「あ、また沢北くんきてるよ」
、ほらきてるってあんたの沢北くん!」


部活をおえて、部室がわりの教室でつかれたー死んだーなんて床の上にごろっと体を投げ出していたらケラケラと楽しそうに笑う友達の声が上がった。

……囃し立てられるのはもはやパターンだけど、今日は「あんたの沢北くん」ときたものだ。
つきあってるだけで所有してるような物言いをなさることで……。
やれやれと立ち上がって窓辺に行くと、友達の囃し声が届いてしまっている沢北くんが気まずそ〜…に校門からこっちを見ていた。
そりゃ気まずいよね……。なにしろ「あんたの沢北くん」だ。わたしも気まずい。
8時をとっくに回ったこの時間に下校するのは部活おわりの女子だけとはいえ、女子校の校門に一人で立っているっていうのだけでこの年の男の子にしたら充分がんばってくれてるのに。
ごめんよ沢北くん。


「ほらほら、はやくいったげなよ!」
「言われなくても行くってば」
「にしても続くねーあの子のお迎え」
「あの子って言うな」
「こーやって見てるとあの子がバスケ日本一にはとても見えないんだけどねー」
「あの子って言うなったら」
「なにそれ独占欲ー?」


友人たちはケラケラ笑う。
ちがうよ。

「失礼でしょ沢北くんに」

たたでさえ最近毎日こんなんでからかわれてんのに。

「お優しいことでー」
「あれだけいい子が彼氏ならも優しくなるでしょ〜何たって将来有望だし!」
「彼氏は秋田の星!いいなー。ねー日本にいる内にだれか先輩紹介してって言っといてー」

はいはいと聞き流して鞄をもって教室を出る。
その背中で

「いやーそれにしても毎日お迎えしてくれるなんて、ほんっと忠犬サワキタくんだ」

友人のとんでもない一声を聞いた。

(犬って!)

あんまりだ。

校門まで走っていくと沢北くんは明らかにほっとした顔を見せた。


「ごめんね、待たせちゃって」
「いや!俺が勝手に来てるだけだし!」

大きな手の平を広げてバタバタ手を振る沢北くんに今しがた後にしてきた教室の窓から軽薄な歓声と口笛が飛ぶ。
……あいつら。


「……行こっか」
「……うん」


がくりと肩が下がる沢北くんは失礼ながら確かにどこか犬めいて見えた。(ごめんよ)


沢北くんがわたしの高校まで部活おわりに迎えにきてくれるようになって二月になる。
男子ばっかの山王工業と徒歩10分の距離にあるうちの女子校は元々の由縁はないけど立地的に姉妹校的な付き合いがある。
毎年4月の末には両校の親睦を深めるオリエンテーションがあって、沢北くんとはじめて会話を交わしたのもその最中、

「あ、さんそっち宝物守って!」
「オーケーこっちは任せて!部活じゃ地獄の門番ケルベロスで通ってるの!」
「えっ、ケッ……? ……さん部活なに?」
「ラクロス!(キーパー)」

というものだった。

姉妹校における高2のオリエンテーションが男女混合の本気「Sの字ゲーム」で正しいかどうかはわからない。どこを目指してるのかさっぱり見えない。
中には勝負に撤した子が山王の人を遠慮なく突き飛ばしたりしていた。(親睦は大丈夫だろうか……)
ともあれわたしたちはその中で知り合って、お付き合いすることになった。

もしもこの先沢北くんと結婚することになったら結婚式で「新郎新婦のなれそめは流血まじりの本気Sの字にて手に手を取り合い、宝を死守した絆が互いに信頼と愛情を与えるきっかけとなりお付き合いがスタートするに至りました」(徳光さんボイス)と紹介されてしまう奇縁である。式場失笑の嵐。


まあ、しかしそんな心配はいらない。
沢北くんがわたしと結婚する可能性はない。ないと言い切ってしまっていい。
彼は日本一のバスケ部の大エースで、この夏のインターハイを最後にアメリカへ留学することがすでに決まっている。
結婚どころか、最初から夏までと期間の決まったお付き合いなのだとお互い無言の内に承諾済みだ。
そしてその中でわたしたちはその繋がりを楽しんでいる、と思う。

こっそり隣の沢北くんを見上げると、「腹へった」「眠い」とその顔に書いてあった。
うちのラクロス部もかなり体力的に追い込まれるものがあるけど、山王の練習はこんな比じゃなくきついんだろうなぁ。
大体部活が終わる時間が同じぐらいだからといつも迎えにきてくれるけど本当はかなり負担になっているのではないかしら。申し訳ない。


「沢北くん、毎日疲れてるんだから送ってくれなくていいのに」
「えっ……あ、ごめんぼーっとして」
「いやいや、そうでなくて申し訳なくってさ」
「いやでも!」


沢北くんがまた手をバタバタと振った。大きな手の平に長い指が5本。素直な沢北くんによく似た素直そうな手だ。ん、それって当たり前?


「休みの日も部活で会えないし、電話とかもいつも疲れててあんまりできないし……ちゃんの顔ちゃんと見れるの、これくらいしかないから」
「………なぜそんな小声」
「……いや………照れます。ふつうに」
「……そうですね照れますね」
「うん」
「……うれしいです。ふつうに」
「……それはよかったス」
「あ、うそです」
「(え!)」
「うれしいです。ふつうじゃなくて、すごく」


沢北くんの目が飛び跳ねるように丸くなる。小さな顔が一気に赤くなる。
……そんな風にされるとわたしも言った途端に照れますふつうに。


え、あ、えーと、お、とか一音ずつ意味のない声を発しながら沢北くんは両手をごしごしと制服の腰でこする。(…?)
そして前フリなくばさっとわたしの手を取った。

「…………?」

なにかしらどうしたのかしらと見上げると、明後日の方向を見ながら

「……俺も、うれしい。ス。とても」

沢北くん、照れ過ぎ。

手を取り合ったまま歩き出して、やっとわたしは今わたしたちが「手をつないで歩いている」ことに気がついた。
あ、手をこすった(拭いた)のはそのためか。
な…なーるほど…………。察するのが遅くてごめんよ沢北くん。
てゆーか別にそんな気をつかわなくても大丈夫ですよ沢北くん。

沢北くんの大きくて素直そうな手は実際とても素直でどんどんあったかくなっていく。
こんなに体の大きな男の子にこんなことを思うのはどうかと思うのだが、


「沢北くんはかわいい」


思ったことをそのまま言ってみた。すると、まあ予想通り「はぁ!!!?」とお返事いただいた。


「かっかわいいって意味わかんないんだけど!」
「いやえーと多分沢北くんが思ってるかわいいではなくて……ぬいぐるみとかに対するかわいいではなくてね……」
「ぬいぐるみ!!?」
「だから、じゃなくて……うーんとちょっと待って」


彼のこのひたむきさが何だかとても貴重に感じて大事にしたくなる、というようなことを一言で言うと「かわいい」という言葉に集約されていってしまう。
沢北くんという人間というか心そのものがかわいいというか……いや少し違うかな。もう少しなんていうか、かわいいというよりはもっと自分の内側に直接踏み込んでくる感覚で……これは何ていう感情になるんだろう。

ふと、さっき背中で聞いた友人の声を思い出す。
ああ、うん、これもたしかにある意味とても近い。

「犬……みたいな」
「いっ」
「変な意味じゃないんだけど……」
「いぬ…………(変な意味じゃない犬……?)」
「いやあの………仔犬のよーな無心さというか……まっすぐな感じ……が、かわいい………というか」
「……なにそれ……」

かわいいというか……だからそう、

「愛しい」
「いっ…!」
「こう……眠ってる仔犬を見て、優しい飼い主さんに恵まれて愛し愛され健やかに育っていくのよ……と思うときの気持ちになる。沢北くんといると」
「…………それいい意味?」
「……いい意味ていうか……そのままの意味」
「……ふーん……」


それきり沢北くん黙ってしまった。
……やっぱりどういう意味でもかわいいなんて言われたくないのかな男子は。



わたしたちはそのまましばらく無言で歩いた。
会話のかわりに握る手に時折気まぐれに力をこめると向こうの手がびくりとする。それから一瞬ためらう間を置いてこちらを気づかいながら握り返してくる。
逆にこっちが力を抜くと、手持ち無沙汰そうに自分とつながるわたしの手をぶらりと揺らす。沈黙に咳払いで音を落とすみたいにぎくしゃくとした仕草で。
そんなやり取りを飽かず繰り返した。


沢北くんの手には眠りと覚醒の境で曖昧に時間にすり寄るような慕わしさがあった。
あと5分でいいからこのままでと眠気と毛布に懇願するような恋しさだ。なぜ今そんなことを思うのだろう。この人を古馴染みの毛布代わりにするなんて失礼な話だ。未来の秋田の星なのに。



ちゃんは」



ぼやけた物思いを打ち破ったのは当の沢北くんの固い声だった。



「ん?」
「見てるだけなの」
「…なにを?」
「犬」
「犬……?」
「さっき俺のこと眠ってる犬とか言ってたけど」
「あ、うん。沢北くんといると眠ってる仔犬を見て幸せにおなり、て思う気持ちになる、てやつ?」
「……そー(仔犬……)」
「それがなあに?」
「で、ちゃんは見てるだけなの」
「……なにを?」
「っあーもう!だからあんたはその犬の成長をそばで見守ったりいっしょに暮らしたりしないのかっつってんの!」
「え、うん」
「そ、それはなんで!!?」
「えー……なんで沢北くんそんな必死なの」
「……俺が犬とか」
「仔犬ね」
「……俺が仔犬とか言って、そんで自分はそれちょっと見てなんかすぐどっか行くよーな感じで、あとは知らないって……なんかそれちょっと」
「…………ちょっと?」
「………………さみしー」
「……さみしい?」


沢北くんが。なにが?

「……わたしがあなたをほんの少しだけ見て、すぐにどこかへ行ってしまうことがさみしいって?」
「きっ、きれーに言い直すなよ!恥ずかしーな」
「あ、ごめん」
「いやいいけど………………てかほんと言うとちょっとじゃなくて、かなり」
「かなり?」
「…………………すげー、さみしい、ス」


ぽつりとわたしに言葉を切り落とした後、そっぽを向いて小声で「だせー」と呟いたのもしっかり聞こえた。聞こえてごめん。だってケルベロス。わたし耳がいい。

つないだままの手に力をこめると向こうもひるまず握り返してきた。大きな手。素直な手。



言ったことと言われたことを整理する。
つまり沢北くんは



「わたしが思ってるよりわたしのことが好き?」
「ぶっ…………………! は、はぁ?」
「わたし夏までの期間限定のお付き合いなんだと思って最初から……だから今ちょっとだけ沢北くんを見てるだけで、でもちょっとでも近くで見ていられてうれしいなーって……」

思ってた。

「期間限定ってなに」

ぎょっと沢北くんが肩を揺らした。振動が伝わってわたしの手も震える。

「え、だってアメリカ」
「や、行くけど。行くけど別に、期間限定とか…………あ、でもそうか……いや考えてなかったな」
「うそ」
「マジで」
「全然?」
「全っ然」
「それは……おどろいた」
「……うん今俺も俺に驚いた。そうかーアメリカ行くってことは……そーだよなー…………」

宙を睨んで枯れた声でハハハと笑う。

「俺、馬鹿だなー」

いや、それは違う。

「馬鹿なのはわたしだ」
「え、は、なにが?」

勝手にお互い期間限定だって承諾済みなんて思ってたりして。最初からわきまえてその期間だけ楽しくとか一人で考えて。
沢北くんはそんなことまったく頭になかったというのに。無邪気に目の前の時間だけ見つめていたなんて、まったく仔犬。
そして沢北くんが仔犬ならわたしはとんだ馬鹿犬だ。なにがケルべロス。


最初からそういうもんだと思い込んでた。
だって目の前の男の子はどんなに仔犬に見えてもその正体は日本一のエースで、こんな風に隣を歩いていられるのは今だけで、やがてテレビや新聞の向こう側の人になることは決まっているのだからいくら尻尾を振って懐いてくれても最初からちょっと見ているだけでいよう。調子に乗って、頭を撫でて抱き上げてたりなんかしたら情が移るから、なんて、毎日会ってるこの人にたずねもせずに勝手に決めつけて。
そのくせさみしいなんて言われて今すごくうれしくなったりして。


「なんだ」
「え?え?」
「わたしもわたしが思ってたより沢北くんのことが好きだったんだ」
「えっ」
「じゃ、沢北くんがアメリカ行ってもとりあえず待ってるね」
「え!う、うれしーけど………急になに」
「いつまでとかはわかんないけど、沢北くんのことが好きだと思う限りはまた沢北くんに会える日を楽しみに待ってる」
「え、お、俺も!」
「うん。ありがとう」
「こ、こちらこそ!」


ずっと先の未来まで忠犬ハチ公のように待てるかはわからないけれど、新しい一日がくるたびにあなたを思う気持ちを心まで迎えにいこう。
囃されて気まずそうな目線、眠たそうな横顔、すぐに耳まで赤くなるクセ、長い指をつけた大きな手。 一つ一つの仕草をたどって、お気に入りのさんぽコースを確かめるように尻尾を振って歩いて、あなたを好きな自分に会いにいきたい。


「沢北くん、好きよ」
「えっ   お、俺も!」


握った手から火が出たように熱くなる。
この手につながる素直な人の真似をして、どんな時も愛しいと浮きたつ心に愚直でいたい。





駄犬で御免!






「………ちゃんあのさ」
「なあに?」
「……キスしてもいい?」
「……いいよ」
「えっ」
「……えって何」
「や、やっぱいいや」
「なにそれ!」
「いやなんか恥ずい無理!」
「なにそれそっちのが恥ずかしい!」
「ごめんタンマまた今度!」
「(どんだけ仔犬の心なの……!)」