バスを待つ






バス停は夏は頭が焦げつくほど暑く冬は骨まで冷える。
外なのだから当たり前だ。
わかってはいるけど、まあ寒い。


「ごめんね、こんな中一緒に待ってもらっちゃって」
「あなたが謝られることはありませんよ」

隣に立つ柳生くんに謝るが、当の柳生くんは寒風吹きすさぶ中でも背筋をぴしっと伸ばしている。コートの仕立てがきれいに映える立ち姿だ。

柳生くんが部活を引退してからは大体放課後図書室で勉強をして一緒に帰るようになった。
お互い内部進学がすでに決まっているけれど、柳生くんに教えてもらうのはわかりやすいし、デートというデートではないけど一緒にいる大義名分のような名目があって過ごせる時間はありがたい。
そして帰りはこうしてバス停でわたしの乗るバスが来るまで待ってくれるのだが、正直この寒さだと悪いなぁという思いが先に立つ。

「私が進んで申し出たことですので」
「いやぁ、でも風邪引かせてしまいそうで」
「それはあなたの方でしょう」

背中を丸めて縮こまるわたしを見て多少咎めるように柳生くんは言う。

「手袋にマフラーも身に着けていらっしゃらない。なぜこんな寒い日に防寒具の準備を怠るのです」
「なぜでしょう……」

なんか朝バタバタしてて……と素手を重ねて祈りを捧げるポーズのようになりながらわたしは寒さに耐える。はよ来いわたしのバス。来てくださいバス様。

しようのない人ですね、と柳生くんはわたしが固く組んだ祈りのポーズから指を一本一本丁寧に解いた。
そして自分のつけていた手袋を外しわたしの両手につけてくれたのだが、

「……いやいやこれはだめだよ柳生くんが寒くなっちゃうよ」

外して返そうとすると、

「私にはまだこれがありますので」

とゆったりと巻いたマフラーに手をやった。渋い色味のボルドーがよく似合っている。マフラーがもし生き物なら柳生くんの首元はさぞ居心地のいい住処だろう。

「あなたを一人震えさせていたのでは紳士の風上にも置けません」

少しわざとらしくそう言って、柳生くんはメガネのブリッジを押し上げた。
自分のキャラをそんな風に冗談めかして優しく笠に着て、親切を受け取らせてくれる。

「……ありがとう、柳生くん」

ミトンの両手を合わせて思わず拝む。

「どういたしまして」
「このミトンの手袋かわいいね」

大人っぽいマフラーとは少し印象が違い、グレーの毛糸で甲の部分に結晶の意匠が編み込まれていて上品なかわいさがある。

「先日のクリスマスに妹がプレゼントしてくれたものです。気に入っているのですが、私がつかうにはいささか愛らしすぎるでしょうか?」
「そうなんだ。ううん、似合ってるよ。妹さんおしゃれだね」

ありがとうございます。あなたがそう仰っていたと伝えたらきっと喜びます、と柳生くんは微笑んだ。
妹さんに伝える時柳生くんはわたしのことを何と言うんだろうと少し気になった。
同じクラスの友人だろうか。それとも彼女だと正直に言うのだろうか。


去年の夏、炎天下の七夕にこのバス停で柳生くんと会って話した10分間の成り行きでわたしたちは付き合うことになった。
それから半年ほどが経つ。
当初そのことを知ったブン太には「はー!?マジかよ!お前柳生を大切にしろよな。逃げられたら二度とつかまんねーぞ柳生レベルの男は」と神妙に言われた。わたしもそう思うわブン太。

さん?」
「えっ」
「バスの到着予定まであとどのくらいですか、とうかがったのですが。何かご思案事ですか?」
「あ、ごめんブン太のこと考えてた」
「丸井くんのことを?」
「このバス停で、あの日通りかかったなって」
「ああ。そうでしたね。あの時は丸井くんのおかげで会話の接ぎ穂が出来て感謝したものです。彼の発言はさんに対して事実に反し、礼を欠いたものでしたが」

お前と柳生じゃつりあわねーよ、とケタケタ笑いながら自転車で走り去っていった時のことだ。

「いや、ブン太の見立てはそう間違ってないと思うよ。柳生くんはわたしには過ぎた彼氏です」

自分を低く見積もるわけじゃないが、普通に柳生くんは素敵な人なのでそう思う。たまにその言動が少しわたしを引かせたりすることもあるけど、この人はいい人だ。

今もわたしの言葉を受けて少し怒ったように眉をしぼり、「そのようなことはありません」と断固として譲らない。

「……それで、さんの乗られるバスの時刻まであと何分ほどですか」
「あ、えーとね、あと……10分くらい。ちょうど一本行っちゃったとこだったね。寒いのに待たせてごめん」
「ですから謝られることはありません。むしろありがたいと思っているところです」
「何が?」
「あなたとあと10分、共に過ごせることに」

わたしは柳生くんを見つめる。
柳生くんもわたしを見ている。

「こんなに寒いのに!」

つい見つめあって笑ってしまった。
ほんとにいい人だな!

「暑かろうと寒かろうとあなたといるバス停は良いものです。私たちには思い出の地でもありますし」
「たしかに。あの時バスがあと5分早く来てたらこうはなってなかったよね」
「時刻表と運命に感謝です」
「炎天下と七夕にも」
「炎天下?」
「あの日あれだけ暑くなきゃあんな変な会話して好きだの嫌いだのって話になってなかったかも」
「なるほど。では炎天下にも」

柳生くんは今は真冬の冷たい夜空にペコリと頭を下げる。

「半年あっという間だったねぇ」
「ええ。本当に」
「年も明けたし、三月には卒業だし、春からは高等部かー」
「時の流れには抗えませんね。ですが、私は永遠にこの一年を繰り返したいと時々思ってしまいます」
「えっ、なんで」
「この一年は私にとって特別なものでしたから」

柳生くんは一度メガネを外し、夜空に目を眇めかけ直した。

「繰り返すってループ的な?」
「ええ。幼稚な願望でお恥ずかしいのですが」
「幼稚だとは思わないけど」
「部活動に励み充実したこの一年。あなたと同じ教室で過ごしたこの一年。あなたの乗るバスを見送る度、特別な日々が終わりに近づいていくのがたまらなかった」

感傷です、と柳生くんは自分を諫めるように少し笑う。

「そっか……」

ループ。
リボンの両端を持って片方ねじってくっつけるメビウスの輪とかいうやつを思い浮かべる。
もしわたしが神様ならさみしがりやのこの人の願いを叶えて何度でも一年の始まりに戻してあげたいなぁと思うけど、神様じゃないから出来ない。
ループしたいなんて考えたこともなかったけど、わたしもあの七夕の日のことは度々思い返している。
自分らしくないやり取りをしたような気になったこと。でもそれを後悔しなかったこと。
あの七夕の日に何度も戻って夏の暑さでどうかしてるようなやりとりをして付き合うことになるわたしと柳生くんがループを繰り返す度無限に増殖していくのを想像した。

「それも楽しいかもね」
「よろしいのですか?」
「いいよ。あの七夕の日、わたしも楽しかったし」
「私は楽しくはなかったですよ」
「え、そうなの」
「あなたに声をかけるのに必死で会話を楽しむ余裕などありませんでした」
「汗一つかかないで涼しそうな顔してたのに」
「心の中では冷や汗をかいてました」
「それは嘘だ」
「あなたに嘘などつきませんよ」

そうだろうか?
でも柳生くんがいつかもしわたしに嘘をついたとしても、そうする必要があっただけのことだと納得してしまう気がする。というくらいにはこの人のことを信頼している。半年前には特に接点のないクラスメイトだったのに、季節が冬になる以上の変化が二人の間で起きたことが不思議にも自然にも思う。
記憶の中で反芻して慣れ親しんだ夏の日のバス停からわたしたちは日一日遠ざかる。あの暑い日には二度と戻れない。

「でもあの日より今の方がわたしはずっと柳生くんのことが好きだよ」
「一日一日の積み重ねですか」
「そう、こつこつと愛は降り積もるのですよ」
「私の真似ですか?」
「似てた?」
「いいえ、少しも」

ようやくちゃんと笑って、柳生くんは自分の首からマフラーをほどいてわたしにかけた。

「え、手袋まで借りちゃってるんだからマフラーはいいよ。追いはぎみたいだよわたし」
「冷えるといけませんから」

マフラーをしっかりと胸の前できれいに結んで、乱れたわたしの髪を耳にかけなおしてくれる。

「赤くなっていますね」

そう言う自分は少し頬を染めている。寒いんだから無理しないでほしい。お互いのために。と思うけど、ここまでしてくれた親切を押し返すのも野暮かなぁ。

「紳士だからってそこまで紳士しなくていいのに」
「私が紳士でいられるのもバスがあなたを連れ去るまでのことです」
「どういうこと?」
「あなたが去った後の私は見れたものじゃありませんから」
「ごめんどういうこと?」
「寂しくて情けないだけの男を紳士とは呼べないでしょう」

そういうこと。ごめん察し悪くて。

「明日も会えるのに」
「今日と明日の間にある私たちには超えようのない川がうらめしい。あなたはそう思われませんか?」
「うーん……」

川かぁ……。
否が応でも今日もわたしの乗るバスは来るしそれに乗って家に帰る。帰ったらご飯食べて何かして遊んだりぼーっとしたりしてお風呂入って寝る。寝たら起きる。そしたらまたバスに乗って学校に行く。そうすると柳生くんに会える。新しい一日が始まる。

「うらめしいとかはあんまり考えたことなかったな。でも、最近は夜寝る時明日柳生くんに会ったら何話そうって考えて良い気分で眠ってるよ」
「それはそれは。恋ですね」
「そうですね」

わたしたちは並んで笑う。恋だから恋だというほかない。

「いつか、あなたと同じバスに乗って同じ家に帰る日が来るといいのに」
「同じ家?」
「ええ、楽しきマイホーム」
「……プロポーズ?」
「おや、さすがにこれは時期尚早でしたか」

どこまで本気なのだか柳生くんは真顔でいる。
想像する。
一日の終わりにまたねと手を振らないで次の日を一緒に始められる、そんな楽しきマイホーム。
いいな、と思う。

「もしよろしければ10年後にもう一度聞きたいです」
「何年後でも、何度でも」

言って、柳生くんはわたしの方へほんのわずかに身を寄せる。
それでも恋人同士の距離というには他人行儀な触れ合いだ。しかし親しき仲にも礼儀あり。これぐらいが中学生にして紳士な彼の配慮と案配なのだろう。
でも今日は寒すぎるし、これくらいなら許容されてもいいのでは。
わたしは彼のミトンで彼の手を握る。隙間風がお互いの間を通らぬ程度にそばへ行く。
たしなめられたりするだろうかと思ったら、いつもより低い声で柳生くんが言った。

「君はベガより可憐です」

いや、それはどうだろう。
もうこれくらいでは引かないけど、笑ってしまってごめん。でも、

「好きになってくれてありがとう」
「それはこちらのセリフです」

柳生くんのメガネは寒さで曇って、どんな顔しているのかわからない。
じき10分になるだろうか。
わたしのバスはまだ来ない。
借りた手袋にマフラーをしてなお冬のバス停は凍えるほど寒いけど、もう少し遅れてもいいよと思いかけ、いややっぱり柳生くんに風邪引かすわけにはいかないと思い直す。
はよ来い、バス。