体育祭開会式の直前、慣れない学ランでバタバタ走っていたらナンパされた。

「お兄さァん、アタイと遊ばなァい?」

振り向くと身長190センチ超えの女子高生がシナをつくって立っていた。

「た か の ……… !」
「やだ、やっぱりわかっちゃったァ?お化粧、二時間前入りしてサキちんにやってもらったんだけどォ」
「あんたサキちゃんの手をわずらわせんじゃないよ……!」
「力☆作でしょン?」

頬に手を当てて身をくねらせている高野は、隣のクラスの美容師の卵サキちゃんの手によって素晴らしく完成されたオカマに変貌を遂げていた。
視覚的にかなりギリ。てかアウトアウト!こども見たら泣く!

「変身ていうか……変態? 幼虫が成虫になるやつじゃなくてフツーに変態」
「アタシ新しい世界の扉開けちゃったかも」
「高野が出て行ったらその扉すぐ閉めるからね。二度と帰ってこれないように」
「つめたァいん!だってその格好、学ラン超似・合・うー☆超クールよん!もう好きなように抱・い・て☆」
「ごめんわたし今平常心失ってるから高野殴っても責任能力問われないと思うのね。だから殴る」
「待って!待ってぶたないで!に頼みがあるのよゥ!」
「190センチの大男がセーラー服でぶるぶる震えないでよ……トランクス見えてるよ?ミニすぎなのよ」
「今日は見せパンだから大丈夫よン☆!」
「ワオ安心☆!じゃね」
「待って待って、待ってったらァん!」
「……なに? 体育祭関係だったら悪いけど他の子に言ってくれない? わたし開会式はじまる前にやんなきゃいけないことが……」
「その開会式のことなのよゥ。藤真がフテちゃって」
「は? だって藤真ノリノリだったじゃん。ていうか高野と二人で言いだしっぺ……」
「そーなのよゥ。昨日まではよかったんだけどねえ。今朝いっしょに二時間前に入って、さあ準備、てところに二年の女子が見学?にきて? 藤真センパイ、絶対ホンモノにしか見えなくなっちゃいますよ!てかわたしら負けるし!男子から告白とかぜってーされますよ!みたいにはしゃいじゃってねェん……」
「あー……」
「あの娘たちも悪気はないんだけど」

フー、と物憂げにため息する高野はすっかりさびれたバーのママ気分らしい。

体育祭で実行委員がセーラー服と学ランを男女逆転で着て応援合戦しよう、と言い出したのは高野で、それにノッたのが藤真だった。
よくある企画だけど、これ男子がやると言い出せば女子はまず反対しない。足出しのチアでボンボン振るより学ランのほうがよっぽど気楽で楽しいし、自ら戦地に赴くような男子高校生の「俺、女装します」宣言が出たのだから、猛者の花道を塞ぐ由はあるはずもない。拍手喝采の決定だった。

もともと各クラス男子の体育祭実行委員はほぼバスケ部のメンツだったから、高野たちは部活のノリそのままの勢いだったんだろう。
だいたいいい年した男子が示し合わせてみんな同じ委員会に入るとか、そんで女装とか。
翔陽バスケ部、ノリと仲よすぎ。
高野も藤真もみんなで思い切り馬鹿やって「キモ!アホ!」つって寒がられて引かれて騒ぎたかったんだろう。

「それが本気でハマってると思われるのは真剣寒い、と」
「ふざけてバナナの皮で転んだのに泣くほど心配されて萎えたみたいな?」
「高野みたいになりたかったのにウチダユキになっちゃったみたいな?」
「自意識過剰よねェ……ま、アタシに憧れちゃうのはわかるケド」

吸ってもいない煙草の灰を落とす仕草の高野ママ。気だるい。

「で、ふてくされて逃亡?」
「ソ。第4コーナー回ってフジマノケンジ大逃げの逃げよ。まさかまさかの万馬券よ」
「高野はやく捕まえてきてよ。今更変更きかないし。わたしほんともう行かなきゃ」
「あん待って!」

返事を待たずに走り出したわたしに高野が取りすがる。ええい、この巨神兵!

「なによ!」
頼まれてン☆」
「なんでよ……手、離してよ(ぞわ)」
「きっとかわいい女子から言われたからフジマノケンジ気にしてんのよ。だから男のアタシが何か言うよりが取り成してくれたほーが効き目あると思うのよネ」
「そしたら他の子に言ってよ!わたしほんともう行かなきゃ……開会宣言あるのよ!一応実行委員長なんだから!」
「あん、他の子じゃ駄目よ、あの子意外と女子に距離取ってるし、何よりには一目置いてんだから」
「なにそれはじめて聞いたんだけど……離してってば!」
「ほんとよ、春の講習会で顔合わせて以来大した奴だなって言ってたのよアタシたち。誰に言われなくても学校外で勉強してるはしっかりしてるって。ちゃんと物を考えてるって。中々できないなって」
「いやかいかぶりですって!ちょ、ほんと離して!」
「大丈夫、アタシに任せて!開会式の宣言はばっちりキメてみせるから!だから、うちの迷い馬を舞踏会に連れてきてあげて!多分アナタたちの教室にいるはずだから!」

やっと手を離した高野はわたしに紙袋を押し付けて去っていった。

「たっ……高野――――――――――――――――――――っ!」

腹の底から叫ぶと巨体のオカマはスカートを翻して一度振り返り、ピースサインを横にして、チャオ☆!と舌を出した。

あいつ……!
ちくしょう、ものすごく気持ち悪いのにちょっとかわいい!
押し付けられた紙袋の中にはセーラー服と化粧ポーチが入っているようだった。
「生徒のみなさんはグラウンドに集合してください」の校内放送を聞きながら、わたしは自分の教室に向かって走った。



高野、藤真はじめバスケ部の五人とよく話すようになったのは今年の春、校外のスポーツ科学講習会でばったり顔を合わせてからだった。
わたしはこの夏まで陸上部のマネだったので、地元でこういう催しがある時は都合をつけて出来るだけ参加していた。
バスケ部のメンツとは今年はじめて藤真とクラスが同じになった以外特別接点はなかったけど、藤真が新体制のキャプテン兼監督を務めているというのは体育会系部活の間では有名だったので、講習会に来てるのもだからだろうな、けどレギュラー全員参加とはやる気だなーなんて思っていた。

受講終了後は廊下で会えば「最近どーよ」「絶好調」と挨拶する程度だったのが、五月ごろ「頼みたいことがある」と藤真が神妙な顔で言ってきた。
何かと思えば講習会で学んだコンディショニング理論やスポーツマッサージ、テーピング理論の実践等を入部してきた新一年生に仕込んでほしいとのこと。
選任監督のいない大所帯のバスケ部へさらに新一年生が入ってきてどうしてもケア面を見る人手が足りない、筋違いなのは重々承知だけど、手が空いてる時があったら頼みたいと頭を下げる藤真はなんというか、すっかり大人の顔をしていた。
やりたいことをやるためにやるべきことをわかっていて、そのための努力をしている人の顔だった。

うちの陸部は人数も大して多くないし、さがして集めれば時間もつくれる。
陸部の新一年といっしょに教えるのでよければまったく問題ないし、それで間に合わなければまた別に教えるよ。ただうちの部活おわった後だから時間遅くなっちゃうけど、と応じると藤真は息をついて、「助かった。ありがとう」ともう一度頭を下げた。

なんだってキャプテン監督兼任なんて疲れることをしてるんだろうと思っていたけど、藤真は本当にバスケとバスケ部が好きなんだなぁと思った。
以来、微力ながら夏のはじめまで貸せる力は貸してきた。

この夏翔陽は地区大会で敗退した。最大のライバルと目視していた海南とはコートで対峙することができなかった。
湘北高校というその相手チームのことはよく知らないけど、強かったんだと思う。
でなければ藤真たちは負けない。
この夏、陸部も全員全力を尽くした。それでも全国へは誰もいけなかった。
どこどこ出場第何位、という経歴の裏にはどれだけの人の必死やがんばりがあるんだろう。
わたしはうちの翔陽のみんなの必死やがんばりしか知らない。
他のどの人ががんばった、必死だったと言っても、実力でそれを示しても、いやいやうちが一番ですよと思っている。うちほどがんばったところは神奈川広し、全国広しと言えどありませんよ。
負けようが何だろうがそれは譲りませんよ、なんて。

そんなのまるっきりの身贔屓だけど、彼らは翔陽の誇りだ。
そして三年籍を置いた陸上部と、ほんのわずかだけれど関わったバスケ部を間近に見て、彼らを知れたことはわたしの誇りだ。


――けど、それとこれとは話が別だフジマノケンジ!
全力で走ってきた勢いのまま教室のドアを開けるとものすごいキレのいい音がした。スパァン!とか言った。

「藤真!なに駄々こねてんの!」

一人で窓から外を見ていた藤真は振り向いた瞬間ぎょっと目を丸くして、学ラン姿のわたしを認めると

「おっ前、かっこいいな!」

開口一番そう言った。

「でっしょ」
「応援団長だ」
「おーよ。自分でも似合っちゃって困ってんのよね。鏡見て惚れそうになった。参った」
「ハハハあほだなお前」
「あんまり男前なんでフジマノケンジ捕獲の任務を言いつかってしまったわ」
「おう、かかってこい!」

うれしそうに立ち上がって拳を構えている。
アホはお前だ藤真健司。

「ほら、グズグズ言わないでちゃっちゃと着替えてメイクして校庭でよーよ。時間ないよ」
「ぜってーやだ」
「こどもみたいなわがままよそうよーこれクラス決定ですから。つか学校決定!団体行動ですから。従え翔陽生!」
「下手にはまってお前よりかわいくなっちまったらどうすんだよ!今日の帰り襲われんだろーが。そしたら責任とれんのか、お前」
「うちの近くのいい肛門科おしえるよ?」
「ふざけんな!」
「あーもう。たとえメイクしよーが女装しよーが藤真が誰より男前だなんてことみんな知ってるから」
「……お前口うまいなぁ」
「いや本心本心。藤真はかっこいいですよ。外見よりも中身のほうがよっぽど」
「……………ふーん」

ふーんてなんだ。
窓辺の藤真へ近づいていくと、あれ、耳が少し赤い。

「あ、照れてる?」
「別に」
「お、照れてる!」
「まあ、少しは」
「はっはは、藤真もほめられたら照れるんだ」
「お前の口があんまりうまいからな」
「本心だって。男に二言はないよ」

芝居がかった仕草で学ランの上から自分の心臓を叩いて拳を突き出すと、「似合いすぎだし」と藤真は破顔した。

「いいぜ、それ着る」
「おお!」
「男に二言はないってに言われちゃな。着替えっから後ろ向いとけ」
「はいはい」

高野に押し付けられた紙袋を渡して回れ右。

「あ、高野の完成形見た?」
「さっきあれですがられた」
「ハハ、キモ!なんて?」
「フジマノケンジを捕まえてくれってさ」
「フジマノケンジってなんだよ」
「迷い馬だって。言い出しっぺのくせに第四コーナー回って逃げ出した」
「競馬かよ!じゃ買っとけよフジマノケンジの馬券。リレーで大もうけさせてやるよ」
「ああら本職陸上部に勝つおつもりで?」
「ハハハ、わりーけど負かす」
「ま、藤真が勝ってくれなきゃうちのクラス優勝できないけどね」
「勝たせてやるよ」
「楽しみだ」
「そんかし、うちのクラスが優勝したらお前その格好で冬の選抜応援こいよ」
「これで?」
「そ。フレーフレーしょー・よー!てしろよ」
「しょーーーーよーーーーーーーーーだ・ま・し・い・見・せ・て・や・れ!つって?」
「そーそー。したら見せつけてやっからよ。翔陽魂、びしっと」

いーぞ、と言われて振り向いた。

「どーよ」
「……やっぱゴツイね。顔は違和感ないけど喉仏あるし肩回りも無理あるし。ちょっと美少女はないねー」
「ちゃんと女装した男に見えるだろう」

なぜか藤真は威張っている。

「それ以外には見えないね。女装した、無駄に男前の青少年だ」
「無駄じゃねーし」
「さ、化粧だ化粧」
「化粧はマジいい!」
「えー」
「ぜってーしねぇ」
「顔だけなら美少女でいけるのに」
「いけなくていい、いけなくていい」
「ちょっと、ちょ、見せてみ」
「あ!?」

ぐいと顔を掴んでまじまじと目鼻立ちの造作を見ると、二重だし、睫は長いし、鼻はほどよく高いし、耳は小ぶりだし、なるほどよく出来ている。神様も妙に力入れたもんだ。

「おい離せ馬鹿」
「あら、どったのこれ」
「あ?」
「ここ」

こめかみに近い額の縫い傷を指すと、ああ、と藤真はうなずいた。

「名誉の負傷」
「あらケンカ?」
「するか」

それ以上理由は言わなかった。

「ふーん。男前上がってんじゃん」

手を離して髪の毛を適当に整えてやると藤真はニヤと笑った。

「だろ」

中々不敵だった。

「さ、化粧化粧」
「あーもー、しつこい!いいっつってんだろ!いいんだよ化粧とか。俺は生まれつき美しんだからよ」
「まぁ、うぬぼれてやがる!」
「しかたねーだろ。事実だ」

顔をうつむけて、フッと笑った。
馬鹿だこの人。

「だからいーんだ」

抵抗ではなく、すでに決意表明だった。
これは押すだけ無駄かも。
気持ちよくセーラー服着てくれただけで御の字か。

「あ、じゃちょっと待って」

思いついて口紅を取り出した。

「んだよ」
「化粧はしないから。ちょっとおいで」
「犬っころみたいに呼ぶな」
「いいからおいで」
「んーだよ、マジで」

渋々警戒しながら近くにきた藤真の頬に口紅で直に絵を描いていく。

「……りんごほっぺ?」
「いや、キスマーク。……ほれ」

でかでかと見事なキスマークを頬につけた藤真はミュージカルの中の世界のモテ男めいている。唐突に歌い出しそう。セーラー服着てるけど。
手鏡で本人にも見せてやると、

「おお」
「どうよ」
「男前あがったな」
「自分で言うな」
「じゃ、俺かっこいい?」
「うん、かっこいい」
「ハ、知ってた」

ニカと笑って藤真が走り出した。
あれだけぐちぐち言ってたのに吹っ切ったら早い男だ。
わたしも行かなくちゃ。
後に続こうと踏み出すと外からわああと歓声が沸いた。
なんだ?

窓から校庭を見下ろすと朝礼台の上に190センチ超のオカマセーラー服がぬぼっと立っていた。

「た、高野……」

開会宣言は任せろなんて言ってたけど、なぜか顔にマスク、手にはヨーヨーを持って格好つけている。まさか……。

高野がマイクにあの唇を近づけた。息を吸い込む音まで聞こえた。

「翔陽高校三年A組高野昭一、またの名を生徒会の犬・四十六代目体育祭実行委員!伝統あるバスケ部レギュラーまで務めたあたいが何の因果かマッポの手先!おまんら、今日は盛り上がらんと許さんぜよ!!!!」

スケバン刑事……!古!ひく!寒!マッポって何!
啖呵を切った高野の手から美しいヨーヨー裁きが飛び出した。こいつぜったい影で猛特訓してたな……。
でもみんなテンション上がってるからすごい大盛り上がりだ。
奇声歓声。開会式はじまってまだ五分くらいなんだけど……さすがノリのよさは異様翔陽。

「ん…?」

今、その台上にもう一人のセーラー服が駆け上がってヨーヨーを高野の手から後ろ回し蹴りで蹴り落とした。
もちろん藤真だ。
キャーカワイイイイーーーーー!と一気に女子の黄色い声が増幅する。よく見ろ女子たち!かわいくないぞごついぞ!
大歓声の中、藤真はマイクスタンドを奪って半身を預けるように立ち(エーちゃん……?キッカワ……?)よく通る声で、

「俺は第四十六代目、文化祭実行副委長、またの名を神奈川の古豪と呼ばれた伝統重き翔陽高校第三学年バスケ部キャプテン……藤真健司じゃき」

高野と同じく啖呵を切りはじめた。
………けどこれは………。

「おまんら、体育祭をなめたら……」

全校生徒は心得たもので藤真のコールを反復して「なめたら!」とレスポンスを返している。(な ん な ん だ 翔 陽 …… !!)


「なめたら!!」

なめたらー!?(疑問系)

「なめたら!!!」

なめたらー!!!(大合唱)

「なめたら、いかんぜよ!!!!!!!!!」


ワアアーーーーー!!!!(狂乱)



な ん で 鬼龍院花子の生涯……!(みんな知ってんの……!)(つっこんだら負ける……!)
てかセーラー服関係ないじゃん……!
ていうか、体育祭なめるって、なに!

熱狂の渦の中、チャッチャ・チャッラー・ララーと軽快に「セーラー服を脱がさないで」が全校中に流れ始め、台上では高野と藤真が、台をはさんで左右にはセーラー服の伊藤くん、永野くん、花形がいつの間にか現れ、歌い踊りはじめた。
もちろん全校生徒もそれに倣う。…………こんな段取りだったっけ開会式…………。
恐るべし翔陽バスケ部。恐るべし翔陽生徒。

しっかし、ノリノリじゃないの。
おニャン子のフリに異様なキレを見せる藤真を脱力して見ていると、ちょうど藤真がこっちを見上げたもんだから驚いた。

(テレパス…?)(藤真ならつかえてもおかしくない)

どーだ!と腕を高く上げてガッツポーズしてくるので、親指を立てた拳を突き出した。
よくやりきった。君は男の中の男だ。何かやりすぎてる気がするけど、いいんだ、これは祭りだから。真剣勝負とは違う。あんたたちがこれからすべてを賭けて望む、厳しくも誇らしい冬の祭典とはわけが違うんだから。
ただの楽しい祭りだから、心から遊んだらいいんだ。
セーラー服を来て踊り狂う五人は今はとてもそんな風には見えないけれど、本当はみんな、本当にみんな、男の中の男だ。

「がんばれバスケ部!」

この大騒ぎの中、どうせ聞こえないだろうと精一杯の声で叫んだら藤真が目を丸くしたのが見えた。あれ、聞こえた?(やっぱテレパス?)
そして思い切りよく笑って、来いよ、とわたしを呼んだ。

うなずいて、教室を出る。
おニャン子クラブのメロディ流れる廊下を走って階段を三段飛ばしで降りながら、この冬は全国に翔陽魂見せてやれ、と熱くなりだした胸の内で祈るように呟いた。





男児の