callme callme






四代続いた古本屋のガラスの引き戸は夏はいつも開け放たれている。昔ながらの商店街の中でも我が家はとりわけガタピシきてる。
湿気大敵の古本を扱ってるんだから雨漏りだけには気をつかったほうがいいんじゃないかと五代目後継予定の一人娘としては思うのだけど。まあ先立つものに余裕があるわけでもないし。商店街が生き残るには難しい世の中なのだ。

営業中に店の看板をくぐって帰るときはいつもそんなことを思う。次代を担う店主としては中々の心構えなんかじゃないのこれ。


「おかえりー」


ただいまと言う前に出迎えの言葉をいただいた。レジカウンターの中にはTシャツにジャージ、前髪を輪ゴムでしばった見慣れた幼馴染み。


「ただいまジロー。髪の毛輪ゴムでしばると取るとき痛いよ」
「んー。遅かったね」
「なに、店番してくれてんの?」
「んー。なにしてたの?もう11時だよ」
「あ、もうそんな? お父さんたちは?」
「奥でビール飲んでる。なにしてたの」
「映画見てた。レイトショー」
「ひとりで?」
「ひとりでわざわざレイトショー見に行くほどさびしかないわい」
「よかったね付き合ってくれる友達いて」
「いるっつの。あんたわたしを孤独にしたいのか」
「んーん心配してるんだよ」
「なんの」
の帰りが遅いから」
「……へー」
「早く帰ってきてよ」
「なんで」
待ってたのに。こんなお客さんいない店で眠らないで待ってたのに全然帰ってこないC」
「なにが目当てですかジローさん」
の優しさ?」
「端的に言うと?」
「宿題手伝って?」
「今日って何日?」
「八月三十一日?」
「夏休み最後の日!あんたまた今日という日までためこんだのかこの馬鹿!」
「馬鹿な子ほどかわいい?」
「かわいくない。も、ぜんっぜんかわいくない」
素直じゃないC」
「むちゃむちゃ素直ですよ」
「大切なものは失ってからきづくってゆーよ」
「自分で言うなよ」

えんぴつの尻をくわえてジローが顎を乗せているレジカウンターにはノートと英字で書かれた絵本が広がっていた。

「なにこの絵本。ムーミン?」
「自由研究でこれ日本語になおす」
「……宿題ってそれだけ?」
「こんだけ」
「え、この絵本すごい薄くない?中三の宿題ってこれでいいの?氷帝ってそれでいいの?」
「氷帝は生徒のじしゅせーをおもんじるガッコーなんだよ」
「恐ろしい言葉だわ。自主性」
「俺氷帝だいすき」
「よかったね。あんたなんで入れたんだろうね」
「実力?」
「運でしょ」
「運は実力っしょ」

運も、じゃなくて運は、かよ。
ていうか自分で選んだ課題と絵本なのに自分でできないってどういうことだ。

「なにがわかんないの」
「わかんないとこがわかんない」
「ヒュー は・ら・た・つー」
「は・ら・た・つ・の・りー」
「わたし巨人きらい」
「俺フェデラー好き」
「聞いてねぇー」
「ねームーミンてカバだよね」
「うんカバでしょ」
「だよねー。あとべにこないだムーミンてカバでマジかわいーよねっつったら、あーんカバじゃねーよバーカ妖精だろって言われた」
「え、ムーミンはカバでしょ。つかカバ以外考えらんなくないあのフォルム」
「だしょー。あとべおかC」
「ていうかあとべってだれ」
「あとべはあとべ」
「だからだれ」
「目のとこにほくろがある」
「わたしがあとべだったらその説明ですまされたらまず許さないね」
「ぶちょー」
「テニス部の?」
「んー」
「あ、わかった。ちょー、あれだ、かっこいいていうか、ちょー、あれな感じ。なんかすごい感じの人。かっこいいていうか美人な子」
「そーちょーびじん」
「うんあれは美人だった」
なんで知ってんの」
「ずっと前ジローの試合見に行ったとき見たもん」
「二年前?」
「そー」
「今もっとびじんになってるよ。ハリウッドぽい」
「まじで」
「まじでアンジェリーナジョリー」
「キーラナイトレイ?」
「うんキャメロンディアス」
「顔全然違うけどなその三人。でも美しく成長したってことはわかった。喜ばしい」
「でもムーミン妖精とか言うよ」
「それはおかしいね」
「でも俺思ったんだけど、もしかしたらカバの妖精なのかもよムーミン」
「カバの妖精?カバに妖精とか天使とかあんの?」
「あったらいいなーって」
「あっそ。じゃそのムーミンかしてみ」

カウンターの中でジローが座ってるイスに横から座り込んで、絵本を手元に引き寄せる。

「やってくれんの?」
「このままじゃ店閉めらんないからね」
「やっさCー!」
「いやこれは本物の優しさではない。本物ならジローのためになんないから直接はやらないけど、わかんないとこあったら教えてあげる、だから自分の力でがんばってジローくん☆てなる」
「本物を超えた愛だね」
「ちがうつの」
「がんばって☆」
「わたしが代わりにやってあげんのはそのほーが自分が楽だからだからね」
「楽だからだからね、ってなんか日本語おかCーね」
「一歩間違うと『ラクダだだからね』て聞こえそうよね」
「えーそれはないっしょ」
「(てめぇ)」


ムーミンの絵本の和訳はむちゃむちゃ簡単だった。ジローは隣であくびしながら足をぶらぶらさせている。

「寝ちゃっていいよ。あと十分くらいでおわりそう」

もともと眠いのを我慢できる奴じゃない。今日は店番中に居眠りしなかっただけでも上等だ。幼馴染に甘いわけではなく客観的に見て。

ジローの足はまだカウンターの下でぶらぶらと揺れ続けている。
いつも寝るなと言われても起きていられないくせに何やってるんだろう。

「ジロー?」

横を見るとジローは机に顎を乗せたまま、わたしの右手の中で動くシャーペンの先を視線で追いかけていた。
そしてぼけっと言った。

「俺はの優しさがEーよ」
「は?」
「本物とかなんとかよりのめんどくさがりな優しさのほーが好き」
「楽できるからでしょ」
「うん楽チンなのが一番」
「でしょーよ」
「ばれてーら」
「こないだわたしと結婚するとかなんとか言ってたのも楽だからでしょ」
「あ、拗ねてんの?」
「いや普通にきいてる。そうでしょ」
といっしょにいるのが楽だからだから?」
「そーっしょ?」
「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。それもある」

けど、とジローが腕組みをしたのが横目で見えた。

「それだけじゃないC」
「はいおわった!」
ひとのはなしきーてる?」
「ムーミンいっちょあがり」
「まじでー!仕事はやい!あとべみたい!かっこいい!まじまじすっげー!」
「アンジェリーナジョリーて呼んでいいよ」
「全然似てないのに?」
「てめぇ」


前髪結んで面積の広がったデコにまさしくデコピンしようと狙いをつけた瞬間、居間に続く引き戸がガラリと空いて顔の赤いお父さんとお母さんが出てきた。
中学生に店任せてビール飲むなよ。

「ジローくんありがとー。もー店閉めるわよー。あら帰ってたの」
「お母さん酔いすぎ」
「ジローありがとなー!ジローお駄賃やろーな! あ、いたんだ」
「お父さんも酔いすぎ」
「んーお駄賃いらないからちょーだい」
「おーならいくらでもやるぞもってけー」
「そーねならタダであげるわよジローくん持ってって」
「まじで?わーいあんがとおっちゃんおばちゃん」
「ハハハそーよねわたしならタダでいいわよね、つかむしろおまけよねハハハハハハ」

あはははは。

「「「は?」」」

「あーみんなおんなし顔してるーさすが親子ー」

お父さんとお母さんの目玉がギョロリとこっちに向きを変える。その顔にもう一ミリも酒気が残ってない。
「…………あんたたちつきあってたの」
「…………しかしなんだ急に結婚てスピーディな……もしかしてお前はら」
「孕んでない!」
「ごめんおっちゃん俺ノロマで」
「詫びるな!ちがうのお父さんお母さん、これは、」

振り向くと二人は何やら涙ぐんでいる。
あなたたたちの娘は中学生相手にそんなふしだらしてませんから安心して!つかそれ犯罪だからね!インコー!インコー!

「父さん……」
「母さん……」
「ついにこの日がきたのね……」
「は?」
「いやー父さんお前はてっきりおにーちゃんの方とできあがると思ってたよーが年下好きとは知らなかった、ハハハハハ」
「そうね、おにーちゃんだったら今すぐ出産しても何も問題なかったわよね。二人ともハタチ超えてるし。でもジローくんと昔から仲よかったしいいんじゃない? お似合いお似合い」

ケラケラと笑っているこの二人は果たしてわたしと本当に血でつながっているのかしらどうかしら。

「お、おとーさん?おかーさん?」
「なあに」
「いやあの結婚とか」
「やー、うちに女の子が生まれて芥川んちに息子が生まれた時点でゆくゆくはって思ってたんだよ。本人同士ですんなり決まってよかったよかった」
「よかったよかった」

言いながら二人は引き戸を閉めて奥に引っ込んだ。



「…………………………………………なにこれ」

んー、とジローは満足気にうなづいて、

「晴れて婚約者?」

前髪をしばっていた輪ゴムを取って(やっぱり取れなくてムリヤリむしってアイタタタタと涙目になりながら)、わたしの左手の薬指に四重に巻きつけた。きついきつい痛い血管。ていうか、

「…………この四コマみたいな成り行きで決まるわたしの人生……?」
「上々だね」
「本気か!?ジローはそれでいいのかよく考えて!?あんたは若い!これからすごい恋とかするかもよ、真珠夫人とかときめきトゥナイトとか!?」
「たとえ古いし」
「これからすっごく好きな人とかできたらどーすんの!?両親あんなに期待させて、やーめたってなった時めんどくさくなるじゃん!」
「やーめたってなんないC」
「さきのことなんてわかんないし!」
「わかるって」
「は?」
以上に飽きない奴絶対いないC」
「……あ?」
「口閉じなよ」

わたしの開いた口にジローが片手でパカリと蓋をする。

「もが」
「もっとアホに見えたら困るよ?」
「もがえにもがえもがはい」(お前に言われたくない)
「十五年いっしょにいて飽きないのってすごくない?」

あくびまじりのいつものジローの声と言葉にはたと思考が立ち止まった。
すごいのかそれは。どうなんだ。十五年ずっといっしょだった人なんてうちの家族とジローんちの家族くらいしかいないから比較対象がない。

あっ、と今まで眠たそうに(実際眠いんだな)目をこすっていたジローがだしぬけに大きな声を上げた。

はもしかして俺に飽きたの」
「もが」
「どお?」
「もをもがえ」(手をはなせ)

速やかにジローの手が離れる。

「どおって……」
「飽きた?」
お前そんな、年下のヒモみたいな言い方ずるくないか。いやヒモ飼ったことないけど。そんな甲斐性ないけど。

ジローがでっかい目でまばたき少なく見つめてくるので受けて立って見つめ返しながら考えた。
十五年。けっこう長い。そんなにずっといっしょだったかな。
…………どっちかに特別な用事がなければ二日と空けて顔を見なかったことはないな。
それで? 飽きてるのかわたしは。ジローに。こいつに。

「………………」
「でしょ」
「でしょって何だ聞かなくてもわかるみたいなそれ!わたしまだ何も言ってない」
「きかなくてもわかるCー」
「何その自信」

ジローはふー、とため息をついてとろんと半分まぶたを下ろした。

「どんだけ俺たちいっしょにいると思ってんの」
「……十五年」
「うん」
「………うん」
「うん」
「……うん?」
「そんだけ見てたらわかるよ」
「………………うん」
「うん」
「うん。もーいい?」

ジローのまぶたがゆっくりまたたく。顔が近づく。身構えた。

「なんですか」
「誓いのキッスでしょ」
「お、ちょいタンマ」
「えータンマあったっけ」
「タンマ二回ルール」
ルールいつも勝手につくるし……じゃパスなしね」
「いつもやるって言ってないのに勝手にゲームはじめてたのそっちだし!」
「なんでうんって言わないの」
「…………うーん」
「のぼし棒いらないー」
「………うーん!」
煮えきらないおんなー」
「タンマだっつってんじゃんさ」
「はいタンマ二回ー」
「残念でした今の一回目の続きですー!」
「もーうんって言いなよ俺ほんと眠いCー」
「うーーーーーーーーーーーーーん」
「……ぐー」

あ、寝た。
つっぷしたくしゃくしゃ頭のつむじのてっぺんが見える。
そういえばこれを見るのは久しぶりだ。いつの間にかわたしよりも背が高くなって見えなくなっちゃったんだっけ。
つむじの中心をぐりっと押した。

「ゲーリーにーなーるー」
「ジローは『うん』なの?」
「うん」
「早いですよ」
「早くないよもうじゅーごねんもたってるしー眠いしー」
「そんなにわたしのこと好きだったわけ?」
「……うーん?」
「そこはすぐさまうんって言え」
いってねぇじゃんー」
「だってなんかわかんなくなってきた」

そしてつかれた。

「もーじゃー目つぶって」
「え」
「はやくだいじょーぶべつに隙ありとか言ってチューしないし自意識かじょー」
「あーはいはい」
「つぶった?」
「つぶった」
「ほんとに?」
「うそ言わないって」
「それうそだC」
「うーそーじゃーなーいー」
「じゃ、いま俺が何してるかわかる?」
「寝てる」
「うん」

目を開けるとジローが引き戸の奥の和室で丸くなって寝ていた。
そのままモゴモゴと口を動かしている。

「ほらも俺のことわかってるC」

いやそれは誰でもわかるし。あんたがさっきから眠くて眠くてしょうがないことくらいそりゃわかるよ。
こどもみたいに丸くなったジローにタオルケット代わりにバスタオルを持ってきてかけてやる。
立ったついでで店のシャッターを閉めてると背中に「あんがと」と不明瞭な声が届いた。
まだ熟睡してないのか。いつもなら目を閉じた瞬間ノンレム睡眠なのに。

和室に戻ってタオルケットを丸めて体に抱き込んでいるジローを見下ろしてたらおかしくなった。
こんなのに十五年ぽっちで飽きられるわけがない。

ジローを足でつついてたずねた。

「で、どーすんの、誓いのキッスは」
「んー。起きたらね」
「うん、わかった」

笑って電気を消してわたしも隣にごろりと横になった。


ジローの寝息がするところはよく眠れる。十五年間ずっとそうだった。
わたしはそのことにはじめて気がついた。













それから四回くらい呼吸してたら、鼻をつままれて口に何かあたった。

「……起きたらって言わなかった?」
「うんって言ったC」

寝息にまじってひゃひゃひゃとジローの笑い声が真っ暗闇に無音で響いた。
わたしも思わず吹き出して笑った。