全国の試合はテレビ放送がなかったので観ることは出来なかった。
一瞬、貯めてたお年玉全部つかって観に行こうかとも考えたけどやめた。

どんな試合をしたかは調べるとすぐにわかった。 部員から電話やラインが何回かあったけど返事はしなかった。
猛烈に話がしたかったけど何を言ったらいいのかわからなかったし、あの場にいなかった自分が何を言う権利もないと思った。




夏休みの最後の日、ちょっと買い物に出た帰り、海で遊んでいる甲斐くんたちを見た。
みんな服を着たまま泳いだり、波打ち際でプロレスなんかしていた。
その中に、あれ、田仁志の姿がないなと探すと浜で砂に埋まっていた。砂風呂かな……。
楽しそうで何よりだけど水難事故に気をつけなよ〜あと絶対こっち気づくなよ〜と念じながらなるたけ体を伏せて浜沿いの歩道を早足で過ぎようと、


!」


してた、のに。
さっそく見つかった。平古場の声だちくしょう。あいつの勘はほんと並外れてる!
二人、三人と増える視線を横顔に感じながら躊躇したのはほんの一秒ほど。

「あいっ、逃げた!」

うん逃げる!悪いけど!


けどすぐに捕まった。当たり前だ。こいつの足にかなうはずない。腕をごく軽く、という風に取られただけなのにびくともしない。
くそ、むかつく男子の筋力。
さすがに思い切り振り回せば逃げれるだろうけど、平古場ののんきな顔を間近に見るとそこまでする力も抜けた。


「なに逃げてんのよ。万引きでもしたばー?」
「してないよ。なんで追ってくんの……」
「そら、逃げるから」
「逃がしてよ……」
「逃げることないあんに」


甲斐くんたちのいる海辺から10メートルも離れていない。みんなこっちを見ているのがよくわかる距離だ。ああ気まずい。


「まあ、ここで会ったが百年目よ。お前電話しても出ないし、ラインしても無視するし」
「…………」
「この距離でも無視すんのかよ」


はー強情な奴やっさー、と平古場は空いてる左手を浜辺に向けて振った。


「お前たちも来いよー」


ぎょっとしたが、平古場の声が間違いなく届いているはずの甲斐くんたちは顔を見合わせてこちらをうかがっている。


「あい。来ないな。聞こえんかったか」


おーい、ともう一度呼びかけようとする平古場の口を手で塞ぐ。


「聞こえてて来ないんだって!もういいから」
「ぼういいってほばえはよくへもほべはひょくはいさー」
「何て?」


手を離すと平古場は

「もういいってお前はよくても俺はよくないさー」

と言い直した。
何がよくないんだよ、とも平古場には関係ないでしょ、とも思ったけどそのどちらも言えなかった。
何がよくないのかはわかっていたし、平古場は関係ありまくりの当事者だからだ。
減らず口しか出てこない頭のすみで、今この場で何を言われても私は平古場には敵わないだろうとわかっている。


「戻ってこいよー」
「……どこに?」


なにに。テニス部はもう引退したじゃん、と言外に言うと平古場はうーん、と頭をかいた。金色の髪がカシカシ揺れる。


「部活とかじゃなくてよー、んー、俺らのところに?」


平古場はちらと一瞬上目づかいになる。
自分であー今恥ずかしいことをしてるな言ってるなー、と自覚しているときの平古場の癖だ。
わたしはこの癖が好きだったことを思い出した。
恥ずかしくても自分が言うべきだと思った時に、言うべきだと思った言葉を言える平古場はすごいと思っていた。いつも。今も。


「…………今さらそんな卑怯なことできない」
「卑怯って何よ」
「私逃げたから」
「まーな。でも俺も別に戦ったわけじゃないしよー」
「合わせる顔ない」
「裕次郎?」
「みんなに」
「んー、あわせる顔がどーとか言うのはのプライドの問題だろ? 結局お前は自分のメンツのほーが大事ということ?」
「…………」
「このままじゃどーも気分がすっきりしないんよ。俺たちどーせ高校は別になるし、今しかないやさー、何か、すっきりするにはよ」
「……………………」
「……別にみんな、したいよーにしただけさー。俺も永四郎も。お前も裕次郎も。自分がしたいことをしただけさ。それのなんが悪い?」


それはそうなのだろう。
みんなそれぞれの判断で逃げたり残ったり、逆らったり戦ったりしたのだ。
あの時部を辞めたことをやり直したいとも思わない。
私は後悔していない。けど謝りたい。そして同時にすごく怒っている。
それを平古場に伝えたいとも思わない。
その資格もないし、伝えられるだけの言葉も知らない。


「早乙女に啖呵きって辞めた時のお前はでーじかっこよかったばー、やるなー!思ったもんよ。今になって一人でしょげてるなよ」
「…………」
「それに、だれかさんが辞めたころから早乙女のしごきが、こらー死ぬるーから、あー死ぬるかもしらんーくらいに変わったのよ。だれかさんが外から校長やらPTA? やら偉いさんらに言ったのかねー。、なんか知らんばー?」
「……知ってるくせに」
「はぁやぁ、知ってるくせにー」


くるりと平古場の目がおもしろそうに光った。それからケタケタと笑い出した。


「もーいこーぜ。日が暮れるやっしー」


平古場は私の腕をつかんだまま甲斐くんたちのいる浜に下りていく。サンダルが砂にめりこんで足を取られるが、つんのめる前に平古場が前へ前へと引いて歩く。


やっと捕まえたさー」


珍味の魚でも釣り上げたような朗らかな声に甲斐くんは眉を寄せ、平古場と私を交互に見た。
木手くんと知念くんは黙って静かに立ったままでいる。
田仁志は……埋まっていた砂をフン!!と掛け声一発で吹き飛ばし今起き上がった。

さん、全国の試合の結果はご存じでしょうね」

久しぶりだの何だのと前置きなく断定口調の木手くんに問われる。
木手くんはいつでも覚悟完了って感じだよなぁ。
私は、砂を払ってこっちへ小走りでやってくる田仁志を見ながら頷く。

「うん」
「やられましたよ、見事に」
「うん」
「けどやられっぱなしというのも性に合いませんからね。巻き返しますよ、ここから」

中学の部活は終わったけれど、木手くんが言っているのはそういうことではないのだろう。

うん、とまた頷くと木手くんはふっと笑って、真剣な顔をした。

「おしまいの数か月いなかったからと言ってあなたの二年間の功績が消えるわけでもないでしょうよ。友達ぶりたいわけじゃありませんが、他人の顔されるのも腹立たしいさ。むかつきますね」

……フォローとかではなくこれは木手くんの本音なのだろうな。
そういう人だよな。そうか。と思う。

「お礼も謝罪もいりませんよ。気持ち悪い」
「いや何も言ってないよ」
「言いそうな雰囲気出してたでしょう」
「勝手に読み取んないでよ」
「この期に及んで泣いたりしたら許しませんよ」
「誰が泣くか」
「調子出てきたじゃないですか。あなたの本性なんてとうに知れてますから今更しおらしい顔したって誰も騙されませんよ」
「どういう言い草!?」
「最後までやりたいようにやったらいいやさ」
「別に、やってるけど!?」
「言いたいことがあるなら恨みつらみでも文句でも言えと言ってるんですよ」

言うなと言ったり言えと言ったり。
お礼に謝罪に恨みにつらみ。
文句。
全部言いたい。でも一言も言いたくない。
黙ってただ睨み上げていると横から田仁志と知念くんがまーまーまーまー、と私と木手くんの間に入った。

「比嘉のカミソリマネージャーと呼ばれた眼差しは健在のようですね」
「いや聞いたことないけど!?」
「誉め言葉ですよ?」

ふふん、と鼻を鳴らす木手くんを「煽るなって」と知念くんが諫める。

「まーとりあえず俺んちに飯食いいこーぜ。しに腹へったやさー」

田仁志が腹をさすって沖の方に目をやった。
つられて見ると水平線のほとんど際までもう日が落ちている。
沈んでいくこの時が太陽は一番眩しく見える。
蛍光の朱色に照る雲と一秒ごと暗くなっていく群青の空は境を飴細工のように溶かし込んで暮れていた。

も来いよ。うめー肉いっぱいあるからよ」

言って、田仁志は先頭に立って浜を歩き出す。
田仁志のお父さんが経営しているレストランには部活してた頃よく皆と行ってごちそうになった。
田仁志の言う通りお肉がとてもおいしかったし、お肉以外もとてもおいしかった。

「尻尾巻いて逃げやしないでしょうね」

捨て台詞を残し、田仁志の後に木手くんが続く。

「木手はああいう言い方しか出来んで、損な奴やっさ」

ひとり言のように知念くんは呟き、二人を追う。

平古場はこっちをちらと見、何も言わずに頭の後ろで両手を組んで歩いて行く。



……なんなんだこの状況。ちょっと買い物に出ただけだったのに。
行くのか、私。田仁志んちのレストラン。たしかにおなかはへってるけども。いや空腹感の問題ではなく、では何が問題だったのか、あれ、と一瞬度を失う。


は行かないのか?」

甲斐くんが横に立って首を傾げる。

「わからない。迷ってる」

思ったことをそのまま口に出してしまう。
ほんのさっきまで、テニス部の面々と話すことはもうほとんどないだろうと思っていた。
クラスも違うし、あと半年もすれば卒業だし。

平古場は戻ってこいよと言ってくれたが、私は戻りたかったのだろうか。ここに。みんなのいるところに。 辞めたことを後悔もしていないのに?


「あのな、全国前にに話聞いてもらったことあったろ」

甲斐くんが言った。
もちろん覚えている。相談を受けて、思わず私はコーラを吹いて虹をつくった。
色のさめたコートを見て話をしたのは先月なのに、その時に戻れないという一点で百年も昔のことのように思えた。百年も生きてないけど。


「あの日、に言われたことずっと考えてるばー」

甲斐くんは沈みかけた日の最後の光を頬に受け、淡い闇の中で二、三度瞬きをした。

「結局俺は木手にはなれんし、凛みたいにもやれないことがよくわかったわ」

木手は巻き返しって言ってたけど俺は仕切り直しやさ、と甲斐くんは弱った顔で笑った。


「行こう」

言われて、なお迷いながら頷いた。
薄暗い浜を並んで歩き出す。
絶えず聞こえている波音に相槌を打つように私たちの両足は砂を踏んで体を前に進めていく。
歩道に上がって行ったのか、みんなの背中はもう見えなかった。

無言でいるとさっき平古場に言われた言葉が耳に甦った。

あわせる顔がどーとか言うのはのプライドの問題だろ?結局お前は自分のメンツのほーが大事ということ?

その通りだ。
平古場は何も考えてないような顔で芯食ったことばっか言う。
嫌になったから部を辞めて、気まずいから避けた。
もっと大人になって、もっと賢くなれば今よりいいやり方がわかるようになって当然のようにそれを選べる自分になるのだろうか。
それさえ今の私にはわからないのだが。

沖の方から風が吹いて、髪の間に潮の匂いが梳き込まれていく。
歩くごとサンダルに砂が入って痛いから裸足になろうか、今更かな、とふと悩む。

砂を踏む音に隠れるように、あのな、と甲斐くんが言った。


「これから先、もし俺が暴力ってどう思うってまたお前に聞いたらどうする?」
「最低って言う」


うん、と甲斐くんは頷く。


「ありがとうな」
「なにが」
「俺もそう思う」


私は甲斐くんの頭を帽子越しに雑に叩くみたいにかき回した。
足下は砂だし身長差はあるし、バランスが崩れて歩きにくいが、何も言えない代わりにそうし続けた。

私は優しくも賢くも強くもなく、励ましや慰めの言葉も持たないが、君のこれから選ぶ道が君を照らすものであるよう祈ってる。祈ってるだけだけど、強く強く祈ってる。


「ありがとな」


甲斐くんがどんな顔をしているかはよく見えなかった。
ここが浜辺で、日が落ちていてよかった。
始終寄せ返す波の音が耳の底をさらうから、隣にいる人がたとえ泣いたとしてもお互い気づかないふりが出来る。


もう少しすれば、この浜にも星の光が落ちてくる。
浜を埋める無数の砂粒がそれを受けて、人間の目には見えないぐらい微細な光をちかりと弾くのを想像する。
モールス信号のような交信がそこにはあって、空が明るくなるまで成層圏越しの文通が何億通も往還していたら愉快だななんてことを思いながら、私はまだ甲斐くんの頭をかき回している。
腕も手も怠くなって疲れてきたが、撫でる程度の弱さになってはいけないとなぜだか思う。
そろそろもういいよと言われそうだけど、言われるまではこうしているつもりだ。





アコークロー