目が覚めたらみんな寝ていた。 となりの小春も、金ちゃんも、ユウジも白石も謙也も財前くんも小石川くんもオサムちゃんも、みんなそれぞれ座席や隣の人に頭をあずけてグーグー寝ている。 銀さんだけは背中をまっすぐに立ててるけど目はつぶってる。……寝てるの?瞑想? あと一人足りない顔はまた車両のどこかをフラフラしてるんだろうか。まさか途中の駅で降りたりしてなきゃいいけど。 あたりを見回してあくびを一つしたら目が冴えた。 しまった。一人だけ起きてもつまんないのに。 時計を見ると新大阪駅まであと三十分というところ。 もう一度寝るのも中途半端か。 うーっと伸びをするとわたしの左肩に頭をのせていた小春がくぐもった寝息をたてた。 いい夢を見ているらしい。ほっぺが何だかバラ色だ。かわいい男の子にでも囲まれてるのかな。 バラ色の小春にちょっとごめんね、と断って通路に出る。 少し体をほぐしながらトイレにでも行ってこよう。ついでに顔も洗いたい。 「ふわーあ………あたっ」 も一つあくびをしていると通路席からはみ出したオサムちゃんの足につまづいた。 「んあ…………金太郎、の髪の毛ちょんまげにしたらあかんて……あかん」 どんな夢だ。 ちょっと笑って連結部のトイレへ続く自動ドアを開けた。 「新幹線のトイレってなんか近未来だよねー……」 歩きながらアホな独り言を言ったのは恐らくまだ寝ぼけていたんだろう。 「水が大して出んよーところや?」 「そーそー、シュパッ…てなんか消えてく感じが近未来……」 ………… 「千歳!?」 「あい」 連結部のドアの横手で千歳は長い手足をもてあますようにあぐらをかいて座っていた。 どっかフラフラしてるんだろうと思ったらこんなところに! 何をしてるんだ、何を。びっくりするじゃないかわたしが。いやお客さんみんなが。 「なにしてんの」 「んー」 「そんなとこいたらお尻冷えるよ?」 「ひゃっこかって気持ちよかとよ」 「席もクーラーきいてるよ?」 「ええけ、はよう便所行ってこんね。漏らしたらえらいことになるったい」 それもそうだ。わたしはうなずいてトイレの戸に手をかける。 振り返ると千歳がひらひらと手の平を振っていた。 あの人ほんとに、あんなとこで何やってんだろ。 ■ トイレから戻るとドアの横手では千歳が変わらない姿勢で窓に流れる景色を見上げていた。 近づくと、 「おかえりんさい」 わたしを認めて言うので 「ただいま」 千歳の向かいに体を縮めて座り込んだ。 せまいスペースだし千歳は体が大きいし、お互い足の一部が少しぶつかり合う。 「席ば戻らんね、」 千歳は目を丸くしている。 「いやーみんな寝ちゃってるんだよね。一人だけ起きててもつまんないし。千歳はなんでこんなとこにいるの?」 「んー。席ばちっと窮屈やったったい」 「あー千歳や銀さん大きいからねー。長い時間だと大変だよね」 「ばってんもう新大阪に着くころやけん、しばらくしよったら戻ると」 「そう?」 大した話題の接ぎ穂もなく、それで会話は途切れた。 車輪が線路を正確になぞる音と振動を感じていると再び眠気が差してきた。 あくびをすると千歳がかすかに笑った。 「ほれ、席戻って寝られ、マネージャー」 「んー……」 「、立つばい」 軽く手を取られて促される。その微妙なニュアンスにおや、と思った。 積極的に他人の行動を指し示すなんてこの人には珍しい振る舞いだ。 「千歳?」 呼ぶと、千歳はばつ悪そうに眉の片方をひそめた。 わたしはようやくそこで違和感に気づく。 千歳、目のふちが少し赤い。 「…………なんば」 「ん? んー………えーと………」 気がついたら一気に気詰まりになった。 え、なんで?泣いてた?なんで? わたしが気づいて困惑していることに早速千歳は気がついた。 「俺もすぐ行くたい。はよ行かんね」 そこまで言われてもわたしの腰はまだ上がらなかった。 寝ぼけてて頭がうまく回らない。 こういう時、どうしてたっけ。みんなが落ち込んでる時ってどうしてたっけ。 白石…白石はプライド高いししっかりしてるんからあんまりつっこまずにそっとして、頃合い見て軽い話とかしたり。 謙也は軽口叩いてとりあえず反応見たり……なんかおごったり。 一氏はひとまず話をしてくれるまで根気強くそばにいて、話し始めたら根気強く聞いてやって……最後は「大丈夫、小春がいるよ!」でシメ。 小春や銀さんは落ち込んでも大抵一人でどうにかするし、金ちゃんは……べそべそ泣いても二十秒くらいで元気になるし。 財前くんは絶対ほっとく。後輩だけどそういう時は絶対ほっとかれたい子だからほっとく。で、夜、部活連絡にちょっとおまけでアホっぽい内容を付け足してメールする。 で、千歳は。 「…………あれ」 「…どげんしたと?」 わからない。 怪訝そうな目でさぐってくる千歳がわたしの前で落ち込んだ姿を見せたのはこれがはじめてだから今どうするべきかわからない。 どうしよう。 思えば千歳と二人だけでこんなに話を続けるのははじめてのことだ。 懐が深くて鷹揚で、人の心にするっと入ってくる懐こさを自然に持ってるのに、姿は見せても影は踏ませない用心深いところがこの人にはある。 どこか野生の動物っぽいというか、性格は全然ちがうけど実は金ちゃんと似てるところがあるかも。 弱ったところなんて絶対に見せないんだろうなと思っていた。わたしも、多分当人も。 「……………」 「……………」 …………とりあえず、立ち去る方が無難だろう。 一周回ってやっとそこにたどりついた。回転遅くてごめん千歳。(寝起きだったんだよ……) 立ち上がると千歳の視線がわたしから窓の外へ移った。 「じゃ、先に行っ」 「四天宝寺はよかチームたいね」 「へっ」 「ほんによかチームばい」 ぼそりと繰り返す。 「………そー…だね」 「白石を中心に各自実力者が揃っとる。それにみんないい奴ばっかたい」 「まあ……そうかな。みんなちょっとアホだけど、うん、いい奴はいい奴かも」 「監督も」 「かんと……オサムちゃんね。うんまあ、いい人はいい人だね。ちょっとあれだけどね」 「マネージャーもいい奴たい」 「あら、ありがと……」 「こん学校ば来られて俺は幸せもんっちゃ」 言ってることとは反対に千歳の口調はどんどん沈んでいく。 「……千歳?」 窓の外を見つめ続ける千歳の顔をのぞきこもうとかがんだ瞬間、腕を引かれてそのまま転んだ。 転んだ先には千歳の大きな体があった。 「……どうした千歳」 これではまるで抱きしめられてるような格好になるのではないだろうか。 「……がさっさ行かれんからいけん」 「え、何の話」 「男ば涙、人に見せたらいかんけん」 「……そうか」 たしかにこれでは涙も何も見えたもんじゃない。 けど 「……何で泣くの千歳」 「…………………」 「…………言いたくないならいいんだけど……」 「………………四天宝寺ばほんによかチームたい」 「うん」 「こんチームにまざってテニスできてえらい楽しかったばってん、何も出来んでひっかき回しただけで結局勝てんずくで」 「……退部届けのこと?」 わたしの肩口にうまった千歳のあごが引かれた。 「謙也と財前には頭上がらん」 そういうことか。 ようやく合点がいって千歳の大きな背中を叩いた。 「なーんだ」 「……………」 「そんなこと気にしてたの。今更」 「今更やから気にするったい。取り返しばつかん」 「やぁまぁ、そうだけども。けど、あの試合の選手交代はそもそも謙也が言い出したことだしさ。謙也が言って、千歳が応えたんだからその後のうんぬんは言いっこなしだよ。勝っても負けても謙也にもチームにも悔いはないよ」 「……中学最後の試合やったとに」 「まあ、ねえ」 それはそうだ。結果的にはそうなった。 けどそれは謙也も覚悟していたことだ。だからやっぱり今更なのに。 やれやれ。 これこそすごく今更のことだけど、言っておこう。念のために。 「千歳、四天宝寺はいいチームって言ったけどさ、自分もそこの一人だってわかってる?」 返る声はない。 「いいチームの、その一人なんだから。あの変則ダブルスもチームの選択で、千歳の選択なんだからさ。全員納得してることだよ。だからだれも何も言わないんだよ。なのに千歳が今更それを言うのは変だよ」 「……わかっとっと」 「わかってんならいいんだけどさ。今年の四天は今いるみんなで勝ち上ってきたんだから、負ける時も全員いっしよなんだよ」 千歳は何も言わなかった。 うなずくこともしなかった。 ただわたしを抱き寄せる腕に力がこもった。 聞こえてるんならそれでいいよ。(ちょっと痛いけど) しかし、まさか千歳が泣くとは。 自分の至らなさを責めて、力不足を恥じて泣くとは。 千歳が飄々として見えるのは実際飄々としているからで。 千歳が賢く見えるのは真実賢いからで。 千歳がいつでもどっかにぱっと消えちゃいそうなのは多分本当にいつかどこかへフラリと行ってしまうからで。 自分の印象を飾る人じゃないから大体のことは見えたその通りの人なんだろうけど、こっちが「よくわからない」でくくっていた印象は「よくわかろうとしない」地点から目測した見当でしかなかったのかもなぁ。 だって千歳がこんな風に泣くなんて知らなかった。 こんな風に泣くくらい、うちの仲間のことを思っているなんて少しも知らなかった。 執着心に乏しくて大概のことにはびくともせずに、風が吹いたら誘われてどこにでもどこまでも行っちゃう根なし草めいた奴だから、肩入れしたら寂しくなるのはこっちだとばかり思っていたけど。 「こんな千歳はじめて見た」 「見んでよか」 「ハハハ、遅いって」 ある日まったく不意にわたしたちの中に入って呼吸をはじめた違う土地生まれのこの人は、わたしたちにとっては最初から仲間だったけれど、どこかに置いてきた心残りの馴染みの匂いをふと吹いた風の中に探しているようなところがあった。 そんでさっさと心のしこりを拭ったら退部届けを書いたりして、一人で結末をつけた気になって挨拶もなく出て行った。 すぐに戻ってきたけどね。 その全部の行動がうちの部のみんなのことを考えてのことなのか、気ままに自分のことしか考えてないのか迷うだけわからなくなるし、何だか寂しくなるから「よくわからない」と感情を止めてひとくくりに棚上げをした。 棚の上をのぞいてみたら今の千歳の涙があった。 この人もわたしたちを仲間だと思ってくれてたんだ。 「……うれしいな」 「……なんば?」 「千歳がわたしたちの仲間になってくれててうれしいなーって」 「……そげんこついっちょん照れんでよう言うと」 「いやははは。自分以上に照れてる人の前ではこれくらい軽いもんですよ」 「………マネージャーがこげんええ性格やったとは知らんやったばい」 「わたしたちは知らんことばっかだね、実は」 笑って、広い背中をポンポン叩く。 この背中を持つ人はきっとそう遠くない内にどこかへ旅立っていくだろうと確信めいた予感がある。 けれど千歳がいつか気に入った風が吹いたとき、誘われるままどこにでも行ってしまったとしても寂しがることはないとふと思った。 この人は誘われるままきっとどこまでも行ってしまうけれど、賢いから自分で歩いた道をちゃんと覚えているに違いない。 遠く離れたその場所から仲間を恋しく思うことがあれば自分の足跡をたどって帰ってくるだろう。 千歳を追って吹く風にのせて紙飛行機に誂えた手紙をこっちから飛ばしてもいい。 突き詰めれば聞きたいことは元気ですかの一言で、言いたいことはこっちはみんな元気ですの一言になるのだろうけど、つながっているはずだと信じるものを時には目で見えるもので知らせてほしい。 何もかも見えるそのままではないと君に教えられたばかりだけど、この手に直に触れるものが雄弁に語るものもある。 千歳がこんな風に泣くとは知らなかった。 こんな風に人を抱きしめる人だとは知らなかった。 「……もうちょい、待ってくれんね。もう元に戻るばってん」 「元って」 言い方がおかしくて笑ったらいっしょに千歳の体も揺れた。 つながっているとはこういうことだ。 千歳は何だか熊やトラやライオンの着ぐるみを着ているように大きくて、同い年の男の子の腕の中にいるとはとても思えなかった。 けれど着ぐるみに抱きしめられてもきっとこんな風にドキドキしたりはしないだろう。 「……はちいこかね」 「なにが。胸が?」 「そいは知らん」 わたしを包む大きな体が震えたけれど、さて笑っているのか泣いているのか。 心が波打つなら同じことか。 息を吸うと肺が震えた。 ああ、だから、つながっているとはこういうことなのだ。 それから千歳は一度大きく息を吸って吐いて、わたしの体を離した。 「そろそろ着くころばってん、みんな起こしに行かんばいけんね」 窓の外に流れる景色が見なれた色合いを濃くしていく。 わたしたちは帰ってきたのだ、この町に。 「大丈夫。十秒あればみんな叩き起こせる」 誰一人欠けることなく、全員で夏を終えて。 |