで。 驚くよりおもろいこと言うなこの娘、と思う俺は関西人なわけで。 目の前で消えたり現れたりするのん見たら、ああそうですか、と納得するわけで。 今に至る。 以上西の国から。 「大体なんでちょーのーりょくやねん。ヒーローズか。ヤター!か」 押入れに寝っ転がったまんま突っ込む。 「ヒーローズ、そういえば再放送してるのよね。今頃」 「クレアめっさかわいい。抱きたい」 ぼそっと言うと未来の奥さんむっちゃひいた。 「きんも!嫁の前でんなことゆーかしらフツー」 「いやそもそも君がフツーの嫁じゃないからして」 「刺激的でいーじゃない。これから出会う嫁さんの学生時代とこーやって会えるなんて素敵でしょ」 「ほんなら刺激的なことでもしよか」 「この格好だと先生と生徒で見た目倫理的にまずくない?」 「えーやんどーせ結婚すんねやろ。押入れって斬新で燃えるわ」 「そーね、そしたらこれだけ」 嫁さん、チュイっとほっぺにチューした。 「俺の嫁はたいそう慎み深い」 「楽しみはとっといた方がいいのよ。それに最初はちゃんとこっちの時間軸にいるわたしに譲らなきゃ。自分に怒られるわ」 「さよか」 押入れの中で上体を起こす。女子高生の奥さんの横顔をまじまじと見る。 「タイムスリップするときは過去の時代の自分からどの姿でも選べる、て言うてたな」 「ええ。ドラえもんでいうタイムトンネルをくぐるときにそのへんに落ちてる自分の記憶を拾って、それをかぶってくるイメージね」 「マラソン選手が自分の給水ボトル取るみたいな感じか」 「あれより多分楽よ。自分の記憶が一番近くにあるから。玄関に五足出てる靴のどれに咄嗟に足をつっこむか、て感じ」 「好きな靴を履いて、好きな時代におさんぽいけるわけや」 「そうそう。別に五歳の姿のわたしでも会いにこれるわよ」 ほんなら、 「君はなんでいつも学生の姿で俺んとこ来るん。職業意識が邪魔して手ぇ出されへんわ」 「プロ意識の高い人って素敵」 「別に俺制服フェチとかないけども。いやあったらまずいけども。なんか理由があるん?」 「あるわ。二つくらいある」 「聞かせてみ」 「あなたとってもいい先生だから」 は、と息がぬけた。 「おべっか使わんくてええよ」 「なんであなたにそんなの使わなくちゃいけないの」 「いい先生とかちゃうて知っとるし。なれへんことも知っとる。たまに疲れる」 「今、疲れてる」 「……そう今疲れとる。君はなんでそれ知っとんのや。君はいつも俺がへこんだり疲れてる時ばっか現れよる。エスパーか。いやエスパーか。間違いない。せやった君はテクマクマヤコンや」 「だから、春だからね」 「春だからなんや」 「あなたどうして自分が今疲れてるかわかってる?」 「知らん。もう年や。あいつらみたいに若ないねん」 「そりゃあなたの生徒たちは本当に若いから」 「付き合うてるとたまに疲れる」 ため息が出た。だるい。 「あなた自分を知らなすぎ」 嫁が労わるように言って、俺の頬から耳のあたりを犬にするような親愛の情で撫でた。 俺的にはもうちょいエロスが欲しい。言うてる場合か。 「俺は君のこと知らなすぎや。君の名前と顔しか知らん」 「情報には意味がない。会ってるときしかその人のことはわかれない」 「かっこええけど意味わからん。俺あほやねん。わかるように言うて」 「わたしはあなたの生徒になりたかったのよね」 「………は?」 「さっき聞いたでしょ。なんで学生の姿で会いにくるのか」 「………なんか答えに時差あんで」 「そもそも今のわたしとあなたに時差がある」 「そら……そーやけど」 「あなたと生徒たちを見てて、わたし生徒たちがうらやましくなった。自分が学生だったときこんな先生にいてほしかったなぁって。好きな人とは運よく付き合えても、好きな先生の生徒には今更なれないでしょ。だからせめてものごっこ遊び」 「……ごっこ遊びて」 コスプレか。 「ちょっとだけ夢が叶った気分でうれしいわ」 少し照れて、女子高生が笑う。 「……かわいい」 「クレアよりかわいい?」 「惜しい。クレアにはまだちょびかし負ける」 「むかつく」 「けどクレアより抱きたい」 「あら」 「むかつく?」 「うれしい」 下ネタ言う生徒を軽くかわすように笑った。 できた女や。俺よりよっぽど教師に向いとる。 「でも残念。もう時間」 嫁が時計を見るとちょうどチャイムが鳴った。 本日の授業終了。 「もう行くん」 「部活の時間でしょ、先生」 「…………三年はとっくに引退したし。二年は財前しっかりしとる」 「だから何」 「……いってきます」 「うん。わたしも帰ります」 ぴょいっと押入れからケツを降ろす。短いスカートの裾が揺れる。 「ちょ、待ち」 「なに?」 女子高生の嫁が振り返る。 「あー」 まっすぐ向かってくる若い眼差しに喉で声がこける。 中身がどうでも見た目じょしこーせーに俺は何を言おうとしとんねん。 言いにくいことほど勢いつけたほーがええちゅうんはこれでも年の功で知ってる。よしいけ俺。 息を吸いこんで布団の中でこっそり拳をにぎった。 「君は中々きれいや」 嫁の口がぽかんと丸く開く。 急に照れてきた。頭をかいて、帽子をむしる。 「話してて楽しいし、君が賢いのもわかる。ええ子や」 「あら……どうしたの急に。照れるわ」 「せやけど正直、あー、俺と同じ時代におる君と出会っても、俺は君に恋される自信がない。安月給やしアパートはオンボロやし休日もこどもらの世話焼いて潰しとる。胸脹れんのは借金がないことくらいや。君や、将来生まれる俺らのこどものために気ぃ入れんとあかん思てるんやけどな。……俺は君に惚れられる自信がないわ」 早口で言い切った。 ええ年こいて自信ないて宣言すんなやどんな思春期じゃ。無駄に時間ばっか食いよってからにこの身体は。こんなんが未来の旦那やったら俺は萎える。もう一生勃たん。 あかん嫁さんの顔見られん。 耳元で「馬鹿じゃないの」と囁く声がした。抱きしめられた。顔に胸があたる。え、嫁さん大胆。やのうて。 「あなたの心と体には優しさと夢がいっぱいつまってる。安月給でアパートはボロくて休日はこどもたちの引率して年甲斐なく熱くなったり、いつの間にか春になってもうすぐ彼らに置いていかれることが寂しくてしかたなくって、でも新しく出会えるこどもたちにどうしたって心が喜んじゃうあなたが好きよ」 「…………………なんじゃそら」 「元気出してよオサム先生」 「…………別に生徒らのこと言うてへんよ」 「今が春ならあなたが落ちこんでる理由はこどもたち以外あり得ない」 「男として自信がない言うてんねや」 「それは寂しさの勘違い。そこにたまたまわたしが現れたからなんかごっちゃになってるだけよ」 「決めつけるやないか」 「あなた本当に自分のことがわかってないのよね」 「俺は俺とはいちおう二十七年付き合うてるんやで。君よりずっと付き合い長い。自分のことは自分が一番ようわかる」 「何年生きても自分を見るのは難しい」 「言うやないか」 「未来のあなたが言ったのよ」 「だれに」 「わたしに」 「そんな偉そうなことをこのあほが言いよったんか」 「仕事で悩んでるときにね。叱られたわ。他人のことばっか見てお前は自分のことなんも知らん、自分にできること、わかることをまず把握せえ。自分救われへん奴が人救えるかあほんだらって」 「……よう言うわ。教職ぽいわ」 笑ったら力がぬけた。 息を吸ったら鼻がつまった。 「あれ泣いてる?」 なんちゅうデリカシーのない女や。好みや。 「目から鼻水が」 奥さん豪快に笑いよった。つられて笑った。 「……奥さん。君は口説きの天才やな」 「わたしも必死です。お願いだからわたしをあなたに恋させてね。あなたを好きでいる人生はとっても楽しいのよ」 「そのセリフ今度ナンパでつかってええ?」 あいだ! 「耳!噛みつく奴あるか!」 「元気になったみたいだからもう行くわ。本当に時間ないの」 「あ、すまん、忙しいとこ」 「いいのよ。これからは寂しいときにはすぐに行くから呼んでちょうだい」 「呼ぶって、どうやって」 「電話で」 言って、超能力者は一瞬でかき消えた。 せめて残像くらい残してや。 ちゅうか、 「……電話て。未来とどやってすんねん」 ごちて、さっきむしった帽子をかぶる。 「オサムちゃーん、起きてやー。財前ら部活はじめてんでー」 タイミングよく宿直室の戸がノックされた。謙也や。 目から出た鼻水の残りをこすって、起きてるわと返す。 スライドの戸が音もなく開く。 「今行くわ。部活やろ。なんでお前が呼びにくんねん」 「いや俺も今日出よ思うて。卒業まであともう間ぁないし。暇やし。財前しごいたらんと」 「後輩思いやな」 「あ、それと。なんやお客さんやねんけど校長先生らつかまらへんらしいねや。オサムちゃん知らん?」 「知らん。お偉方そろってどこ行ったんや。お客さんてどなた?」 たずねると謙也の隣にいた人影がひょこりと開いた戸から顔をのぞかせた。 あ。 「はじめまして。わたし四月から週一日四天宝寺のスクールカウンセラーとして通わせていただく者で」 「さん」 「……え」 「やろ」 「……どこかでお会いしたことありました?」 さっきまで女子高生で制服着てたは今十個くらい年を重ねてグレーのスーツをびしっと着こなしている。え、かっこええ。叱られたい。言うてる場合か。 「さんおいくつですか?」 「オサムちゃんいきなり何ナンパしよん」 「ナンパちゃうねん、求婚や」 謙也が「あ、こいつ頭わいとる」て目で俺を見た。 グレーのスーツのはきょとんとしながら気を悪くした風もなく、 「二十九です」 「うわ、答えんくてええですよ!」 「俺は二十七や。君のが年上や」 「そうですね」 首をかしげている。 謙也が「あかん、こいつ頭死んどる」て目で俺を見た。死んでへんわあほ。 「謎がもひとつ解けたわ」 君がいつも高校生の姿で会いにくる二つ目の理由がわかった。現実の時間軸では俺のが年下やったんか。 二個くらい気にするもんでもないやろ。あほや。あほやけどかわいいとこあるやないか。 「年上女房は金の草鞋を履いてでもさがせ言うんやで謙也」 「お客さん、悪いけどカウンセラーさんやったらいっぺんオサムちゃん見たって下さい。こんなんじゃ嫁さんの来てもないわ。俺ら心配で卒業できません」 「いらん心配すな。嫁さんのあてならもうあるっちゅーんじゃ」 嘘言いなや、という謙也の声とさんの、あらおめでとうございます、が重なった。 謙也が「あ、この人も頭わいとる」て目がさんを見た。 俺はさんに笑いかける。 「めでたいことに一説によると俺らは結婚するらしいですよ」 「は?」 「俺の心と体には優しさと夢がつまってるんですって」 「はあ」 「どーですか、俺に恋する気になりました?」 「いいえ全然」 奥さん真顔や。ドン引きや。ハハハ。 「ほな、はよ惚れてもらえるようきばりますわ」 謙也は片手で目頭を押さえてうつむいていた。 結婚式には呼んでやるさかい泣くなと言うと、オサムちゃんかわいそうに、と感情のない声で言われた。 あほかめっさ幸せや。 「とりあえず携帯教えてくれます?」 俺が寂しい時に君が飛んできてくれたように。 君が寂しい時にはすぐに飛んでいけるように。 |